第九話 妨害者の正体 5/5

「悪いけどオレもそう思うよ、クレムラート将軍」

 エイルがニームの後を継ぐように、静かに声をかけた。

「どちらかというと、オレもこの世界に来てから、いやフォウにいるときからずっと、流されているというか、指示待ちのような感じで生きてきたから、ニームのいう事が胸に染みるんだ。でも今は違う。オレは自分でやろうと思う事を決めた。だからブレない。間違っているとか正しいとか、そういう事を考えてたら前に進めないから、やることを決めたなら、それに辿り着く方法を考えようと思いはじめた。リーゼはそんなオレを応援してくれると言っている。同じ目的を共有してくれたんだ。だから安心しているし、頼りにもしている。だからリーゼはオレが居なくても、その目的の為に動くと思う。いや、思うじゃなくて確信している。だってやることは決まってるんだから。ニームが言った『腹をくくれ』っていうのは自分の目標に自信を持てってことじゃないかな。将軍はシルフィードの女王に忠誠を誓ってたんだろうけど、今は違うんだろ? だったら胸を張って、女王に対して新しい目標を告げてみせろって話だよ。それにさっきその決心をしたからこそ、ミリアの話を掘り下げる前に、イエナ三世の事を決めてしまおうと思ったんだよな」

 ティルトールはじろりとエイルをにらんだ。

「言ったな、小僧。これは戦争なんだぞ? 俺は数万人の命を預かっている」

「戦争だからだろ!」

 エイルはドンっと机を叩いた。


「人が死ぬのが怖いなら、そもそも軍を率いたりするんじゃねえよ、オッサン」

 いきなり口が悪くなったエイルの態度に、さすがのニームとテンリーゼンも、驚いた様子を隠さなかった。

「人が死ぬのを見たくないのなら、そもそも戦争とかしてるんじゃねえよ! 軍人なんかになるんじゃねえよ! あんた中将なんだろ? オレは軍隊の組織とかよくわからないけど、中将ってのは相当偉いんだよな? だったら偉い人間は偉いなりのことをしてみせろっていう話だろ? 要するに命を預かっているっていう自覚をもって、それでもやるべきことをやれって言ってるんだ。そんな覚悟もないってんなら、オレがイエナ三世側についてアンタの第三勢力とやらと潰してもいいんだぜ? 言っとくけど、オレ、今、ヤな奴のこと思い出してめちゃくちゃムカついてるんで、相手が何万、何十万いようと、一瞬で灰にしちゃうと思うよ? エレメンタルの力、伝説か何かで聞いてるでしょ?」

 エイルはそこまでを一気にまくし立てると、大きく息をついた。


「そうなると、炎だけでなく、風のエレメンタルも、加勢する。中将には万に一つも勝ち目はない」

 驚きからいち早く立ち直ったテンリーゼンが、そう言ってエイルの話を締めた。

「小僧」に言いたい放題言われた格好のティルトールは、反論をしなかった。静かに腕を組んだままテーブルを挟んで座る三人の顔を順番に眺めていった。

 そして最後にテンリーゼンを見つめると重い口を開いた。

「わかった。異界人かエレメンタルかしらんが、ガキにいいように言われてはらわたは煮えくりかえってはいるが、さすがにここまで言われてこれ以上逡巡する訳にもいかん。俺も自分の中将という肩書きには誇りを持っている。もとより自らの選択に迷いなどない。ならばその話、乗った」

