第八十一話 未確認陣営 3/5
「無理を承知でお願いします。至急ヘルルーガと連絡を取りたいのです」
もちろんティルトールは、アプリリアージェがそう言い出すであろう事はわかっていた。
「もちろん既に手配はしている。しかし、お互いに部隊が動いているこの状況で至急と言われてもなあ」
本来自軍の部隊間の連絡は、兵を伝令役として用(よう)するのはもちろんだが、一定の条件を満たす場合は鳩を使ったものが主体であった。ティルトールもそれらに準じたある程度の連絡手段は有している。だがウンディーネは川や沼が多く、陸伝いでどこにでもいけるわけではない。伝令兵にとっては苛酷な土地と言えるだろう。ましてや部隊が大きく展開・分散している現状では帰投がなかなか難しいのだ。鳩は基本的に固定した拠点へ向けた連絡手段だ。任意の場所へは送れない。要するに緊急というアプリリアージェの要求は満たせない状況であった。
「どうしてもというのなら午後に戻る予定の風のフェアリーの小隊がある。それを走らせよう」
だが、アプリリアージェは首を横に振った。
「それではたぶん、遅すぎます」
「そうは言うがな」
客観的に見て、ティルトールの提案はその時点で考え得る最良の方法であろう。帰投した部隊に休息を与えられぬという負い目はある。しかしアプリリアージェの要求を最優先項目とする事に依存はなかったのだ。
だが、アプリリアージェの微笑にいつもの柔らかさが見られない事にティルトールは気付いていた。
「正直に言います。私は焦っています」
アプリリアージェはティルトールの考えを肯定する言葉を口にした。
「急がないと……このまま何かが狂いはじめる、そんな嫌な予感がするんです」
アプリリアージェが目指すのは早期の戦争終結である。もちろんその為の綿密な戦略を立てていたであろう。戦争終結が目的であるから、最悪の場合は戦勝国はどこでも良かったといっていい。いや。そう書くと語弊を生むかもしれない。つまりこうだ。アプリリアージェは自ら立ち上げた陣営が勝利し、そのままファランドールに君臨するつもりなどは毛頭無かったのだ。もちろんシルフィード王国、いやノッダ陣営の勝利で戦勝が終結する事が望ましいと考えていた事は間違いないところだろう。ノッダの指導者達であれば、少なくともドライアドの五大老より終戦後のファラドールを「悪いようにはしない」はずだと考えていたのではなかろうか。もちろんそれは今となっては憶測である。そもそもノッダ軍が完全勝利を掴む可能性が高いとはアプリリアージェに限らず誰も考えなかったに違いない。しかし、それさえもどうでも良かったのだ。アプリリアージェは自らがやることについては、一切の迷いを持たなかった。
その最終目的は単純である。
戦争を早期に終結させる方法、それは各陣営の全戦力もしくは主要なそれを一堂に集結させ、しかるに発生するであろう大きな戦いでこの泥沼状態に決着を付けるという極めて単純なものであったろう。だが問題はその為の戦略だ。
現実的にどうであったかというと、アプリリアージェの思惑を実現させるには、もはや月の大戦に於ける戦場は拡散しすぎていた。従って全ての陣営の全部の戦力を一カ所に集めた大決戦は不可能だと考えて良いだろう。だがそれでも主力部隊同士が戦う事によって戦争自体を「早期に」終わらせる引き金にはなるはずであった。
それには各陣営の主力をできるだけ「在る地点」に終結させる必要がある。つまり「決戦の場」を用意する必要があった。
そしてそこで立てるアプリリアージェの戦術が全て上手くいきさえすれば、シルフィードのノッダ軍がドライアド軍を破り、すなわちこの泥沼といえる戦争に取りあえずの「句点」が打てるであろうと。
アプリリアージェはその時点、つまりヘルルーガの大戦勝の報を受ける直前には最終決戦に向けた自軍への指示は基本的に終えていた。
ファルンガ州の軍船団、つまり州兵と海賊アングルによる同盟軍であるニルティーアレイの海軍は、アプリリアージェの指示で一路ドライアドの首都ミュゼに向かった。アプリリアージェが想定した日時に合わせて五大老を確保する、もしくはミュゼを陥落できずとも相当な痛手を負わせ、ドライアド軍に於ける指示系統を崩壊させる事がその作戦目的である。
「思う存分やっていい」
というのがニルティーアレイことアプリリアージェの指示であった。海賊アングルはもともとドライアド王国、いや五大老のファランドール統一をよしとしていない集団であった。アプリリアージェに合力するという前提以前に、彼らにはミュゼを叩く理由があったのだ。とは言え闇雲に実行できるようなものではない。むしろ妄想に近いだろう。しかし、その「時」がアプリリアージェによって用意されてしまったのである。
混乱しているとはいえ、いきなりドライアドの首都に押しかけても勝利が得られるとは考えにくい。だがそれでもアングルは大船団に号令を下した。
「もう、生きては会えないでしょうね」
アングルを送り出す際にアプリリアージェはそう言ってにっこり笑って見せたという。
「その言葉は、年寄りにゃ冗談に聞こえないんだがな」
アングルはそう返したが、アプリリアージェは首を横に振ってこう答えたとされている。
「あらあら。首領がヘマをするなんて、まさか私が思っているとでも?」
その言葉にアングルは何かを言おうと口を開きかけたが、ため息をついて言葉をのみ込んだ。
いつものアプリリアージェの微笑から、氷の様な意思を読み取ったのだ。アングルには今口にできる語彙が自分の知識の中には無いことを後悔し、そしてほっとしてもいた。
なぜなら冗談と笑い飛ばしたままで別れられるからであった。
海の部隊を送り出したアプリリアージェ達は次に陸の部隊を効果的に配置する作業に取りかかった。
アプリリアージェは大戦における舞台の中心となりつつあるウンディーネのある地点を「決戦」の場と定めていた。そこへ各陣営の主力を集中させ、思惑を現実のものとするべく行動を始めていたのである。
その場所は「フォリーム・キノ」と呼ばれていた。ウンディーネ東部のなだらかな丘が広がる高原地帯を一般にフォリーム平原とよぶが、そこにある広大な遺跡がフォリーム・キノである。ちなみに「キノ」とは古代ディーネ語で「墓地」を現すという説があるようだが、定説ではない。
フォリーム・キノを決戦の場に定めたのは、すなわちアプリリアージェがそこを「マーリンの座」であると断定した事に他ならない。この場合もはや「仮定」では済まされない。断定しなければ大規模な状況に取りかかる事はできなかったのだ。
複数の「地点」を想定しておくのが戦略としては定石であろう。だが余裕のある配備要員がいない以上、決め打ちで動くしかない。もっとも二箇所を想定できるだけの「人数」がいたとしても、アプリリアージェはためらうことなく一箇所に絞ったに違いない。アプリリアージェがやろうとしている事を成し遂げるには、通常の部隊では不可能である。それはつまり兵の数ではなく質が伴わなければ実現し得ない作戦であったからだ。
希薄化された二つの戦力より、実のある一つの戦力こそが、アプリリアージェが求める者だったのだ。
フォリーム・キノこそがマーリンの座であると推理したのは何もアプリリアージェだけではない。むしろアプリリアージェは他者の説の一つを支持しただけなのだ。事実、ドライアド軍はすでにフォリーム・キノこそがマーリンの座であるという前提で開戦当初から部隊展開をしていた節がある。それは戦争が長引き、分析が行われるようになったことでわかったことであるが、真実はどうあれドライアド軍がそう思っているという事に関しては間違いはないだろうという確信があった。
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