第八十二話 排除命令 2/4

 ナットニースの戦役では自分は一切表に出ず、ヘルルーガに全てを任せるような体(てい)を採ったのにはもちろん訳があった。だが、誰もが気付かなかったもう一つの意味をシャナンタは理解したと思ったのだ。ヘルルーガはシャナンタよりも早く同じ事に気付いたのだが、どちらにしろ今まで頭の片隅にもなかった考えであった。

 そう。今なら相手は取りあえずはヘルルーガをめざしてやってくるはずなのだ。エスカはこういう不測の事態すらも見越して、初陣はヘルルーガ率いるシルフィード軍による勝利に見せかけたのであろう。ヘルルーガの背後に誰かがいるにせよ、ヘルルーガ軍に興味を示す者は取りあえずはヘルルーガを相手にするであろうからだ。

 ヘルルーガに興味を示す者がいなければそれで良し。もしいるとすれば間を置かずに何らかの形で接触を図るはずである。なぜなら「合わせ月」の日は迫っており、戦局を俯瞰できる人間であれば時間がさほど残されていない事を理解しているであろうからだ。言い換えれば理解していないような人間に、エスカは興味がなかった。

 だが。


「二人には悪いが『白面』はまず間違いなくアキラに襲いかかるだろうな」

 エスカはそう言うと頭を掻いた。

「アキラを呼び寄せるっていうのはお前の隣に立たせる為だ。まあ、エサというか罠だな」

「罠?」

 ヘルルーガとシャナンタは異口同音にそう言うと互いに顔を見合わせた。

「コイツはユグセル公爵とは、因縁があるんだとさ」

「因縁、ですか?」

 謎はさらに深まったようで、二人はまた同じように顔を見合わせた。

「面識があるとは聞いたが……」

 ヘルルーガはそう言うとエスカとアキラを見比べた。

「だが、因縁があるとは聞いていない」

「そうだな。それについては敢えて言わなかった。だが、そろそろ知っておいた方がいいだろう」

 エスカがそう言うと、アキラはヘルルーガに向かって一歩進み出た。そしてヘルルーガの目を見据えて、低い声で言った。

「俺自身の口から説明しよう」


 ヘルルーガの眉間に少しだけ緊張が走ったのは、いつになくアキラの表情にどんよりとした暗いものを認めたからだった。普通の人間であれば気付くこともなかったに違いない。だがヘルルーガは戦場を生きてきた人間である。そしてヘルルーガは兵士を束ねる立場にあるものだ。つまり兵の生殺与奪を握っている人間である。全ての戦いで圧倒的な勝利を得たわけでもなければ、無傷で戦い抜けた事もほとんど無い。つまり兵に「死ね」と命令する事が皆無であったわけではないのだ。

 それはもちろん必要な事である。

 それができない司令官はより多くの犠牲を出すことになるからだ。とは言えヘルルーガが自分の死の命令をきっぱりと割り切っていたかと言えばさに非ず。いや割り切っていたとしてもなお、心に死ぬまで晴れぬ暗い闇を飼い続けている宿命にある。

 つまりヘルルーガはアキラの表情にその闇と同種のものが浮かび上がるのが見えた気がしたのである。

 もちろんヘルルーガはアキラが短い期間ながらもドライアドのスプリガンの司令であった事は承知している。しかしスプリガンとル=キリアが交戦したという話は聞いたことがなかった。もとよりル=キリアは秘密部隊であり隠密の行動を主とする。スプリガンと一線交えたという事実があったにせよ、ヘルルーガにその情報が届かなくとも驚くに値しない。しかしアキラが一瞬見せた闇は交戦した相手の将に対するものとは違う種類のものだ。

 そしてヘルルーガはエスカからきかされて知っている。それはアキラとアプリリアージェの出会いが戦場に於いてのそれではなかったということをである。

 ならばアキラが飼っているアプリリアージェに関する闇とは?


