第八十三話 ツゥレフ上陸 3/3
話はアプリリアージェがティルトール達と出会う少し前に遡る。
つまりいわゆる第三勢力が表舞台に姿を現していない状況下の出来事といういことになる。
場所はツゥレフ島の首府レナンの沖合。つまり海上である。
そこでは二つの艦隊が投擲機の射程範囲ギリギリの間隔を置いて睨み合っていた。
とは言え戦力が拮抗しているわけではない。
レナンを背にした艦隊が五に対し、一方の舳先をレナンに向けている艦隊が二というのが双方の数の差である。つまりレナンの防衛にあたる艦隊が、侵略してこようとする艦隊を数で圧倒している格好である。しかし艦隊戦に於ける戦力差は単純にその数で決まるものではない。つまり双方の艦隊を編成する船の種類はかなり異なっていたのである。
兵装重視、すなわち大型で重装備のレナン側艦隊に対し、攻めの姿勢を見せている艦隊はいわゆる高速艇のみで編成されている。しかも高速なだけではない。船に詳しいものが見れば、その艦隊が運動性に秀でた艦船であることは一目瞭然であった。つまり戦術にもよるが、必ずしも数の多さが勝利に繋がるとは言い難い状況であった。
「なかなか来ませんね」
甲板に立ち、遠めがねで相手の状況を観察していたシュクル・スリーズが傍らの司令官にそうつぶやいた。
「見え見えの時間稼ぎですな」
「何を偉そうに」
シュクルの言葉に司令官であるトルマ・カイエンが呆れたように返した。
「時間稼ぎをしているのはこっちではないか」
「まあそうですが、そろそろその必要もなくなる頃でしょう」
「そうだな。それよりこちらの準備は整っているのだろうな?」
トルマの問いかけにシュクルは不満そうに鼻を鳴らした。
「ふん。いったい司令は私を誰だとお思いで?」
「それが偉そうだと言うのだ。だいたい昔からお前は……」
「少しお静かに!」
小言を言いかけたトルマを無視するどころか、シュクルは遠めがねをのぞき込んだままで上官をたしなめた。
「間違いありません。合図です、閣下」
「く。まったくお前というヤツは」
「さあ、こんな所に長居は無用です。とっとと撤退命令をお出し下さい」
トルマは小さくため息をつくと、気を取り直すかのように首を振った。そして今度は大きく息を吸いこみ、良く通る声で全艦隊へ向け命令を下した。
「全艦回頭。これより帰還する」
「全艦回頭」
トルマの命令を伝令役の参謀が伝声管に向かい繰り返すと、間髪を置かず錨が引き揚げられ、同時に操船係が手にしていたロープを引き始めた。
驚いたのはトルマ達を迎え撃とうとしていた艦隊である。
いきなり先頭の船が帆を上げ自分達めがけて動き出すと、他の船もほぼ同時に先頭の船に追随してきた。
いきなりの総攻撃、しかも全艦同時に突っ込んでこようしているのだから船同士を衝突させようとしていると考えてもおかしくはない。トルマの艦隊の進行線上にあるレナンの船は浮き足立ち、自分達も慌てて錨を上げはじめた。
だが彼らはすぐにその胸をなで下ろすことになった。
なぜなら自分達めがけて突貫するかに見えた艦隊は、少しの間まっすぐに進んだかと思うと、一斉に帆を動かして風を受ける方向変え、自らの横腹を見せつけるようにして大きな弧を描き反転、そのまま遠ざかっていったのである。
敵の動きを察知して投擲機を使った艦もあったが射程内に入っておらず、石は大きな水しぶきを上げて海中へと沈んでいった。
レナン側の総司令官がトルマの動きに間を置かず対応していたなら、そしてそれがトルマ艦隊へ向けた全速前進であったならば、そこは海戦の場になっていたであろう。そして単純な正面からの激突戦であれば数と装備に勝るレナン側の勝利で終わっていたであろう。
だがレナン側にはすでに「人材」はいなかったのだ。
