第七話 新たな目的 3/3

「聞き忘れたけど、シドンに駐留している軍って?」

「『ニルティーアレイの海軍』です」

 エイルには、いやニームも初めて聞く名称だった。だが、黒猫を膝に乗せて、今までずっと沈黙を守っていた銀髪の少女がそこで初めて口を開いた。

「ニルティーアレイが、動いた?」

 その言葉を聞いて、エイルとニームは同じ行動をとった。すなわちテンリーゼンとジナイーダを交互に見比べたのだ。

「知っているのか、リーゼ?」

 リーゼはうなずいた。

「海賊、だ」

「なんだって?」

 海賊という言葉に気色ばむエイルを、テンリーゼンが珍しく手を挙げて制した。

「それで」

 そのままジナイーダをじっと見つめて短くたずねた。

「彼らの、司令官の、名前は?」

 テンリーゼンのその態度を見て、エイルはすぐに思い当たった。よく考えずとも当然の結論がそこにあった。

 ニルティーアレイを知っているのだから、テンリーゼンならそれを率いる人間の名前を知っている可能性が高い。それがわかればここの安全性、いやテンリーゼンが自身の素性を明かすかどうかは自ら判断できるというものだろう。


「クレムラート将軍。彼はそう呼ばれています」

「ティルトール・クレムラート、中将か」

 テンリーゼンはそうつぶやくと、ゆっくりとした動作でエイルを見やった。

「信頼、できる」

「中将って、まさかシルフィード軍の人間なのか?」

 テンリーゼンはうなずいた。

「王国軍陸軍中将。二つ名は『大音声のティルト』」

「ああ!」

 テンリーゼンの言葉に、ニームがポンっと手を打った。

「思い出した。あの男か!」

 エイルは司令官を知る人物がもうひとり名乗りを上げたことに驚いた。

「ニームもそいつを知っているのか?」

 エイルの問いかけに、しかしニームは複雑は表情をしてみせた。

「いやまあ、知っているというか見た事があるというか、その程度だがな。しかしあやつは私が見る限り、分裂したシルフィードでもイエナ三世側、それもわかりやすくかなりべったりとした忠臣に見えた」

「ニームの、その見立ては、極めて正しい」

 テンリーゼンは即座にニームの意見を肯定した。さらに自らの意見を加えることでそれを補強した。

「あの男が、国王を裏切るはずは、ない」

 だがニームは、そんなテンリーゼンをじっと見つめたあとで、意味ありげな言葉を投げた。

「それはイエナ三世が正統な女王であるならば、という前提があってであろう?」

 テンリーゼンはしかし、それには答えなかった。


 ニームの一言で、場に妙な沈黙が生まれた。

 いや、場の雰囲気がおかしくなったと感じたのはジナイーダ一人であろう。感じたのは理性ではなく感性なのだが、それでも場の空気の色を変えるきっかけとなったニームの一言から、ある一つの推論を導き出したのは理性の方であった。

「ええっと……?」

 ジナイーダはそう言うと、自らの推論の向かう先、すなわち銀髪のアルヴィンを見つめた。そして数秒後、

「まさか!」

 思わず音を立てて椅子から立ち上がったジナイーダを、ニームが諌めた。

「声が大きいぞ、ジーナ」

「これはいったい、何がどうなっているのですか?」

「それは、こっちの台詞」

 テンリーゼンは顔色一つ変えずにそう言うと、小さな顔をエイルに向けた。

「とりあえず、クレムラートに、会おう」

 エイルにとってそれは、二つの意味において、意外な言葉だった。

 一つはテンリーゼンが初めて自発的な、それもかなり積極的な行動をとったこと。

 もう一つは「会う」ではなく「会おう」とエイルの意見を聞いたことである。その言葉には「一緒に会う」という意味あいも含まれていると思われたが……。


「いや、しかし」

 エイルは真っ先に浮かんだ懸念を口にした。相手の名前はわかったものの、その思惑はまったくわからないのだ。海賊の指揮官になっているのだからエイルがそう考えるのも当然といっていい。そこに本当の王位継承者がのこのこと出向いていったとして、果たして和気藹々とした実りのある会談が成されるのだろうか?

 だが、そんなエイルの心配をテンリーゼンは首を振って否定した。

「大丈夫。クレムラートに、会うのは、あくまでも、『ドール』だから」

 その言葉にエイルは得心した。

「それに、こちらから、相手の懐に、出向く冒険はしない。場所はここにしよう。あとで、ニームに、ルーンで仕掛けをしてもらえば、安心」

 テンリーゼンはそう言うとニームを見た。

 ニームは突然の指名に驚いた様子だったが、すぐに二つ返事で承諾した。

「ま、まあそうだな。うん。お前の頼みとあらば断るわけにもいかんからな。安全確保については任せるがいい」


「でも、簡単に向こうを呼び出せるのか?」

 それでも不安を消せないエイルに、テンリーゼンは無言で襟を返して見せた。

 襟の裏側にはそれはあった。

 鈍く光る銀翼の矢。

「ル=キリアの部隊章……。リーゼお前、そんなのまだ持っていたのか」

「使えるものは、死人でも使え」

「え?」

「それがリリアの教え」

「ああ。確かにあの人ならいいそうだな」


 死人というのは不吉な言い回しであったが、そもそも公式発表ではル=キリアは戦死した事になっているのではなかったか。さらに大戦の勃発や王国の分裂統治などもあり、事実上分解離散してもいる。死人の名前とその部隊章の両方を「死人」という一言で皮肉ったのだとしたら、テンリーゼンはなかなかどうして、かなり洒落のわかる人間と言えた。

「説明するなら、ル=キリアには優先特階がある。つまりル=キリアで少将の私は、大将扱いで、クレムラート中将よりも地位が、高い。上役に呼び出されて、来ない理由は、ない。もっとも来れば良し。来なければ、その時は、またその時」

 そこまで言われてしまうと、エイルには断る理由が見つからなかった。

「それに」

 テンリーゼンは最後に駄目押しのように付け加えた。

「『私達の目的』の為にも、今、何がどうなっているのかを、できるだけ知っておくべき」

「そうだな」

 エイルはうなずいた。

「じゃあいっちょ、その大声の海賊の指揮官とやらに会ってみるとするか」

「大音声(だいおんじょう)のティルト」

 エイルの言葉に、即座にテンリーゼンが突っ込みを入れた。それもまた初めての出来事であった。同時にエイルはテンリーゼンが意外に細かい所にこだわる性格であるという新しい発見もしたのであった。


「あのう……」

 置いてけぼりを喰らった感のあるジナイーダは引きつった笑いを浮かべるとニームに助けを求めた。

「諦めろ、ジーナ。残念ながらお前はもう、この面倒くさい状況に巻き込まれている。それはもう、首までどっぷりとな」

 ニームはそう言うと肩をすくめてみせた。苦笑とともに。

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