第八話 密会 2/3

 ティルトールと知り合ってたいした時間は経ってはいないジナイーダだったが、彼の二人の副官の事はだいたい把握していた。

 階級が上のスウェブはまず将軍ありきの人間で、今現在の彼女の人生はティルトールを中心に回っていると言っていい状況であった。だが彼女は唯々諾々と従う類の部下ではなく、むしろ上官に対する小言が多いのが特徴といえた。ティルトールの副官を務めてそれなりに長いとはいえ、「大音声のティルト」と言えば、周りからは怖れられている豪傑である。それを頭から叱りつけるのだから、推して知るべしであろう。

 それだけではない。反抗するティルトールに対し一歩も引かずに自分の意見の正当性を押し通し、結果としてだいたいティルトールの方がスウェブに言い負かされるのだから、他の幕僚や兵達にはスウェヴこそが、部隊で最も恐ろしい存在だと認識されていた。

 それもあってもう一人の副官は圧倒されるか罵倒されたあげく、見かねたティルトールによってすぐに異動させられるのが通例であった。

 最近赴任してきたアンデルは、アルヴとしては珍しく持ち前の気の良さがにじみ出るような、要するにティルトールをして「軍人としては多少なりとも疑問を抱かざるを得ない性格の持ち主」と思わざるを得ない人物であった。

 ただ、評判はいい。

 実戦経験こそ少ないものの、数年に一度行われる戦術評議会で一席を取ったこともあり、部隊を率いる知識は相当なものだと言われていたのだ。

 スウェブ・イヴォーク少佐ははその辺りについては正当に評価しており、時折交わす戦術や戦略に関する議論などからもアンデルの能力を買っているようで、ティルトールには、自分よりもアンデルの方が作戦立案能力は上だと伝えてさえいた。実際にティルトールには「もしもある戦局において二人の副官がそれぞれ違う意見を述べた場合は、迷わずアンデルの策を選ぶように」とまで申し出ていたという。

 妬みや色眼鏡で相手を決めつけず、長所は正当に評価するスウェヴだからこそ、ティルトールが彼女を副管としてに気に入っているところである。周りから怖れられてはいても嫌われないスウェブの持ち味とでも言うべきであろうか。

 唯一問題があるとすれば、それはスウェブの情感に対して抱いているある種の「思い」であろう。もちろんティルトールもそれには気付いているに違いないが、本人にはその気は全くないようで、ジナイーダが水を向けても「あれの相手にはアンデルがいいと思うのですが」という始末だった。


 ティルトールの言葉を借りると、アンデルはまったく違う気質ながら、彼の本質の部分はスウェブに似ているということらしい。何度首を絞められようが怒鳴られようがスウェブの下に付いていることを嫌がるどころか、アンデルはそんなスウェブを好ましい人物だと素直に尊敬している事を知っているからだ。

「スウェブにいくら脅されようが、首を絞められようが、ウソやごまかしはもちろん、反対意見を堂々と言えるのはあいつが初めてですからな。あれはお互い、自分の欠けたところを補い合える、いい夫婦になるとおもうのですがな。わっはっは」

 わっはっはじゃないわよ、と思いながらもあながち的外れでもないのかもしれないとジナイーダは思うのだ。

 そんなことよりも、ティルトールと話をする時、特に談笑などしようものなら、スウェブが射殺すように睨んでくるのだけは止めさせて欲しかった。


 さて、通された部屋に入ったティルトールは、自分が見た書簡がいたずらでなかったことを確認する事となった。

 部屋にいたのは三名だった。

 三人とも立ったままでティルトールを迎えた。

 向かって左端に立っている長めの茶髪を一部結んだ少女は、一見アルヴィンに見えるが、どうやらアルヴィンの血がかなり勝ったデュアルであろうと思われた。

 右端に立つのは髪の色も目の色も濃いめの茶色をしたデュナンの青年で、ティルトールはそのどちらとも面識はなかった。

 問題は中央で静かに立っていた小柄な人物である。

 その人物とは、ティルトールがよく知っているどころか、シルフィードの軍人であれば知らぬ者はいないほどの有名人であった。ただし、噂はさておき、名前以外の正しい情報を知っている者はほとんどいない。

 その人物とは、まさしくル=キリアのドールであった。

 例によって戦闘用の入れ墨で顔中が禍々しい模様で埋まってはいた。顔がわからぬ程に模様が描かれていてはよく知りもしない相手が果たして本人かどうかは怪しいものだったが、それでもティルトールはその銀髪のアルヴィンが「あの」ドールである事を直感していた。


「これは驚いたな」

 この言葉を口にしたのはニームだった。

「いや、ここで使うべきは驚愕よりもむしろ感服という言葉だな。この状況で顔色一つ変えぬとは。さすがは大音声のティルトと怖れられる名将よの。それともこのドールのようなアルヴィンが、端からニセモノだと決めつけてやってきたか」

