第七話 新たな目的 1/3

 兵の口から出たのは、誰あろう【薄鈍の階(うすにびのきざはし)】ことジナイーダ・イルフランの名前であった。

 ニームにしてみればそれは特別な……そう、突然離れ離れになってしまった友の名だ。

 エイルとエルデから、その消息については聞いていた。確かピクサリアでラウ・ラ=レイの手伝いをしているはずだ。だからピクサリアから遠く離れたこのシドンの地でその懐かしい名を耳にするとは思いもよらなかった。


 ニームの当面の目的は言うまでもなくティアナ・ミュンヒハウゼンの解呪である。だがニームにとって、ティアナが待つピクサリアには別の目的もあった。ジナイーダとの再会がそれである。目的という言葉は適切ではないかもしれない。心から楽しみにしていたと言い換えよう。

 だからジナイーダの名を聞いたニームの驚きは想像に難くない。驚きはすぐに喜びと期待と不安と、そして焦燥が入り混じった複雑な気持ちに変容した。

 会って驚かせたい。何より自分が生きている事を早く伝えたい、だから一刻も早く会いたい。

 だが……。

 ニームはそこでもう声になろうとしているものを無理やり飲み込んだ。

 それは妙な唸り声にも似て、エイル達の耳に届くことになった。


「どうした?」

「いや、なんでもない」


 今すぐにでも駆け出したい気持ちを自ら握りつぶすように、ニームにしては珍しく低い声で応えた。

 彼女をそうさせたのは、エイルの存在であった。

 大切な人と別れたばかりの相手の目の前で、自分だけが大切な人との再会を喜ぶ事など、とてもできようはずがないではないか。

 だが、ジナイーダに対する懐かしさがこみ上げてくるのはどうしようもない。

 ニームはギュッと服の胸のあたりを握りしめ、歯を食いしばってそれを抑えようとした。


 エイルはそんなニームの小さな肩に手をおいた。

「ありがとな」

「え?」

 エイルの思いもしない言葉に顔をあげると、そこには穏やかな笑顔があった。

「だが、そういうのを余計なお世話って言うんだ。いや、むしろオレとしてはここは怒っていい場面だな」

「なんの話だ?」

「喜べよ。素直に嬉しがれよ。何を我慢しているんだ?」

「我慢……など」

「会いたかったんだろ? いや、会いたいんだろ? 違うのか?」

「違わ、ないが」

「だったら会いに行こうぜ。予定より早く会えるなんて、ついてるじゃないか。会って驚かしてやろうぜ」

「しかし」

「そうか。ニームが嫌なら仕方ない。ならオレたちだけで会うだけだ」

 そう言ってエイルはテンリーゼンを見やった。

「わたしたち、だけで、会うだけだ」

 そう言ってテンリーゼンはうなずいてみせた。


 ぽんっと背中を押したのはエイルだったか、テンリーゼンだったか。あまり冷静でなかったニームにはよくわからなかった。


「ど、どこじゃ?」

 ニームは弾き出されるような速度で兵士たちに駆け寄った。

「どこで見た? ジーナ、いやジナイーダ・イルフランはどこにおるのだ?」


 哀れな二名の兵達は、ニームの必死の形相を見て自分達がなにかとんでもない事を口走ってしまったと思い込んでしまった。

 無理もない。真っ赤な三眼を持つ、言わば異形の者ににらみ付けられながら詰問されているのだ。いや、詰問されているのだと認識する以前に、恐怖で正気を失ってしまっていた。つまり、まともに会話が出来るわけがなく、腰を抜かしてヒーヒーと悲鳴のような声を上げるばかりだったのだ。

 そんな兵にニームはしびれを切らし、激昂したまま「とっとと喋れ」と脅迫するものだから、どうにも収集のつきようがなかった。


(やれやれ、どうしてこうなる?)

 ジナイーダの名前が出た際に受けた衝撃はニームと同等であったエイルだが、さすがに数秒後にはニームとはおよそ比べものにならないほど冷静になっていた。どちらにしろまずはニームの興奮を鎮めようと声をかけようとした時だった。


「どうしました? 何かあったのですか?」

 エイルの背後から声がした。

 女の声だ。いや、それよりもまたもや気付かぬうちに背後に第三者の接近を許していた事に愕然としつつ、エイルは反射的に背後を振り返った。

 声の主は崩れかけた建物の陰からこちらを伺っていた。そしてエイルはその顔に見覚えがあった。


「ジ」

「ジーナ!」


 エイルの脇を何か小さな物体が走り去る気配がしたと思った次の瞬間、それは声の主である女デュナンに飛びかかっていた。

 いや、正確には飛びついて、腰のあたりに取り付いたのだ。

「え? ええ?」

 あまりに突発的な出来事に、声の主、すなわちジナイーダは状況把握が出来なかった。ただ正面から尋常ではない速度で何かがぶつかってきて、その勢いで「何か」を抱えたまま真後ろに倒れていくのをゆっくりと知覚していた。

 こんなこともあろうかと、要人のために予め強化ルーンをかけておいて助かった、などと思いながら。


「ジーナ! ジーナ!」

 瓦礫だらけの、要するに普通であれば背中から倒れこんだらおよそ無傷では済まされない状況に陥ったジナイーダは、まずは強化ルーンに感謝すると、状況把握を開始した。

 最初に自分に取り付いた物体は、実は獣ではなく人間のようだという事を認識した。言葉を発しているので間違いないだろう。

 次にその人間がアルヴィンに似た姿の小柄な少女である事も視覚により把握できた。

 だがその少女の顔が涙と鼻水であまりにもくしゃくしゃになっているために、顔が判別できない残念な状況であるという事を理解するのには数秒を要した。なにしろ少女はジナイーダの胸に顔を埋めていて、無理やり引っ剥がすのに骨を折ったからだ。


 エイルはその時の状況を、一部始眺めていた世界で立った二人のうちの一人であった。

 だからニームが顔を上げた時のジナイーダのなんとも言えない表情が、一秒、また一秒と経過するに従って、少女と同じようにくしゃくしゃになっていく様子をつぶさに覚えていた。そしてその後、関係者に請われるままに何度も説明してみせる事ができたのだ。


「ニームさま? 本当にニームさまなのですね?」

「ええそうよ、ジーナ! 会いたかった! ジーナ!」

 とにかく、ニームとジナイーダは涙と鼻水で他人にはちょっと見せられないような顔のまま、互いの名前を呼び合っては抱き合い、顔をすりつけ合い、声を出して泣いたり、鼻水を啜ったりをしばらく続けていた。

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