第十話 緊急事態 1/6

 ティルトール・クレムラート陸軍中将からガルフ・キャンタビレイ大元帥に宛てた書簡の表には、かつてガルフの記憶に存在しないほど大きな文字で「親展」と記されていた。

 それはその書簡の内容が「ただ事ではない」と思わせるのに充分過ぎる効果を発揮したようだ。何しろ開封の場に主だった幕僚どころか、イエナ三世まで立ち会う事になったのだから。


「確かに」

 封蝋を破り、書面に目を落としたガルフは開口一番そう言った。

「声に合わせて文字まで大きくしただけかと思っていたが、『如才ない』とはこの事か。ティルトールの機転のおかげで、幕僚を招集する手間が省けたというものだ」

 ガルフから書簡を受け取ったリーン・アンセルメ中尉はその文面にチラリと目を落とすと、なんとも言えない微妙な表情のまま、恭しくイエナ三世に差し出した。

 入港前に通り一遍の挨拶を寄越すか、ティルトール自らが歓迎の為に乗り込んでくるものと思っていたイエナ三世は、妙な書簡の話を聞いた時から胸騒ぎがしていた。そして書簡を読んで、その胸騒ぎが正しかった事を思い知った。


「それでクレムラート将軍は?」

 イエナ三世は顔を上げると、書簡をリーンに差し戻しながらたずねた。

「お許しを得てからお迎えに上がりたいとのことで、迎えの船で控えております」

「では歓迎する旨をすぐに伝えてください」

 一も二もなく書面の内容を許諾したイエナ三世に、一人の幕僚が意見を申し出た。

「恐れながら」

 手を挙げた将官は精悍な面構えをしたアルヴであった。青年というには老成しており中年と呼ぶには若々しい。眼光鋭く、とはいえギラギラとしたエーテルを纏っているわけではない。身長も男のアルヴとしては平均的であろうか。だが、その良く通る張りのある声と濃い緑の瞳の色で、かなり存在感のある男であった。


「ふむ、意見を聞こう。インクライン少将」

 ガルフにインクラインと呼ばれた男は、海軍所属の少将であった。つまり提督と呼ばれる人物である。

 少将という位は、その場に居た幕僚の中では、ガルフ・キャンタビレイ大元帥、トルマ・カイエン元帥に次ぐ上位にあった。つまりシュクル・スリーズ中佐やリーンよりも立場ははるかに上である。だがそういった事を鼻に掛けるどころか、幕僚会議では我を通すような意見をいっさいまくし立てることもなく静かに成り行きを見守りつつ、得心がいかぬ場合のみ、今のように手を挙げて意見を述べる為の許しを請うといった、よく言えば礼儀正しい、悪く言えば慇懃な振る舞いをする……要するにやや受け身な姿勢が目立つとも言える人物、それがインクライン少将なのであった。

 言い換えるならば、いつものように手順は踏んでいるものの、今回のように他に先駆けていきなり自分の意見を言おうとするのはインクライン少将としては異例の行動と言えるのだ。

 必然としてガルフは少将の言に興味を持った。


「では失礼して」

 コナー・インクラインはうやうやしく敬礼をすると、話しだした。

「このクレムラート中将の書簡には、マーリン正教会の大賢者の命によりイエナ三世に会見の場を設けるように指示されたと書かれてあります」

「うむ」

 ガルフはうなずいた。

「そうだな。そう書いてある」

「次に、その会見の目的、すなわち大賢者を名乗る人物が、エレメンタルを連れいる。ついてはシルフィード王国の国王に会わせたい、というものです」

「うむ」

 ガルフは同様にうなずいた。

「確かにそう書いてあるな」

「しかも最後に、興味深いシルフィード軍人もいるので、連れて行くからついでにその人物とも会って欲しい、という文面がございました」

「うむ。あったな」

「そんな書簡を一目見ただけで『会う』という結論がなぜ出るのか……そこのところをご教示願いたく」


 コナーはその後、この会見がいかに危険なものであるかを、長時間にわたって演説さながらに述べたてた。それを一言一句書き記すのは冗長に過ぎるので、かいつまんで説明しておく。

 彼の説はこうだ。

 もしエレメンタルが偽物であるとすると、それは間違いなく罠である。

 新教会の大賢者という触れ込みも疑わしい。

 いや、大賢者であろうが無かろうが、この情勢下で敵ではないという保証が全く無い以上、どちらにしろイエナ三世自身が直接面会するのは危険である。


 次にエレメンタルが本物であった場合。

 その場合はより不都合が生じる。

 なぜならそれはエレメンタルを迎えるはずのエレメンタル、つまり「風のエレメンタル」であるはずのイエナ三世が、実は偽物だからだ。


 相手のエレメンタルが、きたる「合わせ月」の日に力添えをしたい旨を申し出る為に会いに来るのであれば、相手は目的を達成できない。

 こちらにはエレメンタルなど存在しないのであるからこれは決定事項である。

 ニセモノである事を隠し通すという手もあるが、本物のエレメンタルを前にしてそれは不可能だと考える。

 なぜなら普通の人間同士ならいざ知らず、エレメンタル同士であれば相手が本物かどうかはたやすく見破るに違いないと思われるから。


 では相手が事実を知った時はいったいどうなるのか?

