第八十二話 排除命令 1/4

 エスカの元にワイアード・ソルを拠点とした「注目すべき勢力」の情報が届いたのは、アプリリアージェが部隊を離れてからであった。情報収集能力に差があったと言うことではなく、ナットニース戦役が余りに劇的な出来事だったからに過ぎない。

 だがそこで生まれた小さな時間差が、大きなツケに変わる事を、エスカはまだ知る由もなかった。


 ここでいう「注目すべき勢力」とは、もちろんアプリリアージェ陣営の事である。

 第三勢力として旗揚げを行ったアプリリアージェだが、ドライアド軍から見てもシルフィード軍から見ても、一見シルフィード軍として認識されるのは仕方の無い事であろう。もちろんそれもアプリリアージェの計算のうちではある。

 エッダ軍とノッダ軍がぶつかった当初からの経緯を俯瞰していた者がたとえ居たとしても、その合同軍がシルフィード軍であるという認識にブレはないはずである。

 不穏な動きを強いて挙げるなら、シドンで海賊、それもファランドールの海の半分を縄張りに持つ大海賊の頭目と会談を持ったことくらいであろうが、それとて戦時下にあって必要に迫られて将官判断で一時的な和合を持ったとみれば奇異には映らないであろう。

 しかしアダンを目指すエスカ達にとって、北方海域に絡む勢力情勢を単純に分析するわけにはいかない。その中で浮かび上がってきたのがワイアード・ソルからシドンに向けた地域を一気に掌握したとあるシルフィード軍部隊の存在であった。

 単純に戦力状況を把握した場合、誰の目にもアプリリアージェの部隊は突出していると言えるが、エスカ達がこの部隊に目を付けたのは部隊としての戦力よりも部隊を率いる人物の名前であった。


「ワイアード・ソルへ続く補給路をあっと言う間に確保しやがったのはどこのどいつだ?」

 戦略家か、はたまた戦術に長ける将校か、それとも偶然と幸運を呼び寄せる英雄か。

「どうやら死に神が生きていたようだ」

 エスカの問いかけに応えたのはヘルルーガであった。

 分析した情報を伝えに来た彼女は、そう言うと唇を噛んだ。

「どうした、訳ありか?」

 珍しく顔の曇りを隠さないヘルルーガに違和感を憶えたエスカが尋ねると、軍務大臣は質問でそれに返した。

「『笑う死に神』の噂は?」

 その問いにエスカはうなずいた。

「ドライアドじゃあ『白面の悪魔』の方が馴染みがあるがな」

「はっきり言って、絶対に敵に回したくない相手だ」

「お前ほどの軍人でもか?」

「その買いかぶりは嫌味にしか聞こえない」

「今まで俺が買いかぶった人間なんていねえよ。だが、ふむ……」

 エスカはそう言うとヘルルーガの表情を改めて観察した。もともとこう言った場面で冗談を言えるような性格でないことはわかっている。そしてどれほど強力な相手であろうと、敵に対して決して怯む事などないことも。だが「笑う死に神」の名前に対する態度には、明らかに萎縮の影が見える。


「『あれ』と戦う事は極力避けて欲しい。もしそうなってしまった場合、私は尚書を辞し、あなたの護衛につく。もっとも何も出来ない可能性は高いが気休めくらいにはなるだろう。まあ、主に私の気休めだがな」

「おいおい」

 思い詰めたような声でそういうヘルルーガに、エスカはしかしいつもの軽口をかけるのがためらわれた。多少冗談めかしてはいるが、おそらくは曲げることのない決心から出た言葉に違いないと思えたからだ。

「それほどなのか?」

 ヘルルーガはうなずいた。

「あれはダークアルヴだが、アルヴ族であってアルヴ族ではない。なぜなら人を殺す為には手段を選ばないからだ」

「俺にも戦略や戦術はあるつもりだが、それでも全く歯が立たないって事かよ?」

 肩をすくめて見せたエスカに、ヘルルーガは首を横に振って応えた。

「ユグセル公爵、いや中将はシルフィード軍のお歴々をして希代の戦術家だと称されている。しかし私に言わせればあなただって希代の戦略家だ。だから軍隊同士を動かす会戦になれば勝敗など誰にもわからない」

