第八十一話 未確認陣営 4/5

 月の大戦は疑心暗鬼のうちに始まった戦争とも言える。

 伝説をどこまで真実と想定するか。それが各陣営に無言で突きつけられた「謎」なのだ。伝説を信じ、マーリンの座を支配下に置くことで超常現象による圧倒的な力を封じる、あるいは手にする可能性があると考えるならばマーリンの座という場所に固執する必要がある。しかし伝説はあくまでも伝説だと割り切れば、特定の地域に固執せず、純粋に戦局に向き合うだけで良い。

 それなりの期間を要して準備を進めてきたと思われるドライアドは、その有り余る兵力に物を言わせ、マーリンの座を確保しつつ、戦局は戦局として純粋に向き合う事ができた。

 後手に回ったと言えるシルフィード軍はあろう事か分裂しており、戦局を主導することができずにいた。

 つまりどちらに転んでもドライアドは圧倒的に優勢に月の大戦を戦う事ができていたのである。


 ドライアド側の不安の種は、唯一エレメンタルを確保出来ていないという点にあった。 本来であれば二人以上のエレメンタルを自軍に取りこんだ上で開戦といきたかったのであろうが、結果として未遂のまま剣を振り上げることになった。だがそこにはドライアドなりの計算があったと言えるだろう。

 ドライアドとしては、エレメンタルなど一人も存在していない方が都合がいいのだ。戦力ならば圧倒している。普通に戦えばファランドールはドライアドのものになる、そう考えていたからである。

 不確定要素のあるエレメンタルやマーリンの座が持つ人知の及ばぬ力など、ドライアドにとっては無用の長物である。確実に自分達のものになるのであればよし、そうでなければない方が話は簡単だ。

 結果としてエレメンタルを手に入れることができなかったドライアドはしかし、エレメンタルの死、あるいはエレメンタル消失の情報を入手する事で機をうかがっていたと言える。


 それについて、アプリリアージェはこう推理していた。

 奇しくもアプリリアージェ自らがその手にかけたとも言える炎のエレメンタルの消失については、状況情報として推理していたであろう。

 風のエレメンタルだと認識していたエルネスティーネ・カラティアについては、盟友と呼んでいいかははばかられるが、少なくとも同盟関係にあると思われるサミュエル・ミドオーバがその心臓を鷲づかみにしていると判断していたに違いない。

 最も早くにその存在が認知された水のエレメンタルが脅威ではない事も何らかの情報として既に知っていたのであろう。

 残る懸念材料は、最後までその存在が認知出来なかった地のエレメンタルだが、ドライアド側はそれまで全く情報網に引っかからなかった地のエレメンタルは何らかの事故で、既に消失したものと判断したのではないか。


 もちろん、アプリリアージェはエルネスティーネが風のエレメンタルではなかった事を知っている。だが、結果として風のエレメンタルが消失した事には変わりは無い。

 水のエレメンタルであるルネ・ルーが、どの陣営でもない三聖の一人、【蒼穹の台】の管理下に置かれている事も知っている。そして戦争不介入を謳う三聖が、水のエレメンタルを月の大戦に投入する事は無いと判断していた。

 炎のエレメンタルであったとされるルルデ・フィリスティアードが消失したのは自らの目で見ている。ただし、これについてアプリリアージェは小さな懸念材料があるとは考えてはいたが……。


 そして残るは地のエレメンタルである。

 アプリリアージェが他の陣営と決定的に違う点がここにある。

 つまり、アプリリアージェの戦略は、地のエレメンタルが存在している事を前提として成り立っていたのだから。

 いや、地のエレメンタルでなくてもいい。圧倒的な個の力を持つ地のフェアリーの存在を前提に、その人物、すなわちミリア・ペトルウシュカが事に当たり絶対に「動く」事を想定した上でくみ上げられた戦略であり、彼女の頭の中にあるいくつかの戦術はそれを大前提にした上で練り上げられたものであった。

