第八十六話 暴走と暗転 2/5

「この僕としたことがうっかりしていたよ。ここには風と炎のエレメンタルがいるんだったね。問答無用で命を奪いに来るなんて考えもしなかった僕が甘いんだろうね。そうそう、そういえば三千年前にもこんな事があったっけ。やれやれ、僕には学習能力ってヤツがあんまり備わっていないのかもしれないね」

 つい今し方、エイルに対峙して見せた怒気はなくなっていた。生き返って冷静になったと言うわけではないのだろうが、もはや話し合いの余地もなく、エイル達はネッフル湖の解呪士には敵と認定されたに違いなかった。つまり事態は悪い方へ流れていた。


「僕を殺そうとした君に聞きたい。なぜだい? ああ、この場合の『なぜ』とは君が僕を殺そうとした動機が知りたいという意味だよ。僕は誰に対しても殺意は持っていなかったのに」

 見つめられたテンリーゼンは、解呪士の質問に素直に答えた。

「お前は、エイルからエルデを奪った。強いルーンを、使う。隙がある今なら倒せると、考えた。それに」

「それに?」

「あのままでは、お前は、エイルを傷つけると、思った」

「ふむ」

 解呪士は目を細めてテンリーゼンを見つめた。

「少しわかったが、わからない事が増えた。君はなぜこの瞳髪黒色の炎のエレメンタルを守ろうとしたんだい?」

 この質問に、テンリーゼンは即答した。

「エイルは、私が守ると決めたからだ」

「ふむ」


 解呪士は同じように目を細めると、さらに質問を投げた。

「では質問を変えよう。なぜ君は炎のエレメンタルを守ろうとするんだい? 彼も君と同様の剣士だろう? シロウトの私が見たところではどれほどの使い手かはわからないけど、彼はそれほど弱いのかい?」

「弱くはない」

 これもテンリーゼンは即答であった。エイルはテンリーゼンからそう評価された事に対し、今の状況では不謹慎だと思いながらも少し嬉しかった。

「ではなぜ?」

「私が守りたいから」

「なるほど、それは明快な理由だ」

 解呪士はそう言いつつも肩をすくめた。

「君と話していると、欲しい回答に辿り着くのに数日かかりそうな気がするよ。念のために聞くけど、なぜ守りたいのかな?」

「好きだからだ」

 何の抵抗もなく、テンリーゼンはするりとそう言った。

「なるほどなるほど」

 解呪士はその回答で初めて満足そうな顔を浮かべると視線をエイルに戻した。

「ようやく理解したよ。ではもう一つの疑問を解消するとしよう」

 動けないエイルから、解呪士はエルデの体を再び奪いとった。エルデの体温がすっと消失し、エイルはどうしようもない寂寥感に襲われた。

「エイミイの王である【白き翼】のこの状況を説明して欲しい」

 質問に、エイルは何をどう答えるべきか迷った。不用意に答えてはならないと、心の中で強い警鐘が鳴っていた。だが、同時に解呪士に対する怒りに加え、もてあますような暗い感情が湧き上がるのも感じていた。そしてそれに抗うのは非常に困難である事もわかっていた。


「やっと出会えると楽しみにしていたのに、三千年振りに会う婚約者がこんな状態だとはな」

 そうつぶやきながら、そっとエイルの黒い髪を撫でる解呪士に、エイルは嫉妬を覚えていた。それが明確な嫉妬だという理解はない。だが腹の底から胸にこみ上げてくる暗い塊が持つ一つの言葉であろうと漠然と感じていた。

「お前は誰だ?」

 エイルの問いかけに解呪士は手の動きを止めてエイルに顔を向けた。

「ふむ。それは漠然とした質問だね」

 自らがエイルに問いかけた質問が漠然としている事を棚に上げて、解呪士はそう言った。

「お前はオレ達の事を知っているようだが、オレ達は『ネッフル湖の解呪士』に会いに来たんだ。まずはお前がその解呪士かどうかを教えてくれ」

「ふむ」


 解呪士は右手で顎を撫でながら少しの間思案するそぶりを見せると口を開いた。

「まず、私が『ネッフル湖の解呪士』かどうかという質問には『そう呼ばれる事もある』と答えておこう。これは君が望む回答だと考えていいかい」

 エイルはゆっくりとうなずいた。

「お前はオレ達が会いたかった人物だということがわかって何よりだよ」

「それはよかった」

「でもオレはお前の名前が知りたい。『ネッフル湖の解呪士』はいつの時代にもいる、ようするに役職みたいな名前だってセッカに聞いた。オレが知りたいのは今の時代の『ネッフル湖の解呪士』という通り名を持つアンタの名前だ」

「ふむ」

 自らネッフル湖の解呪士だと認めたアルヴの青年はそう言うと今度はセッカに視線を向けた。

「なんだ、君は僕のことを何も話していないのかい?」

「いやいやいや、話してよかったのかい?」

「話してはだめだなんて言った記憶は無い」

「普通ダメだろ、私が悪いみたいに言うな!」

「なるほど、そういう事だったか」

 解呪士は納得する様にうなずくと、エイルに向き直った。

「僕の名前はクロス。クロス・アイリスだ。ひょっとしたら【白き翼】の事を知っている君には、もう一つの名前を言った方がわかりやすいかもしれないね」

「もう一つの名前?」

 反射的にそう口に出たが、エイルはもう、聞くまでもなく相手が誰かを特定していた。

「クロス・アイリスというよりも、【黒き帳(とばり)】と呼ばれる事の方が多いね」

「四聖、【黒き帳】か」

 エイルは自分に言い聞かせるようにそうつぶやいた。


「さて、君の質問には答えた。今度は君が僕の質問に答える番だ」

 再びエルデの髪を指で梳きながら、クロス・アイリスが問いかけた。エイルはその仕草を見るとまたもや暗いものが胸に湧き上がるのを感じた。

(止めろ)

 思わずそう口に出そうとしたときに、心の中のもう一つの声がそれを制止した。

『喋ったらアカン』

 声の主が誰なのか、当然ながらエイルにはすぐにわかった。

『クロスに腹を立てたらアカン。クロスの口車に乗ったらアカン。少なくともクロスに感情をぶつけたら絶対にアカン。あいつはイカれてる。マジで最悪なんや』

 既にほとんど声にする準備が終わっていたエイルは無理矢理言葉をのみ込み、その反動でむせ返った。

(教えてくれ)

『うん?』

(さっきテンリーゼンがあいつの首を切って殺した……はずだった)

『あー……』

(その口ぶりだと知っているんだな? クロス・アイリスは不死身ってことなのか?)

『うん。いや……不死身かどうかはわからへんけど、致命傷が数秒後には完全に治っている……事があった』

(同じか。って、ひょっとして三千年前に不意打ちで致命傷を与えたのって)

『あー、そんな話をしたんか。多分ウチの事かな』

(それってマジで最悪な奴じゃないか)

『まあ、ウチもクロスも若かったし……若気の至りっちゅうか。って、クロスはけっこう若いままやな。さすがにもうおじいちゃんっぽいアルヴの姿を想像してた』

(あのさ、そんな事より)

『ん? どうしたん?』

(あいつ、お前の事を『花嫁』とか『婚約者』とか言ってるんだけど)

『あー……』

(あーって、どういう事なんだよ?)

『うん、なんちゅうか……ごめん』

「ごめんって、おい!」

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