第八十四話 イオスの宿題、イオスの理屈 2/4

 ツゥレフに上陸した翌日。

 首府であるレナンの外れで投宿した一行は、そのままセッカの案内でさらに郊外へ足を向け、特に何の変哲も無い熱帯林に入り込んだ。

「ここか」

 樹林に入ってから一時間ほどであろうか。小さな湧き水がある樹木がまばらな場所を発見したエルデは、そこで足を止めた。

「なるほどな。確かに感じるわ」

 目を閉じてそう言った後でエルデは振り返り、自分を見つめている全員の顔をゆっくりと見渡した。

「先を急ぐからすぐに入るけど、覚悟はええな?」

 たいした距離を歩いたわけでもなく、特に休憩の必要は無い。エルデの言う「覚悟」とは、二つの空間に流れる時間速度の差についてではなく、エイルとテンリーゼンに渡された丸薬が持つ意味についてだ。二人とも「それ」を飲むのは初めての経験だった。

「セッカは?」

 掌に載った物騒な丸薬をどうにも言えない気持ちで眺めながら、エイルはエルデに尋ねた。

「ああ、あいつは」

「エーテル体だからね。そんなものは要らないのさ」

 エルデが説明しようとする前にセッカがそう答えた。

「そうか」

 エイルは「なるほど」といった表情でうなずくと、予めエルデが言った手順通りに、その場に横になると丸薬を口に放り込み、目を閉じた。隣では既に丸薬を飲んだテンリーゼンが同じように目を閉じていた。

 エーテル体だったらなぜ仮死状態でなくても問題ないのか、という根本的な説明がなされていない事に対してあえて言及しなかったのは、取りあえず急いでこの件を処理したいと思っていたからだ。エイルはさっさとイオスの件を処理して「次」に進みたかったのである。

 そんな事を考えていると、何か無数の腕が絡みつき引きずり込まれるような感覚を覚えた。そしてそれに抗おうとする間もなく、意識はすっと闇におちた。


 ぼんやりとした視界の先に、いつものあの美しい顔があった。

「エルデ」

「気分はどうや?」

 こちらをのぞき込むエルデの顔をみて、エイルは自分が横になっている事を悟った。次いで、周りのが妙に薄暗い理由、そもそも自分がなぜ横になっているのか、そしてここがどこなのかを必死に思い出そうとした。

「そうか。オレ、ちゃんと生き返ったのか」

 無事に「龍墓」へ入ったのだ。

「いや、死んだわけやないから」

 仮死からの覚醒を「生き返る」と呼ぶか「目を覚ます」と定義づけるかの議論をエルデと行おうと思った矢先、エイルはある事を思い出し、取りあえず上体を起こすと周りを見渡した。

「リーゼならアンタより先に目を覚まして、セッカと一緒にその辺を偵察してるで」

 確認するより速く、エルデが求めていた答えを提示した。

「よかった。あいつも無事に生き返ったんだな」

「いや、そもそも死んでへんから」

 あくまでも生き返りではないと、エイルと真っ向から対決する意志を見せるエルデに、エイルはある種の安堵を覚えた。


「以前(まえ)も言うたかも知れへんけど、ウチがそんなヘマをするわけないやろ」

「うん、そうだな」

 かつてエルデはエルネスティーネの龍墓行きを諦めさせた実績がある。ヘマというのは仮死状態からの復帰を失敗する可能性の話だが、小柄で体力のないアルヴィンの場合はその可能性が高いとした説明が偽りだった事は既にエルデ自身によって種明かしがされていた。だからエイルの心配はお門違いなのだと詰って見せたのだ。

「まあ、それでもあそこまでためらいなく呑み込んだのにはちょっとびっくりしたけどな」

 エルデは少し柔らかい調子でそう言うと、テンリーゼン達が向かったのであろう方向に顔を向けた。


「時間がもったいない。オレ達も動こう」

 そう言ったエイルがエルデに手を取られて立ち上がった瞬間だった。

「エイル!」

 それはテンリーゼンの声だった。

 それも珍しく、いやおそらくは初めて聴く「大声」だった。

 龍墓内は視界が極端に悪い。近くは鮮明に見える。しかし少し離れるとものの形がはっきり見えなくなる程ぼんやりする。霧の中にも似た白い闇が支配する空間なのだ。テンリーゼンの声はその白い闇の向こう側から聞こえてきた。

