第十話 緊急事態 3/6
「いや、しかし」
証拠と言われてイエナ三世の言質をそれとしたテンリーゼンに対し、コナーは腑に落ちないモヤモヤしたものを消化できずにいた。
だが、そんな彼もニームの次の一言で全てを呑み込む決心をする事になる。
「インクライン少将がこのテンリーゼンを偽物だと疑おうが本物と信じようが、実はそれはどうでもいい事だ。なぜなら、我がマーリン正教会は、この人物こそがカラティア朝シルフィード王国の正統な後継者であると認識しているからだ。まさか大国シルフィードの将官たる人物が、この言葉の意味がわからぬなどと言うつもりではあるまい。それともこれ以上個人的な感情をここでぶつけるとでも?」
「ぐ……」
さしものコナーもこれには絶句した。
正教会の大賢者が認めた「本物」は、そのまま他国がそれを無条件で承認する事を意味する。正教会は過去において例外なく公正で客観的な承認を行ってきているとされているからだ。どの国にあっても承認する根拠たる法的なものはいっさい存在しないが、少なくともファランドール中の正教会信者はそれを支持する事は間違いないだろう。
つまり正教会がシルフィード王国の現女王であるイエナ三世は王位継承権を持たない変わり身だと発表すれば、ノッダの政府はその存在する根拠を失う事になる。
そうなれば今回のイエナ三世の即位に関する異例ずくめの出来事が「イエナ三世は偽の女王」である事を証明するための状況証拠と捉えられても不思議はない。
仮にドライアド王国がテンリーゼンを「正統なるシルフィードの女王」として担ぎ出しでもすれば、シルフィード王国の国民の心はノッダ政府ではなくドライアドを支持するに違いない。
肩を落としたコナーに、ニームが声をかけた。
「お前の気持ちはわかる。尊敬に値する忠臣だということもな」
その言葉にコナーは顔を上げた。
「その意気や良し、だ。そもそも疑う気持は忠誠心から出ている事も余は理解できる。そうだな。だからこうしようではないか。余の言葉を信じられるものとするために、まずは余が賢者である事の証拠をお前に見せよう」
コナーの論法を借りれば、次は当然ながらニーム自身が本物である事の証明を求められる図式が生じる。もちろんこの期に及んで当のコナー自身にそういう行動をとるつもりがあるかどうかは不明である。彼が納得いく物的な証拠は示されなかったものの、彼自身も状況証拠としては充分だと理解していた。つまりコナー自身もテンリーゼンがエルネスティーネの実姉であろうことは間違いないとすでに頭ではわかっていたのだから。
ニームはコナーの反応を待たず、すぐに仗を頭上にかざした。
するとその頭頂が赤く光りはじめ、何もなかったはずのニームの白い額にぽっかりと第三の目が開いた。
「う」
賢者の徴について知らぬコナーではなかった。だがこれも彼にとっては初めて見るものであり、予想以上にその衝撃は大きかった。
生意気な物言いをするただの小柄なデュアルの小娘だと思っていた少女が、一瞬にしてその身に禍々しいエーテルを纏い、真っ赤に燃える三つの目で自分を見据えているのだ。その異形から発せられる圧倒的な圧力を自らの五感で受け止めたコナーは、今この場で行われている事は異常事態なのだということを頭ではなく、感覚、すなわち体全体で理解する事になった。
その後はエイル達三人の自己紹介がニームによって行われ、ノッダ側はそれに対する返礼として、イエナ三世自らが自陣営の紹介を行った。もちろん当初の予定ではリーンがその役を行うはずだったのだが、そもそも予定など立てることが間違っているような会見であったから、イエナ三世が自身で幕僚の紹介をはじめても誰もそれを止めようとする者は居なかった。
全員の紹介が終わり、いよいよ本題という段階になると待ちかねていたかのようにエイルが口を開いた。
「上陸前にわざわざこうやって会ってもらったのには、当然ながらわけがあります」
エイルの事を知っているのは、またもやトルマとシュクルの二名のみであった。それ以外の全員が初見である。炎のエレメンタルである事、それが瞳髪黒色である事は事前にシュクルによって説明されていたが、改めて瞳髪黒色のピクシィを前にすると、アルヴである限り心穏やかではいられない者ばかりであった。