 ティルトールがそう言った時、横合いから安堵のため息が聞こえた。

 見るとそこにはジナイーダが青い顔をして立っていた。

「どうした、ジーナ。顔色が悪いぞ」

 真顔で心配するニームを、ジナイーダはじろりと睨んだ。

「ここで決闘が始まったらどうしようかと思いましたよ」

「も、問題は無い。そうなっても将軍は我らに指一本触れることも出来ぬよ」

「それはそうですが」

 ニームの言葉に即答するジナイーダに、ティルトールが抗議を込めて問いかけた。

「『それはそう』、なのか?」

 問われたジナイーダは申し訳なさそうに目を伏せてみせた。

「この部屋に入られた時点で、何もかも大賢者さまの掌中にありますゆえ」

 ティルトールはそれを聞いて苦笑した。

「自慢の剣技も大賢者さまの前では存在せぬも同様なのですな。いやはや、つくづく敵に回したくないものですな」

 今度は、それを聞いたテンリーゼンが反応した。

「純粋な剣技でも、我々の、圧勝」

 だが、これにはティルトールも反応した。

「少将の神速については伺っているし優勢は認めよう。だが、さすがに俺と一対一で圧勝はない、と思いたい」

 だが、テンリーゼンはすました顔で首を横に振った。

「なんの話、だ?」

「え?」

「私ではないぞ」

「ええ?」

 テンリーゼンは横に座るエイルを指で指し示した。

「中将では、剣技でも、エイルに敵わない。これは贔屓目ではなく客観的な判断」

「おい、リーゼ」

 要らぬ事を口にするなと言おうとしたが、自分を見つめるテンリーゼンがにっこりと笑ったのを見て言葉を失った。


「だから試闘は勧めない。納得がいかないのならリリアに会っ時にでも、聞いてみればいい。間違いなく私と同じ事を言う」

「うぬぅ」

「いやあ、その」

 ティルトールは射殺すような視線をエイルに向けたが、先ほどと打って変わってエイルはへらへらと笑うと視線を逸らした。

 もちろんティルトールに目の前の瞳髪黒色の小柄な男が屈強の剣士を打ち負かすほどの手練れには見えなかった。

「彼は異界人。そして異能者。ファランドール世界の物差しでは測れない剣技を持っている」

 エイルはテンリーゼンのその評価に鼓動が跳ねた。かつて一度だけ見せた自分の剣の腕前を見て、テンリーゼンはそう判断したのだろう。もしあれだけでエイルの剣技を看破したのだとしたら大した洞察力といえる。


「ならば問うが、少将とこの黒髪の小僧が戦っても、この小僧が勝つというのか?」

 テンリーゼンは意外にもこの問いにしばらく考え込むそぶりを見せた。それが皆の好奇心を煽ったのか、その場の全員が固唾を呑んで答えを待った。

「初手が防がれたら、たぶん私は勝てない」

「いや、お前のその初手が大問題なんだって」

 テンリーゼンが口にした答えに、エイルは反射的にそう応じてしまった。

「だから、思いっきり、行く」

「いや、来なくていいから!」

 胸のあたりで拳を握るテンリーゼンに、エイルは本気で懇願していた。

「でも、リリアが相手なら、エイルは楽勝」

「楽勝というほどでもないと思うけど」

 話題を変えたテンリーゼンに、エイルは思わず思ったそのままを口にした。直後に「しまった」と思ったが、既に遅かった。

「リリアよりも明らかに強いというのか?」

 それはエイルに向けられた問いかけだった。

「下手な謙遜は、しない方がいい。それは、リリアに対する、冒涜だ」

 テンリーゼンは涼しい顔でエイルにそう言った。

「アルヴ相手に謙遜すると、それは謙遜にはならず、かえって誇りを傷つけられたと思うから」


 そうだった、とエイルは思い出していた。アルヴに対して過剰な謙遜は徒になるのだ。

「お前自身はどう思うのだ?」

 重ねて尋ねるティルトールに、エイルは心底困ったという顔をして言葉を選んだ。だが気の利いた言い回しに辿り着く事はなかった。

「一対一であれば、という条件付きですが、十回戦ってもオレが十回勝つと思います」

「あの、試闘無敗のリリアにか?」

「実際に戦ったことはありませんから、たぶん、ですけど」

「なるほどな」

 ティルトールは立ち上がるとテンリーゼンに右手を差し出した。

「今から幕僚達を説得せねばならん。後ほどまた来る」

 差し出された二人の手は赤子と親ほどの差があった。アルヴとアルヴィンの差はそれほど大きい。

 だがエイルにはテンリーゼンの堂々とした様はティルトールと比べても遜色がないように思えた。短い時間ではあったが、会見の中でエイルは何度も初めてのテンリーゼンを見た気がしていた。そして改めてこう思っていた。

「世が世なら、本当に女王なのだな」と。


「では最後に」

 握手を終えたテンリーゼンが口を開いた。

「覚悟を決めた中将に、褒美をやろう」

 テンリーゼンの口調が気になったのは、エイルだけではなかっただろう。だがそれについて言及するものはおらず、むしろその直後にテンリーゼンがとった行動に注意が集まっていた。

 テンリーゼンは懐から手拭いのようなものを取り出すと、それでいきなり顔を拭いはじめたのだ。

 何事かと思って凝視するティルトールの前で、テンリーゼンはうつむいた格好でしばらくゴシゴシと顔を拭っていたが、やがて適当に見切りを付けたのか、そっと顔を上げると、髪を一つに束ねていた紐を解いた。

 そして目を見開いて自分を見ているティルトールに、静かに告げた。

「私はイエナ三世の、正体を知っている。そしてイエナ三世は、私の正体を知っている」


 初めて目の当たりにするテンリーゼンの素顔を見ても、たティルトールは銀髪のアルヴィンがいったい何の事を言っているのかがわからなかった。

 だが黙して数秒後、大柄なアルヴの将軍はその両膝を床に着けて深々と頭を垂れていた。

 目の前の顔が既知の人物と酷似、いや合致している事を認識したのだ。


 思い返せばテンリーゼンは既にティルトールに対して手がかりを示していた。それはどさくさに紛れたようなテンリーゼンの一言で、だからこそほとんど気に留めていなかったのである。

 しかし確かにはっきりとこう言ったではないか。

「そうなると炎だけでなく、風のエレメンタルも加勢する」と。

 あれはエルネスティーネの加護があるという意味ではなかったのだ。本人がただ、決心を告げていたのである。

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