第八十四話 イオスの宿題、イオスの理屈 3/4
「ホンマにあいつはいけ好かんやっちゃ。出口がすぐそことか」
あいつというのが【蒼穹の台】、つまりイオスの事を指すのであろう事はわかっていた。だがその言葉には今し方見せた怒りの色はもう微塵も感じられなかった。それはエイルも同じで、おそらくは全てイオスがお膳立てしていたのであろうという事はわかった。
拍子抜けするほど簡単に【天色の楔】ことニーム・タ=タンを発見出来たのもそうだ。多分どの入り口から入っても容易にニームが横たわる場所に辿り着けたであろうと確信していた。もちろんどんな手法をとったのかまではわかりようもないし知る必要も無いと思えた。それはどうでもいい事だ。確かなのは、イオスはニームを殺めたわけではく、最初からエルデを通じて無事に「帰す」つもりだったということだろう。疑問はいくらでもある。だが今はそれを考えるときではない。セッカの言うとおり、ここでの時間は現世であるファランドールのそれと流れが違いすぎるのだ。だから以前のように出口に辿り着くまで長く歩く必要がないのはありがたかった。そして多分、いや間違いなく龍墓の出口は都合の良い場所に繋がっているに違いないとエイルは思った。
エルデもエイルと同じ事を考えていたのだろう。彼女は一切の迷いなく、精杖ノルンの頭頂部に埋め込まれた「宝鍵」を輝かせると、ファランドールの現世への扉を開いた。
エルデの見立て通り、大賢者【天色の楔】ことニーム・タ=タンは軽い覚醒ルーンで何事もなかったかのように目を開けた。
「え?」
そして自分をのぞき込む八つの瞳に驚いて小さく声を上げた。
万が一ニームが起き抜けに混乱すると面倒だという事でエルデが予め拘束のルーンをかけていたが、結果としてその必要は無かった。
目を覚ましたニームはエイル達の予測以上に落ち着いていて、素直にエルデの話に耳を傾けたのだ。
エルデはニームが置かれている状況をかいつまんで説明したが、ニームにはそれで充分であったらしい。もちろんいくつも質問は上がったが、その全てに対してエルデが明快な答えを返したことで、少なくともニームのエーテルからは敵意が消失した事をエイルは確認していた。
「三聖は法の番人や。もっともここでいう『法』は三聖、いやあいつらが勝手にそういうてるだけのもんなんやけど、とにかくあの【蒼穹の台】の石頭にとっては『法』を守る事は何よりも大事なことやったんやろな。そやからアンタをどうしても裁く必要があったんやと思う」
イオスはニームを断罪し、有無を言わせぬまま槍で串刺しにして命を奪った。それがその場にいた全員の認識だ。もちろん全員にはニーム本人も含んでいる。
「たった一言でさえ弁明する余地を与えぬなど、三聖とはかくも非常なものなのだな」
エルデの「説明」を聞きながら、ニームはぽつりとそう言った。
「コンサーラとしては余……いや私をしのぐものは在るまいとすら思っておったが、とんだ『井の中の蛙』だな。思い上がりも甚だしい。まったく、穴があったら入りたいとはこの事だな」
「ああ、その気持ちはなんというか、ウチにもわかる」
相槌を打つエルデに、しかしニームは眉根を寄せて軽い不快の表情を浮かべた。
「何を言う。その方も、その、【蒼穹の台】と同じ亜神なのであろうに。いや、その前に三聖でなく四聖だと言うではないか。それは【蒼穹の台】と並び立つ者なのであろう?」
「立場というか、地位みたいな考え方からするとそうやな」
「私は三聖、いや四聖に対し敵対するどころか、その命まで奪おうとしていたという事なのだな。しかもそもそも濡れ衣。言い換えるなら単なる言いがかり。あまつさえ問答無用」
ギリギリと唇を噛みしめて苦しそうな表情でうつむくニームを見かねてエイルが声をかけた。
「あのー、大賢者『天色の楔』さん、だっけ?」
ニームは呼びかけには敏感に反応し、すぐに顔を上げてエイルを見た。
「ニームでよい。私もそなたをエイルと呼ぼう」
「そいつはどうも」
エイルを認めた表情に心なしか怯えのような色が差しているように思えたエイルだが、ニームが続けて口にした言葉で、それが杞憂である事がわかった。
「とはいえ、なぜに女の名前なのだ? 良い名前ではあると思うが……なんというか耳から受ける情報と目で得られる情報とに大きな乖離があるな。そのあたり本人自身はどう考えている?」
エイルは嘆息し間を置くことで、多少くじけかけた気持を立て直すことに成功した。
「ええっと。名前については触れないで下さい。なんというか、色々込み入った事情があるんで」
エイルがそう言うとニームは素直にうなずいた。
