第八話 密会 3/3

「その件なんですが」

 エイルは少し上体を乗り出した。

 だがティルトールは手を突き出して制した。

「わかっている。他言はせんよ」

「にしては声が大きすぎませんかね?」

 エイルはティルトールの約束には信頼を置いたが、そう言って肩をすくめてみせた。

「なに、その辺は心配するな」

 ニームはそう言った。

 音漏れがしないルーンがかけられているのはティルトール以外は全員知っていたものの、こうも声が大きいと不安になるのもまた無理もないところであろう。


「聞いてどうするんだ、少将。いや今は二階級特進で大将か? いや、そもそもル=キリアには優先特階があるから大元帥扱いか……まあいい。今まで何をしてきたかは聞かないが、状況を把握したら、また剣をとって戦おうっていうのか?」

 テンリーゼンは首を横に振った。

「それを考えるのは、まだ先の話」

「というと?」

「私達は、知りたい。この戦争の、意味」

 それだけ言うと、テンリーゼンは左肩に置かれたエイルの手に、そっと自分の右手を重ねた」

「ちょ?」

「ええ?」

 驚いたのはティルトールだけではなかった。ジナイーダも同時に声を上げた。だがテンリーゼンは何食わぬ顔でもう一度つぶやいた。

「私達」


「いやいやいやいや」

 いっこうに話が進まないどころか、またややこしい方向に脱線する事が決定づけられるようなテンリーゼンの行動に、エイルは緊張感がすっかり抜けていくのを感じていた。

 打ち合わせとは全く違う。つまりテンリーゼンは遊んでいるのだ。

「あの」テンリーゼンがこういうからかいを行う事自体が驚きであったが、エイルにとって問題なのはここぞという不可避な場面でシレっとそれをやってしまうその才覚だった。

 だが考えてみれば無理からぬ事かもしれない。何しろテンリーゼンは、物心付いた頃からずっと「あの」アプリリアージェの側にいたのだから。

 下手に騒げば騒ぐほど、アプリリアージェの薫陶による脱線力が高まるに違いないと考えたエイルは、ため息を一つしただけで沈黙を守ることにした。


「お前さん、物好きだね?」

 無視して一過性の嵐が通り過ぎるのを待つつもりであったが、ティルトールは許してはくれなかった。

「というか、凄いとしか言いようがないな。何がどうなったらこうなるんだ?」

 ティルトールの視線は二人の重ねられた手に注がれていた。

「私の、一方的な、そう、片思い」

「ちょ?」

「えええ?」


(なんだこの茶番)

 エイルは視線でニームに助け船を要請した。ニームは仕方ないな、という表情をして口を開いた。

「こほん。流れついでに言っておく」

 全員が自分に視線を注いだのを確認すると、ニームはエイルの方をじっと見つめた。そして、ゆっくりと下腹をさすって見せた。

「実は私のお腹には、赤ん坊がおる」

「ちょっと?」

「ええええ?」


「さて、冗談は、これくらいにして」

 騒ぎが一段落すると、テンリーゼンがまた無表情な声でそう言った。

「そろそろ、戦況を、教えてくれないか、クレムラート中将」

 ティルトールは疲れ果てた顔でテンリーゼンを軽く睨んだ。

「その前に聴いておこう。どこまで知ってるんだ?」

 テンリーゼンは素直にその質問に答えた。

 簡潔ではあったが、大まかな流れを黙って聞いていたティルトールは、テンリーゼンの話が終わるとため息を一つつき、椅子に深く座り直した。そして自ら一切の質問をせず、ゆっくりと戦況を語り出した。

「そうだな。じゃあワイアード・ソルにリリアがひょっこり顔を出したあたりから説明するか」


 ティルトールの話はジナイーダも知らぬ事が多かった。

 ピクサリアに訪れた「ワイアード・ソル同盟軍」と「ニルティーアレイの海軍」が「同じ陣営」いや、同じ軍隊だと言っていい事にも驚いたが、何よりもピクサリアにいたシルフィード軍が全滅したのではなく誰一人気付く事無く「同盟軍」に組み込まれたことを喜んだ。