 だが、ここへ来てアプリリアージェの想定外の陣営が現れた。しかも弱小勢力などではなく、十万を超える大軍をあっと言う間に屠るほどの戦力を持つ勢力だ。

 問題は既知の勢力ではない、という事であった。

 どう考えても「今まであった戦力」のはずがないのである。

 この時期に突然勃発した大きな戦力。それはつまりドライアドと同様に「準備されていた」陣営だと考えるのが自然であろう。

 そしてその未知の陣営に、ヘルルーガ・ベーレントという既知の人間の名前がある。

 それはつまりこれからの戦局がアプリリアージェの思惑とは全く違うモノになる可能性だけを示していたと言えるのだ。

 戦略を変更する為の情報がアプリリアージェには絶望的に少なかった。だからこそ知る必要がある。伝聞では隔靴掻痒と言うものだ。


 アプリリアージェはサラマンダ大陸の地図を広げた。

 隠しの革袋から貨幣を取り出すと、自軍の位置に金貨を置き、ヘルルーガの部隊がドライアドの大軍を滅ぼしたと思しき場所に銀貨を置いた。

 そして両者の間にある大きな×印を見つけ、目を細めた。

 ×印のそばには筆記体で地名が記されていた。フォリーム・キノと。

 その中心部から見上げる二つの月、アイスとデヴァイスがぴたりと重なって見える「合わせ月」の日。その直前が、アプリリアージェが想定した決戦日であった。

 両軍は奇しくもその決戦の場所に対し、ほぼ同じ距離に位置していた。


 目下、フォリーム・キノ自体はドライアド軍の占領下にあった。戦争が始まってすぐに占領下に置かれたと考えるのが自然だろう。いや、戦争が始まる前には既に占領されていたと考えるべきであろう。フォリーム・キノを占拠した時点で宣戦布告を行ったのであろう。

 斥候の情報では補給路を確保した五万の大軍が駐留しているという。

 現時点であれば、シルフィード軍が態勢を整えて乗り込めば勝利を収める可能性はある。しかしそれではアプリリアージェの目的は達せられない。たかだか五万や十万の軍勢を潰しても戦争自体は終結しないのである。

 どちらかの陣営が、持てる戦力の大多数をそこに投入し、そして大多数を投入した陣営が敗れる事で初めて戦争が終結するのだ。

 中途半端な軍勢が小競り合いを行うだけでは計画倒れになる。

 最良の脚本は、フォリーム・キノが決戦の場であると両陣営が認め合う事である。言い換えるならフォリーム・キノを制する陣営が月の大戦を制すると思わせる事ができればいいのである。

 そしてそれはドライアドではなく、シルフィード軍にそう思ってもらう事が重要であると考えていた。展開しているシルフィード軍をできるだけ統制がとれた状態でフォリーム・キノに集結させる事、それができればアプリリアージェが当初描いていた作戦は、半分成功したと言えるのだ。

 ティルトールの呼びかけだけでは、ノッダ軍全体の指揮系統を考えた場合、どう楽観的に見積もっても優先順位が下がることが想像できた。つまり各部隊の指揮官は、当面の作戦を中途で放棄してまで、わざわざ敵の大部隊が居るところに急ぎ馳せ参じる事はできないであろうということである。

 現在の状況を平らげた後、事後収拾作業をおこなって補給路を確保しつつの進軍では時間がかかりすぎてもはや合わせ月の日には間に合わない。

 そこでアプリリアージェは現存する大部隊であるノッダ駐留軍を利用する事を考えた。

 自らの作戦を伝え、その承認要請を行ったのである。それは当然、勅命により全軍に行動を起こさせる為である。もちろん形式上書簡はティルトールの名前で出したが、それとは別にアプリリアージェは直接イエナ三世に自らの署名付きの親書を添えたと言われている。


 様々な噂でその正統性が疑われつつあるイエナ三世であるが、アプリリアージェ自身はその求心力については心配をしていなかった。

 いや、言い換えよう。

 アプリリアージェにとってはイエナ三世の求心力の多寡などはどうでも良かったのだ。イエナ三世の正統性の問題云々よりも実質的な軍の頂点であるガルフの命令さえあれば、間違いなくシルフィード王国軍は動くのである。アプリリアージェにとってのイエナ三世とは、もはや軍を動かす為の方便のような存在なのだ。

 だが方便と違い、形のあるイエナ三世はより「使い出」のある存在であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る