第九話 妨害者の正体 4/5

「慌てなさんな。リリアがそう言っていたというだけで俺はそれ以上の事は何も知らない。だから質問しても無駄だ」

 ティルトールが制した事により、中腰になっていたエイルとニームは椅子に腰をおろす冷静さを得た。だが、少し離れているにも関わらず、エイルにはニームの怒りと憎悪の圧力のようなものが感じられた。

 当然のようにティルトールは残りの言葉をそんなニームに向かって続けた。

「その辺の事実確認も兼ねて、リリアはどうしてもヘルルーガに会おうとしているという訳です」


「複数ある第三勢力か」

 エイルはそうつぶやいてから、ある事を思い出した。思い出したくない出来事と同時に得た記憶の中に、その言葉に類似するものを見つけたのだ。あまり取り出したり吟味をしたりしようと思わなかった引き出しだから、忘れていたといった方が適切であろう。だが、今それを思い出した。

 それはアキラが自らの正体を明かした時に告げた、彼の「王」の名前と供に。

「俺が知っているの名前は確か……」

 エイルは頭に手を当てて記憶を探った。

「そう。ペトルウシュカだ。エスカ・ペトルウシュカ。将軍はその名前に聞き覚えは?」

 エイルにしてみればヘルルーガとは別の陣営としてのエスカが現時点でどうなっているのか、その状況を知りたいと思ったのだ。その質問をする相手としてティルトールは申し分なかった。


「あの時」アキラの申出をいったん断ったエイルだが、今は違う。イエナ三世と会談して、その向かおうとする場所と目的を聞き出したら、その次に会いたい人物の一人としてエスカの事は漠然と考えてはいたのだ。

 だが、エイルの質問はティルトールではなく、別方面に、より強い反応をもたらした。

「お主、エスカを知っているのか?」

 食いついてくるニームの必死の形相に、思わず体をのけぞらしたエイルだが、ニームとエスカという名前の組み合わせにも記憶の引き出したがある事に気付いた。

「そう言えばエスカというのは確か……」

 ニームはうなずくと、自分の腹に手を当てた。

「我が夫であり、この子の父の名だ」


「ちょっと待ってくれ」

 そのやりとりを聞いていたティルトールが二人の会話に割り込んできた。

「話を聞いていると、ヘルルーガ以外にも、本当に別の第三勢力があるというのか? そしてその首謀者をあんたらは知っていると?」

「いや、そうではないかもしれん」

「というと?」

 ニームは中指でこめかみを押すような仕草をすると、ティルトールではなくジナイーダを見つめながら言葉を継いだ。

「ベーレント少将とエスカの陣営が別、とは限らん」


 ニームが言わんとしている事をエイルは理解した。

 シルフィード王国軍の将軍であるベーレント少将が、独自行動を取る理由。それがティルトールと同じである可能性は低いのではないか。いや、ひょっとしたらその可能性は否定しないが、それ以前にティルトールがアプリリアージェに会うことで第三勢力になろうと決心しのと同様に、ベーレント少将がある人物に出会う事により、自らが第三勢力になる道を選んだのではないかという推理である。

 エイルにとってエスカという人物は未知の存在である。だが凡庸な人間でないことは確信していた。なぜなら「あの」ミリア・ペトルウシュカの血を分けた弟である事、そして人物の高潔さをよく知るアキラ・エウテルペが「王」と賞する人物なのである。あまつさえ正教会の大賢者を名乗る人物を妻とし、子までなす男である。それが凡庸な人物だと考える方がおかしいと言える。


「それは興味深い話ですな。リリアがご執心なのも、相手がヘルルーガではなく、その向こう側にそれなりの人物像を予想していたから、ということなら俺も納得できるというもの」

 ティルトールの推測には、エイルも同意できた。アプリリアージェなら絶対に会いたいと思うはずであった。敵になるのか味方なのかを、直接会って判断するにちがいないと。

 だが。

「将軍はさっきリリアさんが妨害を受けたって言ってましたね」

 ティルトールはうなずいた。

「それって、両方の事をよく知ってる奴だから邪魔してくるんでしょうね?」

「うむ」

 エイルが言わんとしている事をティルトールも理解したようだった。そう。「もう一人いる」のだ。この戦争に影響を及ぼす、いや及ぼせるであろう人間が。それもただの軍人などではない。スカルモールドを操れるかもしれない人物なのだから。