 その後駐留したサーリセルカ少佐だが、ティルトールがその人物に太鼓判を押したことで、残してきた人々に対する不安は解消された。言い換えるならジナイーダはティルトールの軍人としての人柄に信頼を置いていたのである。


「ワイアード・ソル同盟軍」、「ニルティーアレイの海軍」に加え、アプリリアージェの陣営にはもう一つ別の呼称があった。それがファルンガ義勇軍である。

 第三勢力の名前を一つに統一せず、バラバラなものと思わせる事がアプリリアージェのちょっとした戦略なのだという。ティルトールはいくつかその理由を挙げたが、一番大きな理由は全く別の「第三勢力」の存在があるという。

「現状では敵か味方かまったくわからん。それを調べにリリアが自分で乗り込んだんだが、追い返されたとかですぐに戻ってきやがった」

 スカルモールドの事件が収束した直後に帰り着いたアプリリアージェは珍しく疲弊していたという。

「供を二人連れてたんだが、戻ってきたときは一人だった。後の二人は気付いたらいなかったそうだ」

 話から察するに、相当急いでシドンに戻ったのであろう。だがスカルモールドの件はよい結果に終息しており、どっと疲労が押し寄せたのに違いなかった。


 アプリリアージェの名前が出るとエイルは色めき立ったが、その当の本人はすでにシドンにはいなかった。ティルトールからスカルモールドを粉砕したジナイーダの存在を聞かされると跡を託し、再び、そして今度はたった一人で出かけたのだという。要するに足手まといはもういらないということであろう。

 だが、ティルトールの言葉で、エイル達が一番驚いたのは、ティルトールが最後に話した情報だった。

 イエナ三世が、船でシドンにやってくるのだという。

 それも一両日中に。


「それって」

「こんな所にいる場合じゃないのではないか?」

「勝手に呼び出しておいてよく言うぜ」

 だが問題は受入れ準備などではない。ティルトールが頭を悩ませているのは、イエナ三世率いるノッダ軍は、ティルトールの部隊を同じシルフィード軍として認識しているからだという。

「遠いところわざわざお越しいただいておいてアレですが、実は俺って第三勢力でした、なんて言えるわけないだろう?」

「リリアさんから何か指示は?」

 エイルの問いに、ティルトールは苦々しく答えた。

「その話をしたらな、リリアは興味なさそうにこう言ったんだ。『そんなのはティルに一任します』だぜ。『そんなの』だとさ。しかも即答だった」


 確かに面倒な話だった。

 シルフィード王国軍ではなく第三勢力だといえば、最悪の展開としては戦闘になる可能性がある。少なくともシルフィード側がはいそうですか、と言って歓迎するとは考えにくい。

 ならばシルフィード王国軍の振りをするという手があるが、末端の一兵卒に至るまで「振り」を貫けるかというと絶望的だろう。

 一切の事情を話して沙汰を待つ手もある。だがそうなるとシルフィード王国の法律が適用されるのではないか。すなわちティルトールにはシルフィード王国を裏切ったという事実により軍法会議で罰せられる事になるのだ。シルフィード王国の法律では、その場合の罰は例外なく死罪だという。

「全員ですか?」

「いや、会議に掛けられるのは下士官以上だろうな」

 というところで煮詰まっているのだという。

 つまりスウェヴは、自軍がそのような窮地にある状況にもかかわらず司令官が司令部から抜け出した事に対して怒り心頭なのだ。事情がわかれば誰もがスウェヴに同情するのは間違いないだろう。


「ということで、だ」

 ティルトールはテーブルを両の掌でドンっと叩いた。

「聞いちまったからには、最後まで手伝ってもらうぜ、ドール、いやクラルヴァイン少将」

 テンリーゼンは珍しくため息をつくと、ティルトールの名を呼んだ。

「ティル」

「なんだ?」

「声が大きい。耳がジーンとする」


(リリアさーん、マジで恨みますからね)

 エイルは一人、脳裏に浮かぶアプリリアージェのとろけるようないい笑顔に向かって呪詛の言葉を吐いていた。

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