 エスカはヘルルーガのその言葉に初めて眉をひそめた。


「だがル=キリアにそんな事は関係ない。あなたの事が邪魔だと判断したら、あの女は単身でこちらの本営に乗り込んで、その首を掻き切ろうとするだろう」

「あー、そりゃあ本物だね」

 シャナンタ・キョウヤが二人の会話に割って入った。

「どっかの女軍務大臣のように敵に怖れられる猛将ってやつは何人も知ってるが、味方にそこまで忌み嫌われながらも怖れられるヤツは初めてだな」

 ヘルルーガはシャナンタの「怖れられる」という言葉に頬をぴくりと反応させたが、何も言わなかった。いつもならシャナンタがそういう物言いをしようものなら、烈火のごとく怒りをぶつけるはずのヘルルーガが沈黙を守っている。

 その意味をエスカは重く見たのだろう。気休めを口にする事にした。

「わかった。軍務大臣に辞表を出されてはかなわんから、取りあえずアキラを呼び寄せよう。それでどうだ?」

 しかしヘルルーガは首を横に振った。

「レナンスであるアキラ殿は確かに強い。しかし相手は……」

「『白面の悪魔』は普通の人間ではない、ですかな?」

 キョウヤはヘルルーガの言葉を継ぐようにそう言うと、複数のコンサーラを付ける事をエスカに提案した。だがエスカはそれを言下に断った。

「防御ルーンと護衛に守られた王を、一体誰が認めるってんだ?」

「甘いことを」

 シャナンタも負けてはいなかった。


「きれい事で敵が倒れてくれるとでも?」

「キョウヤ卿の言やよし」

 ヘルルーガは珍しく、いや出会ってから初めてシャナンタの意見に全面的に賛同してみせた。

「護衛に囲まれるのが嫌なら、せめて変わり身を置いては下さらぬか? 今ならまだあなたの存在はほとんど知られていない……少なくともおそらくあの化け物が少しの間迷ってくれるだけでもいい」

 そこまで口にして、ヘルルーガは言葉を呑んだ。自分の言葉に驚いたのだ。いや、言葉の先にある事実に気付いたと言うべきであろうか。

 変わり身とは、エスカの姿形を似せた人間を用意する事と同義である必要はない。それに気付いたのである。

「誰が甘いんだ?」

 そのエスカらしからぬ毒のある声色に、シャナンタは怪訝な表情をヘルルーガに向けた。そこには美しいアルヴの武人が微笑をたたえていた。

「なるほど。私はあなたに惚れるべくして惚れたのだな、という事を再認識した」

 エスカはシャナンタにニヤリ顔を見せると、ヘルルーガの肩にそっと手を置いた。

「心配すんな。相手が悪魔だろうが死に神だろうが、アキラはそんなに簡単にはやられねえよ」


 その時である。エスカの背後から声がかけられた。

「おいおい、その言い方だとどっちにしろ俺は最後にはやられるって事じゃないか」

 声の主はアキラ・アモウル・エウテルペであった。

「それよりも、あの言い方だと賢者としての私の立場がまったくありません。極めて遺憾と申し上げておきましょう」

 アキラと共に本営に入ってきたもう一つの声の持ち主は【黄丹の搦手】ことリンゼルリッヒ・トゥオリラであった。

「確かにそうだな」

 おかしそうにそう言ったのはヘルルーガだった。

「いざとなったら盾となっている私ごと賢者殿の火球で灰にしてもらおう」

 その言葉を聞いたシャナンタがポンっと手を打った。

「そうか、既に変わり身を作っていたという事か」

 そして呆れたような顔でエスカを眺めると、その肩をポンポンっと叩いた。

「大丈夫。例え側室であろうと自分の妻を囮に使うような男に、死に神も悪魔も敵うわけがない」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る