「リリアは『拒否された』でも『会ってくれなかった』でもなく『妨害された』と言っていた。つまり両方を知る別の存在がいるのは間違いないだろう。ただしリリアの護衛として付けていた者に話を聞いたところによると、妨害してきたのはリリアの知り合いのようだったと言っていた。そこが気になる。あとは『こんな所にいるより留守宅を心配しろ』という意味の言葉も聞いたそうで、リリアはそれを聞いて顔色を変えて戻ってきたら……」

「スカルモールドが現れる事件が起きていた、ですか?」

 そのとおりだ、という風にティルトールがうなずいた。

「信じられない事だが、リリアが言うように、妨害してきた連中がスカルモールドを操れると考えた方が辻褄があうだろう。つまりとんでもない連中が両陣営の接触を阻止しているということになる。こうなると本当に今ある情報だけでは俺としても何も判断できんのだ。はっきり言って俺にはわけがわからん」

「オレ、ひょっとしたら邪魔してきた相手に心当たりがあるかもしれません」

「なんだと?」

 エイルはチラリとニームに目をやった。

「私もたぶん、お主と同じ人間の事を考えていると思う」

 ニームの言葉にエイルはうなずいた。

「会ったことがあるんだったな?」

「思い出したくもない奴だが、忘れるはずもない。抹殺すべき人間の名簿を作れと言われたら、私はあやつの名を真っ先に記載する事を誓おう。いや、絶対書かせろ。むしろ奴の名前で一冊仕上げてやる」

「オレはこの世でもっとも関わり合いたくない人間の名前を挙げろと言われたら、あいつの名前を真っ先に挙げると思う」

 ジナイーダも、既にその名に辿り着いていたようで、二人のやりとりに小さくうなずいてみせた。


「そいつはいったい誰だ? まさかとは思うが、リリアでも危ない相手なのか?」

「残念ながら」

 エイルは目を伏せた。

「でも、話を聞く限りだと、リリアさんは妨害相手が誰かを知った上で、ヘルルーガ将軍の陣営に向かったんだと思います。なるほど、それに比べたらイエナ三世の来訪など『そんなこと』と言うはずですよ」

 ティルトールは鼻を鳴らした。

「だから、そいつは誰なんだ?」

「ある意味で有名人です。将軍も名前くらいは知っていると思いますが」

 そう言われてもティルトールにはまったく予想もつかなかった。ニームはエイルに目配せをすると、口を開いた。

「ドライアドの公爵。ペトルウシュカ公ミリアだ。どうだ、名前くらい知っておろう?」

 ミリアの名を聞いたティルトールだが、もちろん腑に落ちたなどという表現とはほど遠い反応を見せた。

「ドライアドの北方にある白の国エスタリアの有名なバカ殿、という事くらいは知っているが……そんな奴がなぜ?」

 だがニームが冗談を言っているのではないことはティルトールにもわかっていた。険しい顔でじっとティルトールを見つめているのだ。

「我が夫の兄の名だ。ふふふ、バカ殿だと? まったく。私をはじめ、ほとんどの人間はあの男にダマされていたということだ」


「何者なんだ、ミリアという男」

 ニームの言葉の背景にただならぬものを感じつつそう問いかけたティルトールに、今度はエイルが答えた。

「あいつは地精。大地のエレメンタルです」

 これにはティルトールも絶句した。

 そして今までの状況を咀嚼し、彼なりに整理するのに優に十秒ほどを要したあとで、エイルに向き直ると、自分を落ち着かせるように目を伏せ、息を整えて一つの質問を投げかけた。

「さっきの質問の答えだが、やっぱり聞かせて欲しい。お前さんはいったい何者なんだ?」


 エイルは苦笑した。そこまで自分に興味を持ってくれる相手に対し軽い感謝の念が湧いていたからだ。

 そして同時にティルトールが出した一つの結論に協力しようと改めて決心していた。

 その「別の第三勢力」とやらの話も気になる。だがティルトールがアプリリアージェに託された目の前にある問題、つまりイエナ三世来訪時の対処について具体的な行動をとる事が最優先事項だと判断したのだ。

