第八十六話 暴走と暗転 3/5

『あほ』

 エイルは思わず言葉を口に出して、自らの失態に舌打ちをした。

 当然ながらクロスはそれに反応した。

「言葉の意味がよくわからない」

「いや、今のは違う」

「君はなんだか妙だな」

「妙とか言うな。オレは普通だ」

 クロスはエイルの言葉には応えず、テンリーゼンに顔を向けた。

「彼は人との会話中に意味不明な雄叫びを上げることがよくあるのかい?」

 テンリーゼンは特に悩むでもなくすぐに答えた。

「ある」

「即答かよ!」

 エイルは思わずそう声を上げずにはいられなかった。

「勘弁してくれ、意味不明な雄叫びとか上げたことないだろ!」

「訂正する」

 エイルの抗議に、テンリーゼンはすぐに応じた。

「雄叫びはあまりない。だが意味がわからない言葉は よくしゃべっている」

「いや、それ、リーゼが知らない言葉を使っているってことだよね? オレの頭がおかしいように言うの、ちょっと止めてくれない?」

「私は 聞かれたことに答えただけ」

「いや、それはそうかもしれないけども!」


『もうやめとき』

(不毛だって事はわかってるよ。それよりさっきの)

『ああ。何やったっけ?』

(しらばっくれるな。お前、まさか本当にあいつと婚約してたのか?)

『その言い方は違う』

(どう違うんだよ? 婚約してたことは否定しないんだな?)

『ぐう』

(そうか)

『いや、ちゃうちゃう。誤解や。婚約とか一方的な話なんや。婚約せんとオトンとオカンを殺す、言われたら選択肢とかないやろ? 後生やからウチを信じて欲しい』

(なるほど)

 エイルはのど元までこみ上げてきた嫉妬の炎が休息に収まるのを実感していた。

(信じるよ)


 エルデの言うとおり、クロスが異常なのは理解できた。そして今のところ不死身だとしか思えないクロスの蛮行を止める術など幼いエルデにはなかったに違いないのだ。幼いエルデが致命傷を与えたという話も驚きだが、その相手が無傷で蘇ったのを見た時のエルデが抱いた絶望感がエイルにはよく理解出来た。そして今度は自分自身がその絶望感を味わう事も。

『ウチを信じてくれるついでに、一つ頼みがあるんやけど』

(なんだよ?)

『これからウチがやること、言う事に、絶対に従って欲しい』

(いや、待て。何をするつもりなんだ?)

『そろそろ戻る……細かい説明するヒマはないんやけど、これだけは言える』

(何だよ)

『そうせんと、みんな死ぬ。リーゼもニームも、もちろんアンタも』

(なんでだよ? リーゼが斬りかかったからか?)

『ちゃう。ああ、時間がないんや。絶対従って。正直に言うと、リーゼの命もニームの命もどうでもええ。アンタだけは無事でいて欲しいんや』

(おい、そんな事)

『本心や! ウチはアンタが助かるんやったら何でもする。代わりにリーゼを殺せと命じられたら躊躇なくそうする。ニームでもおんなじや』

(バカな事を言うな! そんなの、オレが許すわけ)

『せやったら! せやったら、ウチのいう事に従って欲しい』

(エルデ)

『多分、クロスはみんなをいきなり殺す事は無い。でもあいつなりの理由が出来たら、それこそ何のためらいもなく命を奪うやろ。そやから理由を作ったらアカンのや』

(お前の言うとおりにしていれば、理由は出来ないって事か? 言葉や態度を選べということか?)

『そう思ってくれたらええ。クロスはたぶん、人の心が読めると思う。でも、読もうとはせえへん』

(どういう事だ?)