ここでもコナーがもっともそのわだかまりを強く持っていたが、もちろん彼はそれ以上口を開くことは自重した。言い換えるなら賢者の徴を披露したニームの行為はそれほどまでに圧倒的な場の支配力を持っていたということである。
「単刀直入にいいます。正統であるとかないとかそういうのは関係なく、俺達はここにいる皆さんと取引がしたい」
「控えてもらおう」
コナーに対して控えめなインクライン少将という印象を持っていたシュクルは、コナーがこの場面で発したこの一言で自分の浅考を恥じた。
むしろ熱すぎるくらい熱い性格なのだ。そう、典型的なアルヴなのである。
「炎のエレメンタルであろうとなかろうと、その言葉遣いは我が国の元首に対し少々礼を欠くのではないか? しかも取引だと?」
これも自分達、いやイエナ三世に対する忠義心から出た熱い想いの発露なのであるが、残念な事にコナーのこの忠義の言葉は、あろうことか信じる味方によって叱責された。
「控えるのはお前だ、コナー」
そう言ったのはトルマであった。
「おそれながら、カイエン閣下」
「インクライン少将の言いたいことは痛いほどわかる」
「ならば」
「だがそれを知ってなお、どう考えても控えるのはお前の方だと言っておるのだ」
「なぜです?」
「なぜと問うのか?」
「はい」
「ならば言うしかあるまい。この御方はな……」
「はい」
コナーは「この御方」という言葉を受けてテンリーゼンに視線を移した。ここでなぜテンリーゼンが出てくるのかを訝しみながら。
だが、コナーはこの後すぐに、自分が違う方向を向いていることを知らされることになる。
「世が世ならば、この御方は我ら全員が王配殿下として最敬礼をもって仕えるべきお方なるぞ」
短い沈黙があった。
「は?」
「なんだ?」
「今、なんと?」
「『世が世ならば、この御方は我ら全員が王配殿下として最敬礼をもって仕えるべきお方なるぞ』と言ったが?」
「王配……殿下?」
コナーは耳慣れない言葉を反芻し、その意味を導き出すと、改めて目の前にいる目つきの鋭い瞳髪黒色の青年を見つめた。そしてやや視界を広げ、その隣にいる小柄な銀髪のアルヴィンを同じ視界に入れた。
銀髪のアルヴィンはコナーと視線を絡めた。同時に唇の端を少しだけ持ち上げて見せたと思う間もなく、今度は隣の瞳髪黒色のピクシィに寄り添いその腕を抱いて見せた。
「え? まさか」
コナーの様子を見てガルフはトルマに小声でたずねた。
「お主、これも知っておったのか?」
「許せ。ご本人から直接口止めされておったものでな」
「他に何を知っている? コナーではないがワシもさすがにそろそろ心臓がもたん気がする」
「そうだな」
トルマはアゴをさすりながら、少し考える振りをした後で、こう言った。
「あの男には、実はもう一人妻がおる」
「なんだと? 王配の身でありながら側室を持つなど」
「なぜか今日は姿を見せておらんが、なんとその相手は新教会の重鎮でな」
「重鎮というと、まさか賢者か?」
「いや、その上だな」
「大賢者か? ひょっとしてここにいる……」
「いやいや、大賢者の更に上、つまり三聖だ」
「は?」
「まあ、信じられんのも無理はない。ついでに言うと、その三聖もまた王配殿下と同じ瞳髪黒色」
「う……ううむ。何と言っていいか、『言葉も無い』とはこの事だ」
「……さらに少し補足すると」
「まだあるのか?」
「私が見たところ、正室はその瞳髪黒色の三聖のようで」
「な、なんだとお!?」
「お静かに」
大元帥と元帥のひそひそ話に、シュクルがピシャリと水を差した。
「両閣下ともお行儀が悪すぎますな。インクライン少将を見習っていただきたい」
後日、コナー・インクライン少将は、この日の会見について見解を求めてきたシュクルに対し、頭を抱えながらこう言ったそうだ。
「あれは我が人生で最低かつ最悪としか言いようのない経験であった」
もっとも、その日の会見をさかいに、冷静で控えめな保守系将官と黙されていたインクライン少将が、実は忠義心あふれる熱い幕僚だったとして、軍の上層部では大いに株が上がったのも事実のようであった。
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