 エイルとエルデは小さくうなずき合うとどちらからともなく手を握り合い、小走りで声が呼ぶ方向へ向かった。

 声の感じから、それほど遠く離れていない事はわかっていた。そしてその予想通り、ほんの十数秒走ったところで二人はテンリーゼン「達」を見つける事に成功した。

 そう、テンリーゼン・クラルヴァインと黒猫姿のセッカ・リルッカ。

 そして……。


「え?」

 エイルとエルデは異口同音にそう口にした。

「これがイオスが言ってた『良い情報』って事なのか?」

 エイルの問いかけに、エルデは答えなかった。目の前の信じられない光景をにらみ付けるようにして拳を握り締めていたが、やがて内側から沸騰してくる怒りを押さえるかのようにギリギリと、周りの全員に聞こえるほどの音を立てて歯ぎしりをしていた。

「エルデ」

「ふざけんな!」

 エイルの呼びかけも聞こえない程興奮しているのだろう。エルデはそう怒鳴ると地面を思い切りドンと踏みならした。

「あのチビガキ、今度会うたらグーで両方のこめかみをグリグリしてそのまんま持ち上げたる。泣きわめいて許しを請うてもウチは絶対許さへんからな」

「エルデ、これって」

「生きとる」

 それだけ言うとエルデは「それ」に歩み寄ってしゃがむと、そっと手を伸ばして「それ」に触れた。その瞬間に、エルデの表情からはそろそろ髪が逆立つのではないかと思う程の怒気が消え去り、慈しみに満ちた表情に取って代わった。豹変とはまさにこういう事を言うのだろうとエイルは思った。そしてエルデの表情が意味するところをエルデもまた悟ったのだ。


「二つとも……ちゃんと、ある」

「そうか、よかった」

 エイルが相槌を打った。だが二人のやりとりが持つ意味を、テンリーゼンは理解出来なかった。

「え、二つ?」

 だからそう尋ねた。

 尋ねたいことは山ほどあったに違いない。だがテンリーゼンからの最初の質問はそれだった。

「鼓動の数や。母子ともに命に別状なし、や。眠っているだけやな。見てみぃ、人の気ぃも知らずに呑気な寝顔や」

 エルデの声が涙混じりになっている事に気付いたエイルは、しかしその顔に視線を移さなかった。何より泣き顔を人に見せることを嫌うエルデに気を遣ったのだ。だが、次の瞬間にはそうも行かない事を悟った。エルデがエイルの胸の中に飛び込んできたと思ったら、声を上げて泣き始めたのだ。もちろんそれはうれし泣きだった。

 エイルもつられて目頭が熱くなった。だがそれはニーム・タ=タンが生きていた事を喜ぶ気持ちだけではなかった。エルデの涙は純粋にその嬉しさに感極まったものに違いない。だがエイルの感動は、少し違っていた。

 もちろんイオスの「良い情報」に心が震える感覚はある。だがそれ以上に「人の生」を願うエルデの強く一途な思いの強さに心がすっかり洗われる気がしたのだ。もちろんエルデの発するエーテル、いやもはや垂れ流しているといった方が適切なくらいに発している正のエーテルに「当てられて」いる部分はある。この状態では確認するまでもなくテンリーゼンも自分でわからないうちに涙を流しているに違いない。だがファランドールの人間ではないエイルはエーテルの影響を受けにくい。エーテルの影響を否定はしないが、それよりも二人の間にある「言葉ではない、何か別のわかり合える力」を通じて伝わってくるものへの共鳴の強さ故の感動なのだと思っていた。言い換えるならば、エルデと自分の間にだけ存在する特別なものを実感していたということであろうか。


「お取り込み中悪いけどさ」

 しびれを切らしたのか、今まで沈黙を守っていたセッカがやや苛立った声色で声をかけた。

「ここに長居は無用なんだろ?」

 セッカの呼びかけに、弾かれたようにエルデはエイルから離れた。

「せやった」

 鼻をすすりながら袖口で無造作に顔を拭うと、エルデは精杖ノルンを取り出して天上に向かって頭頂部を突き出した。

 もちろんエイルには何をやっているのかはわからなかったが、帰り道を探っているのであろうという事はなんとなく理解出来た。

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