「わかった。男が女の名前を名乗っているのだ。もちろんそれなりの事情があるに違いあるまい。他人が立ち入る領域でないことも理解しているつもりだ。だからまあ、なんだ。その、色々あるだろうがくじけずにな」
「いやいやいやいや。そうじゃなくて、じゃなくて……ええっと名前の話は置いといてですね。オレが言いたいのはイオスが問答無用であなたにああいうことをやったのは、多分ですが、問答をしてしまうと助けられなかったからじゃないのかな、と」
どうしてもエイルはニームの件と重ねて考えてしまう事例があった。それは間違いなくエルデも同様であろう。そう、シグ・ザルカバードの件だ。シグの場合はニームとは違い、断罪を行った上でエーテル体としてのシグを龍墓に逃した。正確には逃したとは言い難いにしろ、全てを終わらせたわけではなく、言ってみればイオスなりの恩赦を与えた格好である。
それと同じような事を今回、イオスはニームに対して行ったのである。
シグの時と違うのは、結果としてニームはまったく無傷のまま戻ってこられたという点である。
「だからその、なんというか、結果としてオレ達はご覧の通り無事なんだし、もうそんなに自分を責めなくてもいいと思いますけど」
そう言ったエイルの胸を、エルデがドンっと突いた。
「うぉっ?」
思わぬ方向からの攻撃に戸惑うエイルにエルデは憤然とした顔で言い放った。
「自分の妻の目の前で、他の女にデレデレすんな!」
「は?」
「『は?』やない。なんでアンタはいつもいつも美少女と見れば優しい言葉で気を引こうとするんや?」
「いや、それはとんでもない言いがかりだ」
「やかましい。そもそもこのニーム・タ=タンは人妻やで? お腹に子供もおるんやで? アンタは相手が可愛かったり美人やったりしたらなんでもありか!」
「『なんでもあり』ってなんだよ」
「悪かった」
「わ、わかればいいんだよ」
「『なんでもなし』やないな。『見境い無し』やな」
「いやいやいやいや」
「『いや』は一回でええ!」
「いや、だから取りあえず落ち着け!」
「これが落ち着いてられるか!」
「待て待て待て」
エイルとエルデの間で始まった痴話げんかに、ニームが強引に割って入った。
「アンタは黙っといてんか」
「当事者なのに黙っていられるか」
「それもそうやな。悪いのはエイルやけど、取りあえず当事者として弁明を聞こか」
「意味がわからん。それより今何と言った?」
「当事者?」
「その前だ」
「『見境無し』?」
「それはわざとか?」
「いや、何の話や?」
「だから、私のお腹に……その……子供だと?」
その言葉と態度でニームが言わんとする事を理解したエイルとエルデは顔を見合わせた。
「あー」
「そうか」
そして二人は同時にニヤリと笑い合うと、そのまま笑顔をニームに向け、異口同音に「おめでとう」と言った。
「本当、なのだな?」
エルデは笑顔のまま、大きくうなずいた。
「さっきも言うたやろ? ウチはハイレーンや。触っただけで相手の体の事はだいたいわかる。今のところは母子共に超順調やで。もっとも……」
「もっとも?」
「一つ大きな問題があるんや」
そう言うとエルデから笑顔が消えた。
ニームはゴクリとつばを飲み込むと、恐る恐るといった風にたずねた。
「問題が、あるのか?」
エルデは難しい顔でうなずいた。
「大きな問題と言ったな?」
再びエルデが頷く。
「言ってくれ。それはなんだ?」
そう言って哀願するように見上げるニームに、エルデは真顔で答えた。
「子供が子供を産むのは、ちょっと感心せえへんな」
「うぐ」
「見たところアンタ、アルヴィンやないみたいやし」
「私は子供ではない」
「ええ~?」
「その反応には断固抗議する。こう見えても私はもう15歳で、りっぱな成人だ」
「またまた~」
「嘘ではない! それから母はデュナンだが、父親はアルヴィンだ。私はどうやらアルヴィンの血の方が濃く出ているのだ。それに何より」
ニームはそう言ってエルデを睨み据えたが、なぜか一瞬後には顔を赤くして横を向いた。
「なにより?」
「エスカは私に『お前はファランドール一のいい女』だと言ってくれたのだ。いいか、『いい女』だ。『いい女の子』ではない。つまり私はエスカには立派な女性として見られているということだ。だから問題はなかろう?」
「ほう」
エルデはその言葉を聞くと、目を細めてニヤリと笑い、それを見たエイルは肩をすくめた。それは今から思う存分相手をからかってみせる、というエルデの決意表明のような表情だったからだ。
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