第八十四話 イオスの宿題、イオスの理屈 1/4

 イオスの宿題を先に片付ける事を提案、いや決めたのはエルデだった。

 それはもう日常化しつつある例の意識喪失があった後で、目覚めた後にいきなりそう言い出したのだ。

 ティアナの件を最優先にしたいという当初の共通認識を覆したエルデに、エイルは当然その理由を尋ねた。

 エルデの態度に違和感を覚えるのは当然だ。だからエイルは何度か重ねて理由を尋ねた。しかしエルデは珍しく目を伏せ、煮え切らぬ口調でこう言った。

「理由は後で絶対に説明するから、今はウチのワガママを聞いて欲しい」

 もちろんそれでは納得できないエイルは理由の詳細を明らかにするように要望したが、エルデは目を伏せ、同じ内容の言葉を繰り返すだけだった。

 旅に出た頃から感じていたエルデに対する違和感。エイルの中ではそれがここに来て不安という別の感情に変化しつつあった。

 確実なものではない。だが何かが「ちゃんとしていない」気がしてならないのだ。それを胸騒ぎと言い換えてもいい。どちらにしろ悪い予感の類だった。


 だが、実のところ一番の気がかりはエルデの体調だった。本人の主張とは違って、どうも快方へは向かっていないらしいことはさすがのエイルも認めざるを得なくなっていた。だがその件についてそれとなく話を向けてみても直接尋ねてみてもエルデは頑として正常時に戻る過渡期の症状だと言い張るのみなのだ。ハイレーンが言うこと、ましてや亜神の体だ。人間の常識とは多少なりとも違うのだと言われればエイルにはそれ以上返す言葉がない。そうなればもう、エルデの体を心から心配しているのだという事を伝える事しか出来なかった。


 そんなやりとりをする二人を、テンリーゼンはいつものように静謐と言ってもいいほど静かな表情で見つめていた。一方セッカは、ここへ来て猫の姿のままで居る事が多く、その時、つまりエルデが急遽目的地を変更する事を宣言した際も、テンリーゼンとは明らかな距離をとりつつも、同じように黙って二人の様子を眺めていた。


 エイルは小さなため息と共にテンリーゼンを振り返った。

「悪いけど」

 そう言って目を伏せる。

「ネッフル湖の解呪士に会う前に、済ませたいことがあるんだ」

「問題……ない」

 テンリーゼンはもう、是か非かの二択を述べるだけでなく、自分の意思を言葉にして答えるのが普通になっていた。だから簡単な言葉の後に、こう続けた。

「私は、エイルに、ついていくと決めている。だからどこへでも、いくぞ」

「でも」

 テンリーゼンはエイルの言葉を皆まで言わせなかった。

「龍墓に入る、条件は、覚えている。でも、今度はもう、置いてけぼりは絶対に、嫌だ」

 一つの言葉を噛みしめるような独特の話し方でそう答えるテンリーゼンの声が珍しく大きい。ふと見ればさっきとは打って変わって表情にも変化がある。見慣れた無表情などではない、何かに挑むような眼差しは強く、意思の硬さを現すように唇が結ばれていた。

 エイルはそんなテンリーゼンを見て少しだけ寂しそうな微笑を見せたが、我に返ったように唇を噛むと、一瞬で表情を普段のものに戻した。その顔を見せる相手の為に。

「わかった。じゃあ、みんな一緒に行こう。そこは譲れないぞ」

「……そやな」

 エルデはエイルのそんな気遣いを知ってか知らずか、ツゥレフの抜けるような空を見上げながらうなずいた。


 エルデはピクサリア大聖堂でイオスが伝えた「良い情報」が気になっていた。だからそれを優先しようと考え、それを提案したわけだ。だが当初の予定では解呪士に会った後でそちらに回るつもりであった。それを決めたのもまたエルデである。理由はもちろん「時のゆりかご」と呼ばれる龍墓と現世の時間の流れの差が大きいからだが、それをわかった上で敢えて順番を変えようと言い出したからには、当然それなりの理由があるのだろう。

 エルデが思いつきでこういう行動をとる性格でないのは、当然ながらエイルにはもうわかっていた。そして理由を聞いても答えない時の、その悲しそうな表情を見ればわかってしまう。エイルがこれ以上何を言っても、エルデは顔を曇らすだけで、決して詳細を語ってはくれないであろう事も。