「俺はユグセル公の仲間の命をこの手で奪った」

「仲間だと?」

 それはヘルルーガにとって以外な一言だった。

「同じル=キリアの仲間だ。いやむしろ腹心と言うべき存在だったと俺は確信している」

 ヘルルーガはル=キリアの組織の全容を知らない。知らされていなかったと言っていいだろう。ル=キリアに入ると多くの場合、構成員は二つ名で呼ばれる。ヘルルーガ達の耳には入る「うわさ話」の中の名前も通常部隊に所属していた頃の名ではなく、二つ名によるものとなるのだ。

「『笑う死に神』の腹心と言えば、確か『腰抜け骨董屋』」

「ほう、ファルには『腰抜け骨董屋』という二つ名があったのか。これは面白いな。どこが腰抜けなのかが不明だが、本人に是非聞いてみたいところだ」

 ヘルルーガはそういうアキラの表情を見て自分の答えが間違っている事を理解した。そしてすぐ別の人物の二つ名が脳裏に浮かび、同時に驚愕が彼女を支配した。

「まさか『ドール』を倒したというのか?」

 二度目の答えが正解であることは、アキラの目を見て確信した。確信したと同時に全く逆の感情が湧き起こった。つまり信じられなかったのだ。それはドールことテンリーゼン・クラルヴァインがアプリリアージェ以上の剣技を持つと聞かされていたからだ。


「非礼を詫びよう」

 しばしの絶句の後で、ヘルルーガはそう言ってアキラに小さく頭を下げた。

「レナンスの中でも飛び抜けた剣の使い手だとは聞いていたが、ドールを打ち負かすほどとは思ってはいなかった。我が部下が如何に屈強であろうが貴兄の相手になるはずもなかったのだな。そんなつもりはなかったのだが見くびっていた事には違いない。私をどうか許して欲しい」

 アキラは首を横に振った。

「大臣は間違ってはいない。俺は翼を持たぬ相手と戦ったに過ぎない。あの小さな怪物が万全の状態であったなら、俺は今ここにこうしてはおらず、エスカの昔話に名前だけが登場する存在になっていただろう。レナンスとしてそこは正直に白状したい。しかし」

 アキラはそこで声の調子を変えた。

「そもそも始まりは望まぬ戦いだ。もっとも結果としてテンリーゼン・クラルヴァインをこの手にかけたことについては一片の悔いもない。加えて言えば元シルフィード軍のベーレント将軍には褒め言葉の一つももらえるのではないかとさえ思っている次第」

「どういう事だ?」

 ヘルルーガは妙な言い回しをするアキラの顔を見て眉根を寄せた。だが直後にハッとして目を見開いた。淡々としゃべっていると思っていたアキラの目に微かに涙が浮かんでいるのが見えたからだ。



********************



 先頭を走っていたアプリリアージェだったが、急に立ち止まると右手を挙げて後続に止まるように指示を出した。

「ドライアド兵のようですね。いつの間に現れたんでしょう」

 アプリリアージェの頭上で声がした。アルヴの青年兵だ。

「アルヴが三人か。それにしてもあれは突っ立っているのでしょうか。動きがありませんね」

 ティルトールと別れたアプリリアージェ達が、ヘルルーガ部隊の動きを掴むのにはさほど苦労はしなかった。そもそもナットニースから北へ抜ける道は一本なのだ。シドン港を船で出たアプリリアージェ達は、海岸伝いに東へ進み、そのままナットニースから北方に抜ける街道にほど近い所まで河を遡った。後は街道沿いに南下すればヘルルーガの部隊にぶつかるだろうという目論見である。

 そしてそろそろ部隊の斥候と出会うであろうと思われる場所で、街道の真ん中に佇む三人の兵を発見したのである。

 ただし、アプリリアージェ達も前方には気を配りながら行動をしていた。遥か遠くに人物らしきものが見えた時点で街道から逸れて相手をやり過ごしながら距離を稼いでいたのだ。だが前方の三名はアルヴ兵が言うとおり、かなり近くに忽然と現れたように見えた。

 この距離ではこちらが相手の存在を把握しているのと同様に向こうでもアプリリアージェ達の事は確認済みのはずであった。

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