 紹介者であるマーリン正教会の大賢者が、国家をあげての隠蔽工作を笑ってを許すとは思えない。

 戦争関与はせずとも、「合わせ月」が間近に控えている今、おそらくは大賢者の名において事実の発表が行われる可能性が高い。

 そこでもしシルフィード王国の現王であるイエナ三世が「偽物」すなわち「変わり身であった」と世界中に知れわたったなら、沈静化したはずのあの忌まわしい噂が信憑性という羽を得て蘇るに違いない。

 それはすなわちエッダで多くの人々の目に触れることになったあの「エルネスティーネの首」が、やはり本物だったのではないか、という例の噂である。

 そうなればエレメンタルを管理する賢者会が大手を振って介入する理由を与える事になる。


 そんな事になればシルフィード王国は……いや、ノッダ政府は窮地に陥る。少なくともカラティア朝の終焉は避けられぬであろう。正教会賢者会の名において「正統な後継者」が決められ、王位継承権を持つ者にカラティア家の者は既に存在しないからである。


 だからといっていまさら適当な作り話をでっち上げることなど、人の叡智の限界を超えていると言われる賢者相手には無理な話であろう。

 賢者会がこの局面でシルフィードのノッダ政府が掲げるイエナ三世をファランドール全体に対する謀反人と断定すると、シルフィード国内においてさえ、人心を得る事が難しくなる。


 一方でエッダの政治機能は既に瓦解している。

 とはいえ下手をすると、賢者会は姿をくらましている元バード長、ミドオーバを暫定政府の中枢に据える行動を取る可能性すらある。

 要するにこの会見は不利益ばかりが想定され、いい方向には転ばないということである。


「なるほど、なるほど」

 ガルフはコナーの話を最後まで聞き終わると、例によってうなずいて見せた。

「提督の意見は至極ごもっとも、かつ論理的に思える」

「で、あれば」

 食いつくコナーに、ガルフはしかし目を伏せて首を横に振って見せた。そして顔を上げるとコナーから死角になるところであくびをかみ殺しているシュクル・スリーズを睨みつつ、声をかけた。

「お主はどう思う、シュクルよ」


 わざわざ許しを得て発言するなどという煩わしい事をした記憶すらないシュクルは、礼儀正しいコナーに敬意を抱いていたが、今回の件で話が冗長に過ぎる点についてはシルフィードの将官中、最低な人物であるという評価が彼の中で固まったところであった。

(まさに「話し出したら止まらない」とはこの事だな)そう思った。そしてコナー自身がそれを自覚している事も。だからシュクルはコナーが憎めなかった。自分で自分のことをよくわかっているからこそ、コナーは普段、滅多に自分から意見を言わないようにしているのであろう。いくつか場に意見が出揃い、その中の一つが自分の意見と一致した場合、意見を求められれば簡潔にそう言う。一致せずとも親しい意見に沿った答えを簡潔に述べる。そうやって普段は自分に規制をかけているのである。

 つまりシュクルはコナーという人物を好ましいと認めたのであった。だが、同時にコナーの幕僚にだけはなりたくないと心から願いもした。


「ええっと」

 シュクルはガルフに意見を請われて、改めて書簡を手に取り、その文章を吟味する「振り」をした上で、自分の上官に声をかけた。

「カイエン元帥、少々お耳を拝借したく」

 声をかけられたトルマは、あからさまに嫌そうな顔をした。

「何だ?」

「ここにはこう書いてあるんですが」

「だから何だ?」

「大賢者」

「うむ」

「エレメンタル」

「うむ」

「秘密っぽいシルフィードの軍人」

「うむ」

「あの人と、あいつと、あの方ですよね?」

「うむ。まあ、そうだろうな」

「この船に上げて、何か問題がありますかね?」

「あると言えばある。だがしかしそれはちょっとここでの議論とは別の問題だな。少なくともインクライン提督が危惧するような危険であるとか、国際情勢的に危うくなるとか、カラティア朝の危機とか、戦意喪失で敗戦とか、そういう問題は一切ないであろうな」

 シュクルはガルフに向き直り、慇懃に礼をして見せた。

「私の意見は、以上です」


 茶番とも言えるやりとりを聞いたコナーは、当然ながら驚きを隠さずシュクルにくいついた。

「まさか、貴官は相手を知っているというのか?」

「知っているというか、最近会ったばかりというか」


 そんなシュクルとトルマのやりとりに驚いたのはコナーだけではななかった。シュクルとトルマ以外の全員が色めき立った。

「なんですって?」

「会った事があるというのは、本当なのですか?」

「そんな重要な報告は一切受けておらんぞ」


 シュクルはこうなる事態を当然ながら想定していたようで、きわめて落ち着いた顔で、いや、むしろ微笑さえ浮かべた。そして次の瞬間、全てをトルマに放り投げた。

「お会いになったのはカイエン元帥であらせられます由」

「な! 貴様も会っただろうが!」

「これはしたり。自分は副官として元帥の護衛の任についていただけであります」

「ぐぬぬ、どの口が言うか、この!」


 ティルトールとエイル達が会見の承諾を伝えられたのは、それからずいぶんと時間が経ってからであった。

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