 もちろんティアナは心配だ。だがそれは可及的速やかに行わなければならない事かと問われると「応」であり「否」でもある。言い換えるならティアナの解呪には時限はないのだ。早いに越した事は無いが、ミリアの「お使い」のような緊急の用件があれば、そちらを優先しても何が変わるわけではない。有り体に言えばティアナの件は命に関わる事ではないのである。もっともイオスの「良い情報」とやらの内容が一切不明であるということは、それが緊急性を帯びているかどうかもわからないのではあるが。

 エルデがその情報について知っていて、その上で緊急性が高いと判断するのなら納得も行くが、情報についてはまったくわからず、見当すら付いていないという。そしてエルデの言葉に嘘はなさそうであった。

 結局優先順位を覆す決め手のようなものはなかった。

 従う事にした理由の一つは、これ以上エルデの悲しそうな顔を見たくなかったからだ。エルデの「熟考の上での選択」が単なる思いつきでないこともわかる。だから従う事にしたのだ。

「言うとくけど、アンタも来るんやで」

 エルデはあくびをしている黒猫にそう言うと、普段より少しだけ遠慮がちにエイルの腕をとった。


 時のゆりかごへの「入り口」はファランドール中に点在しているという。だが「時のゆりかごと」一口に言ってもそれは四種類あり、それぞれがエレメンタルに対応しているようだ、というのがエイルの理解であった。

 そもそも四種類あることはピクサリアでイオスとエルデが話をしているのを聞いて初めて知った。

 詳細についてはその後言い難そうにしつつも説明してくれたエルデの解説が知識の全てである。龍墓とはすなわち、エレメンタルの「監視者」が「管理」する「牢獄」のようなものなのだという。簡単に言えば四聖はそれぞれ管轄する龍墓という呼び名の牢を持っているということである。

 エルデは風精の監視者である。だから管理する龍墓は「風精の龍墓」というのだそうだ。もっともそれは記憶が戻って知った事で、以前は単純に「龍墓」というものが存在するという程度の知識しか得てはいなかったのだという。

 今にして思えば、エイルとエルデが当初の目的に為に入り込んだシグ・ザルカバードの「庵」がある「時のゆりかご」は炎精の監視者【深紅の綺羅】ことクレハ・アリスパレスが管理する「炎精の龍墓」の一部だったのだ。

 さらに言えば、「龍珠」さえ持っていれば龍墓には入れるというエルデの説はは正確な知識ではなく、亜神はそもそも何もなくてももともと龍墓へ潜り込める能力を有しているのだという。龍珠が必要なのは亜神ではなく普通の人間なのだ。

 そしてこれはエイルにしてみれば驚愕の事実なのだが、たとえ普通の人間であろうと亜神が誘(いざな)えば龍珠を保持していなくても龍墓へ入り込む事が可能なのだという。


 それとは別に龍墓には長い年月の間に「綻び」ができており、高位のルーナーや一部のフェアリーであればその綻びを感知することができるのだという。

 中には龍墓とは切り離されてしまった異空間が独立して存在しているものもある。ジャミールの里から伸びていた「龍の道」などはその例なのであろう。

 エルデの話では、龍墓はいくつもの「部屋」とその部屋同士をつなぐ「通路」からなるという。エルデは蟻の巣を想像したが、大きく外れてはいないとエルデは頷いた。

 ファランドール中に点在しているという「入り口」とは別に「出口」というものがあり、それも同様にファランドール各地に繋がっているそうである。つまり出口と入り口は必ずしも同じ場所ではなく「入るだけの機能」と「出るだけの機能」しかない場所も多い。


 もっともジャミールの里から伸びていた「綻び」、すなわち「龍の道」に入り込む事ができれば、そこから本物の龍墓へ入るのは比較的たやすいという。

 龍の道でエルデ達を待ち構えていたイオスは、龍墓に入りやすい地点が予めわかっていたということであろう。

 まとめるとこうだ。

 つまりファランドールには四つの龍墓があり、それぞれ長い長い通路を張り巡らせていて、その四つは互いに交差しながらも基本的に独立したものであるという。問題はその「入り口」だが、そもそもセッカの示した目的地であるツゥレフ島にも「それ」は点在しているらしい。

 入り口についての情報はエルデの口からではなくセッカ・リルッカからもたらされたものだ。黒猫が言うには「ツゥレフ島には全ての龍墓への入り口が相当数存在する」のだそうだ。

「解呪士がいるからね」

 エルデはセッカのその情報を聞いた後に目的地を変えた。エイルには解呪士と龍墓の関係など理解しようもなかったが、エルデにとっては違っていたのであろう。


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