『相手の言葉と態度を、答えやと思てるから。つまりクロスは人の心というものを信じてない』

(信じてないって、じゃあ何を)

『そやから、言葉と態度や。ああ、もうこれ以上は無理……や』

 エイルは、頭の中からもう一つの意識がすっと抜けていくのを感じた。同時にクロスの腕の中のエルデが小さく声を出し、身じろぎをした。


「おお」

 クロスがそれに気付いて声を上げた。

「意識が戻ったか、我が【白き翼】よ」

 エイルはクロスの「我が」という言葉に思わず反応したが、拳を握り締めるだけで言葉を投げつけるのはなんとか堪えた。その直後、握り締めたその拳を柔らかく温かいもので包み込まれる感触に驚いて顔を向けると、いつの間にやってきたのかそこにはテンリーゼンが佇んでいた。拳を包んでいたのはテンリーゼンの両手だった。手を握られていることにも驚いたが、それよりもいつの間にか拘束が解かれていた事の方が重要だった。

 自分の体が動くことを確認し、さっそく踏み出そうとしたエイルだが、即座にその動きに規制がかかった。今度はクロス・アイリスのルーンではなく、テンリーゼンの物理的な抑止であった。握られていたままの手が、引き戻されたのだ。そして同時に耳元で声がした。

「ここは冷静になった方が、いい。拘束を解かれた意味を、よく考えろ」

 制止をふりほどくこともできたが、エイルはそれを踏みとどまった。そして精霊会話でテンリーゼンが伝えてきた意味を咀嚼した後で、小さくうなずいた。

 クロスが二人の拘束を解いた上で、エルデに対してあからさまに、そしてわざわざ「我が」などという修飾を加えたのは、穿った見方をすればエイルに対する挑発ともとれる。いや、そう考えた方がいい。テンリーゼンはいち早くその可能性をエイルに伝え、エイルもそれに納得したという格好である。


 それにしても大胆な挑発だと、エイルは思った。

 拘束を解くという事は、エーテルが存在するこの空間にいる二人のエレメンタルがその力を解放できるという事だ。エイルとテンリーゼンがそれぞれの攻撃能力を使えれば、亜神にとっても脅威であるはずなのだ。

 ただし相手が普通であれば、という但し書きがつく。

 つまり。

「つまり、オレ達の力なんて全く意に介していないって事だよな」

 ささやくエイルにテンリーゼンは拳を少し強く握ってきた。

「そう思っていた方が、いい」

「この世界に来ていろいろ驚いてばかりだけど、不死身はさすがに反則だろ」

 そう口にしたエイルだが、実はクロス、いや【黒き帳】が本当に不死身だとは考えていなかった。それに準じたものだとしても、それでも何らかのからくり、いや制限や発動基準があるはずだった。

 切りつける程度では死ななかったが、では首を完全にはねたらどうなのだろうか?

 たとえ即死に至る損傷でも、一部の損壊程度なら回復するというのであれば、全身を一瞬で、たとえばエイルの操る炎で灰に、いや蒸発させてしまえばどうか? 気体になればさすがに復活はできないのではないだろうか?

 もしくはエルデ、つまり同じ亜神の【白き翼】が使う特殊な能力と同様なものだとしたら、使用回数に制限があるのではないか? それならばエイルとテンリーゼンが交互に攻撃を仕掛け続け、回数制限を超えるのを待てば倒せるのではないか?

(いやいや、待て)


 短い間に考えついた戦術の中でも回数制限は「ありそう」だと思えた。だが交互に致命傷を与え続けるなどという事が実際に可能かと問われると「限りなく不可能に近い」と答えざるを得なかった。相手は一瞬で敵の体の拘束を奪う事ができる、まさに規格外れのルーナーなのだ。それができるという事は一瞬で強化ルーンを自らにかける事も可能なはずである。

(あ)

 そこまで考えたエイルはある事に思い至り、背中に冷たい汗が流れるのを感じた。

「まさか、ヤツはわざとやられて見せたってことか?」

「私も、同じ考え」

 エイルの小さなつぶやきにテンリーゼン即座にそう返した。

 つまり自分の能力を見せつける事で、絶望を植え付けようとしているのだ。少なくとも戦意を喪失させようとした意図はあるのだろう。

「どちくしょう」

 声にならない言葉でついた悪態こそが、クロスのその意図とやらが十分に効果的だったことをエイル自身が自ら証明して見せたようなものだった。

 とはいえ、亜神であっても不死身であるはずはない。生命力が人間とは桁外れに高いことは理解していた。だがエイルは【深紅の綺羅(しんこうのきら)】の亡骸をその目で見ている。さらに目の前で瀕死の状態になったエルデの姿は嫌でも鮮明に思い出すことができる。つまり亜神であっても死からは逃れられない事を知っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る