第七十九話 もう一人のニルティーアレイ 3/4

「ティル……」

 笑いをどうにか抑えようと腹を押さえながらアプリリアージェはティルトールに声をかけた。

「おかしい……」

 涙を拭いながらそう言うアプリリアージェに、ティルトールは憤然とした顔で抗議した。

「おかしな推理ではないだろう? 一連のお前の話を聞いていると、その男ならやりそうだと思ったまでだ」

 アプリリアージェは笑いの余韻の中でうなずいた。

「あなたをばかにして笑っているのではないのですよ、ティル。むしろ感心しています。その可能性を私は全く考えもしませんでした」

 懐から取り出したハンカチで涙を拭いながらアプリリアージェは続けた。

「ああおかしい。でも、違いますね。あの人のやり方ではない」

 ティルトールは二人の副官と顔を見合わせた。

「あの人がその気になったら、こんな戦争はすぐに終わるでしょう。いえ……」

 いったんそこで言葉を区切った後、ため息交じりにこう続けた。

「そもそも戦争などという面倒な事が始まる前に全てが終わるしょう」

 そのの言葉に誇張がない事をティルトール達は既に知っていた。アプリリアージェからは既に情報が伝えられていたからだ。

 無論アプリリアージェが「あの人」と呼ぶミリア・ペトルウシュカの能力を全て知っているわけではない。だが短い出会いの中であってもわかっていたのだ。エルデやエイルすら手も足も出ぬ相手なのだ。その気になれば相手が誰であろうと簡単にその命を奪える力を持っていることはほぼ間違いない。要人の暗殺など、あの能力があれば紅茶を淹れるよりたやすく行えるだろう。むしろ軍隊など足手まといなだけなのだ。

「とは言え、ティルの言うとおり、全く関係が無いとも思えません。だとしたら第三勢力とやらは一体何を目指しているのでしょうね……」

 最後の方は独り言のように声が小さくなっていた。


「その第三勢力とやらの話で思い出したのですが」

 今まで聞き手に徹していたトランがおずおずと声をかけた。

「何か情報を知っているのか?」

 ティルトールの問いにトランはうなずくと、視線をアプリリアージェに移した。

「なんでもいいですよ。あなたが知っている事を教えてくださいな」

 その一言で発言を許されたと判断したティルトールは一礼すると改めて口を開いた。

「展開する方面が離れていたので、この情報を聞いたときは大して気にも留めていなかったのですが……」

「前置きはいい。何の話だ?」

「ベーレント提督の件です」

 トランの口からその名が出ると、ティルトールは顔をゆがめた。

「実に残念な話だ。あやつとはノッダを出る際に全てが終わったら痛飲しようと約束していたのだがな」

「ヘルルーガがどうしたのですか?」

 アプリリアージェは続きを話すように促した。


「先だってのエルミナ南部戦線でドライアドの大軍に挟撃され、降伏することなく最後の一兵まで戦ったと聞き及んでおります」

 スウェブは沈鬱な表情で苦しそうにそう言った。

「単身で上陸し、残存兵をとりまとめて部隊を編成し直し、その後連戦連勝。その勢いに乗り内陸から北部の港へ抜ける新たな補給路を構築するという大任を負われていたようですが」

「ワイアード・ソルを片付けたら我が軍もそちらへ合流する予定だったのだがな」

 ティルトールがそう言ってチラリとトランを見やった。視線が合い、うつむくトランにティルトールは顔を上げるように命じた。

「お前が気に病む必要は無い。お前はお前の任を全うしたのだからな。そもそも俺達がワイアード・ソルに辿り着く前にヤツは死んだのだ」

 わざと素っ気なくそう言うと、ティルトールはアプリリアージェに向かって続けた。

「ヘルルーガのおかげで、今ではウンディーネの西地域はシルフィード王国の勢力下にある。ヤツの働きは後世に残るだろう。いや、この俺が伝え広めてやる」

「それはけっこうな事ですね」

 アプリリアージェは気のない返事をすると、目を伏せて腕組みをした。

「全滅、ですか?」

 目を閉じたまま尋ねたアプリリアージェにスウェブが答えた。

「将軍の部隊も全滅はしましたが、挟撃してきた片方のドライアド軍を全て平らげたということですから、おそらくは獅子奮迅の……」

 スウェブがさらに説明を続けようとしたところを、目を開けたアプリリアージェが手を挙げて、やんわり制した。

「それで、サーリセルカ少佐?」

 アプリリアージェはこの話題に水を向けた張本人に声をかけた。

「第三勢力とヘルルーガの部隊の全滅がどうしたというのですか? ヘルルーガが戦ったのは実はドライアドではなくその第三勢力の軍だったという話ですか?」

「いえ」

 トランは首を横に振った。

「それはわかりません。ただ、この話を聞いたときに引っかかるものがあったのですが、その時は私も色々あって深くは考えませんでした。ですが今ユグセル公爵のお話を伺っていてその時に感じた喉に魚の骨が刺さったような感覚を思いだしたのです」

「と、言うと?」

「ベーレント将軍の部隊の兵力は二千四百と聞いています。対して全面衝突したドライアド軍は三千だそうです。そして激しい戦いの後、双方が全滅」

「それが?」

 尋ねるアプリリアージェの目が少し見開かれた。

「おそらくドライアド軍を蹴散らして疲弊した所に挟撃していた別のドライアド軍が襲いかかり、結果として全滅したということなのでしょうが……」

「じれったい。いったい何がいいたいのだ?」

 ティルトールは不機嫌そうな声でトランに結論を急がせた。トランはうなずくと自身の違和感を簡単な言葉に変換した。

「二千四百ものアルヴで構成されたシルフィード軍にしては弱すぎませんか?」


 ティルトールとスウェブは顔を見合わせた。

「それは、強力なフェアリーやルーナーによる罠が……」

 ティルトールはイエナ三世をノッダに護送する際のあの事件が脳裏に焼き付いていた。

「西部方面に展開していたシルフィード軍に蹴散らされた言わば敗走兵で構成されたたった三千人の部隊ですよ? それとも我がシルフィード軍はそこまで弱体化しているのでしょうか?」

 ティルトールはトランの指摘に返す言葉が見つからず、思わずアプリリアージェの表情を伺った。

「さらに言えば、敗走するような兵です。それなのに残り一兵になるまで戦い抜いた事も妙です。アルヴならばわかりますが、相手はデュナン中心のドライアド人です」

「それは……」


「サーリセルカ少佐」

 アプリリアージェは少し低い声でトランに声をかけた。

「その戦いがあったという場所の付近には都市や城砦を持つ自治体のようなものはありますか?」

「戦いはフラウト街道で起こったそうですから、付近にあるのはフラウト王国だけですね。辺境なので他にはないはずです」

「首領」

 アプリリアージェは今度はサテンに声をかけた。

「ウンディーネの地図を拝見したいのですが」

「ばかにするな。海賊が海図以外の地図を持っているわけがないだろう」

「冗談は後でお茶をいただきながらゆっくり聞きます。それとも電撃治療がお好みですか?」

「ひえっ」

 過去に何かがあったのだろう。アプリリアージェの直接的な脅しは皆が驚くほどの効果を上げ、十数秒後にはスウェブによってウンディーネ連邦の区分地図の束がテーブルに広げられていた。

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