 子供にしか見えない見た目で尊大な物言いをするニームに、しかしティルトールは不快な色をおくびにも出さなかった。

「いえ、正直に申し上げて非常に驚いておりますが、なんと申しますか、最近はこのような事態はもう慣れっこになってしまったというか、またかよ、というか」

 ティルトールはそういうと頭を掻いて見せた。

「ほう。お主、面白い事を言うな」

 そう答えるティルトールにニームは興味を持ったようだった。しかしジナイーダがしびれを切らしたように叱責した。

「ニームさま。まずはご挨拶を」

「う、うむ」

 身を乗り出していたニームは咳払いをすると、背筋を伸ばした。

「突然の呼び出しに、遠路はるばるご足労いただき、感謝する」

「ニームさま」

「なんじゃ?」

「司令部とここは、同じ敷地内です」

「そうだったか」

「そうです」

「こほん」

 ニームは空咳でごまかすと、自分達の自己紹介をした。自分が大賢者である事、エイルはその護衛の剣士で炎のフェアリーである事、そして「ドール」は本物である事を伝えると、互いに席に着くように促した。


「いや、まだ私の自己紹介が終わっておりませんが」

 ティルトールがそう言うと、ニームは首を横に振った。

「将軍の事はよく知っている。というかそもそも堅苦しい挨拶などどうでもいい。ジーナがうるさいので一応形式だけ整えたに過ぎん」

「ニームさま?」

「こほん。つまりなにが言いたいかというと、お互い時間に追われる身。ついては単刀直入に要件を入ろうということだ。実はお主に頼みがある」

「いきなりですな」

「だから単刀直入、と言ったであろうが」

「ふむ、なるほど。で、頼みと申しますと?」

 ティルトールは尊大なニームの態度に多少戸惑いながらも、自称正教会の大賢者の顔を立てることにして素直に席に着いた。とはいえニームのいう事を疑っていたわけではない。賢者であるジナイーダが傅く相手なのだ。それは大賢者を於いて他にあるまいと考えるのが妥当、いや正しい思考であろう。


「頼みとは、他でもない。最新の、戦況が、知りたい」

「は?」

 ティルトールは我が耳を疑った。

 それは今回の降って湧いたような突然の会談において、彼が初めて疑いを持っ、いや混乱した瞬間であった。

「ええええええ?」

 ティルトールは今の言葉が目の前のアルヴィンから発せられたように思えたのだ。いや、確かに声のする方向は真正面であったし、声色も大賢者とは違う。何より男の声ではないから右にいるやや目つきの悪い茶髪のデュナンでないことは間違いない。ジナイーダかもしれないというもはや無理手としか思えない曲解を捻出するほど……つまり驚いていた。


「お、お主、しゃべれるのか?」

 数秒後、事実を受け入れる決心をしたティルトールは、無表情……かどうかすら入れ墨でわからないのだが……な「ドール」ことテンリーゼンに問いかけた。

「自分を信じろ」

「いきなり無茶を言うな、てめえ。あの『ドール』が普通に人間の言葉をしゃべるだなどと、信じろと言う方がどうかしてらあ。考えても見ろ。いや想像してみろよ。俺がこの後司令部に戻って『今さっき、あのドールとお茶しながらお話までしちゃった』とか言ってみろ、幕僚達は路頭に迷い、俺は錯乱した司令官としてイヴォーク少佐に寝台に縛り付けられるに決まっている」

「こほん、恐れながらクレムラート将軍」

 横合いから咳払いがして、ジナイーダが声をかけた。

「落ち着いて下さい。自我が崩壊しつつあります。あと、声が大きいです」

「くくく」

 笑い声はニームだった。

「こんな事は慣れっこになっていたのではないのか? またかよ、ではなかったのか?」

 ニームはティルトールの混乱ぶりに溜飲を下げたようで、満面の笑みを浮かべていた。それを横で見ていたエイルは、その凶悪な笑い顔に既視感があった。

 ズキンと鳩尾の奥が痛んだ。エイルは腹のあたりを上着ごとぐっと握り締めると、ニームを諫めた。

「それくらいにしておけ」

 そしてテンリーゼンの肩にぽんと手を置くと無言で続きを促した。


「クレムラート、中将」

 テンリーゼンは抑揚のない声で呼びかけた。

「な、何だ?」

「耳が、ジーンとする」

「え?」

「それはさておき」

「へ?」

「返答はいかに?」

「返答って……」

 

 受けた衝撃があまりに大きかった為か、ティルトールはテンリーゼンの頼みをすっかり忘れていた。

「戦況だ。将軍は、ここで、何をしている? ここ、シドンは、ニルティーアレイの海軍が、実効支配していると聞いたが、ならばその責任者たる将軍は『何もの』なのか?」

 小さいが、良く通る澄んだ声だと、ティルトールは思った。硬い音が鳴るリリスではなく、薄い磁器の杯に氷を投げ込んだら、ちょうどこんな音になるのではないかと思った。だがそんな事は些細な事だった。

 問題は……。

「女だったとは。もしやそれを隠す為に周りを謀り、喋れるのに喋らなかったと言うのか?」

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