「なんというか、オレの言葉を信じてもらえる事が大前提なんですけど」

 エイルはそう前置きを置いてから続けた。

「まずオレはこの世界、つまりファランドールの人間じゃありません。こっち側の住民、たとえば将軍がフォウと呼ぶ異界からやってきた者なんです」

「は?」


 案の定、何言ってんだこいつ、的な表情になったティルトールが声を上げるのを制し、エイルはニームに自分にかかっているルーンを解除するよう頼んだ。

「しかも異界の姿そのままだとこの世界ではちょっと目立つ風貌らしくて、ルーンで色を変えてました」

 一瞬で髪と瞳の色が変わったエイルを見て、当然のようにティルトールが目を丸くした。

「まさか……お前はピクシィなのか?」

 そしてすぐにかぶりを振ってニームに顔を向ける。

「いやまて、ルーンを解除したんじゃなくて、今ルーンを使って黒くしたんじゃないのか?」

 そんなティルトールに、ニームはため息をついた。

「無理もない反応だが、それにいったい何の意味がある? エイルの言っている事は本当だ。エイルは信じろと言っただろう? だからここは取りあえず信じろ。それに話はまだ終わっていないようだぞ」

 ニームにたしなめられて、ティルトールはエイルに顔を向け直した。


「ええっと、それからオレは、どうやらこの世界に一千年に一度現れるといわれている、その、エレメンタルという者らしい」

「なんだと?」

 さすがにその場で立ち上がったティルトールを、今度はテンリーゼンが制した。

「クレムラート中将、耳がじんじんする。それから、エイルを信じろ」

「むむむ」

「どうじゃ、将軍。炎精がシルフィードの女王と話がしたいと大賢者に頼み込んだのだ。この案件であれば、イエナ三世に謁見を申し出るのに充分な理由になるとは思わんか?」

「確かにエレメンタル出現となれば極秘会談の理由には充分でしょう。しかし我が陣営と女王陛下との軋轢を避ける為の道具にはなりませんな」

「道具というものは使いようであろう?」

 煮えきれないティルトールにニームは事も無げにそう言った。

「私もこの一見するとアルヴィンの剣士が企んでいる事で、お主達の陣営は安泰を約束されると確信しているが、将軍がどうしても保険が欲しいというのであれば、『炎のエレメンタル』をだしに使ってもいい、という事だ。先ほども言った『大地のエレメンタル』の存在についても同様に、それだけで大問題であろうが、どちらにしろウソはつかんでいい。お前達はお前達の主張を述べれば良い。大地のエレメンタルの方はともかく、炎のエレメンタルはそれに賛同している。ノッダの軍隊に対してもちろん敵意はないし戦う意思はない。必要であれば彼らに補給は行うし、同盟軍が制圧した地域については通行の安全も保証する。それでも断罪するというのであれば降りかかる火の粉を払うまで。とまあ、こんな感じでいいのではないか? この状況で戦争をしようなどと思う愚者はそもそも一国を治めるに足る器ではない。ドライアドに代わって殲滅するのもありであろうな。そうなればもちろん炎のエレメンタルは同盟軍側につくのだからな」

「いやいやいや」

 エイルはニームの話をそこで止めた。


「大賢者さま、さすがにそれは我が女王に対してあまりのお言葉かと」

 ニームの過激ともとれる発言にティルトールが異論を唱えようとしたが、それを待っていたかのようにニームは床を踏み鳴らした。

「これはこれは。中将を名乗るほど人物の口から出た言葉とは思えんな」

「なに?」

 それがあからさまな挑発だとわかってはいても、ティルトールは思わずニームをにらみ据えた。

「そうであろう? 将軍はその程度の覚悟もなく、第三勢力とやらを立ち上げたというのか? さっきから聞いていれば、そのリリアなる人物のいいなりではないか? その言い出しっぺがいないと自分では何も決められない。それでよくもまあ大部隊の司令官を名乗れるものだ」

「ぐぬ」

「のう、将軍。そのリリアという女も私と同じ意見ではないのか?」

「なんだと?」

「お前達は皆、実はそのリリアといおう女に試されておるのではないかと聞いておるのじゃ。私なら、自分の考えにいくら賛同しようと、それが一から十まで指示がなければ何もできぬような部隊なら、肉の盾程度にしか使えぬと思うだろうな」

 ティルトールはニームのその言葉にハッとした。

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