レナン駐留艦隊の指揮を執っていた人物は将官ではなかった。佐官ですらない。記録では中尉であったとされている。例に漏れずたたき上げの船乗りなどではなく、中尉といえど、それもただの功労賞のような肩書きであった。命令伝達経路の徹底や戦局に合わせた艦隊運動の用意など、彼に望むべくもなかったのだ。
「今頃奴ら、私達を見ていったい何しにやって来たのだろうと首を傾げているんでしょうな」
追いかけてくる船がないことを確認したシュクルは、そう言って遠めがねを下ろした。
「少なくともシルフィード王国の真の女王陛下がお忍びでレナンに上陸する為の陽動だと思う人間は居ないだろうよ」
「御意。しかしなんというか、こう、痛快ですな」
「痛快?」
「敵が完全にこちらの手の内にあって、思い通りに動く様を眺めるのが、です」
シュクルの言うとおり、この「上陸作戦」は彼の立案に依るものであった。
エイル達はツゥレフ上陸に際しトルマ達に安全な場所、すなわち誰にも見つからずに接岸できる場所の沖合までの護衛と、上陸用の小型渡船を所望した。しかしながら敵から発見されない距離というのは、つまりこちらからも陸地の様子が見えない事を意味する。上陸に際し人目に付くかつかないかなどの確認は難しい。いや不可能と言えるだろう。夜陰に乗じるという古典的な手法もあるが、それとて一か八かである。そもそもエイル達が目指している場所はレナンである。完全な未開地域まで迂回して上陸すると、そこに辿り着くまでに時間がかかりすぎる。できれば最短距離が望ましい。
そこでシュクルが提案したのが、囮作戦であった。
レナンの軍隊の目を自分達に釘付けにしている間に、予め離れた所に待機していたエイル達が、テンリーゼンの風の力を借りて一気に上陸してしまおうという作戦であった。
もちろん敵も別働隊の上陸に合わせた陽動作戦の可能性は考えるだろう。だが彼らがそれを考え、警備に頭を回す前に上陸してしまおうというのである。
それは帆もない船の船尾という小さな的に正確にかつ強い風を送り続ける事ができるテンリーゼンの存在があってこその作戦と言えた。
「そう言って自らの能力を過信し、文字通り溺れることになったヤツを、ワシが何人知っていると思う?」
「そう言うと思ってました」
苦虫を噛み潰したような顔で自分を見つめる上官に、シュクルはそう言ってニヤリと笑って見せた。
「ふん。その様子ではワシが苦言を呈するまでもなさそうだな」
「あの程度の作戦、私でなくてもあの場の誰かが口にしたでしょう。そんな事はよくわかっております。そもそも私は戦術参謀ではありませんからね」
「だが、あそこでわざわざシルフィード国旗を掲げて見せたのはお前の独断であろうが?」
「あれで連中、しばらくは見えない敵に怯えてくれるでしょう」
「勝手な事をする」
「おやおや。あれとて私がやらねば閣下が命じていたことでしょう? 私の仕事は閣下の手間を省いて差し上げることですから」
「口の減らん奴め」
トルマは不機嫌さを前面に出してそう言ったが、その実表情は穏やかであった。
「それにしても、陛下はツゥレフで何をなされたいのであろうな」
シュクルは首を振った。
「わかりません。迎えも必要が無いと言うことですし、私達は陛下のお言葉にただ従うのみ、でしょうな」
「『お前達はこの海で誰にも会わなかった』か」
「風待ちが長く、帰還が予定より二日程遅れた。それ以上でも以下でもない、ということです。さあそろそろ中へ入りましょう。こんな所に長居していると老体にこたえますぞ」
シュクルはそれだけ言うと踵を返して先に歩き出した。
「全くお前は一言多い」
トルマはシュクルの背中に向かってそう言ったが、その後は追わなかった。彼は点になろうとしているツゥレフへ視線を向けると、見えなくなるまでそのままじっと佇んでいた。
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