第七十九話 もう一人のニルティーアレイ 2/4

「なるほど」

 アプリリアージェは念のために便せんを灯りに透かしながら小さくうなずいた。

「この文章には二つの意味があるようですね」

「ほう。言ってみろ、ニルティーアレイよ」

 サテンの声は嬉しそうに聞こえた。

「まず、海賊アナクラはどこかの陣営に与したようですね。サララ・アナクラが直接の交渉相手ではないとなると、決定権を持つ別の人間がいると考えるのが素直な解釈です。頼む相手が違うとはそう言う意味でしょう」

「ふむ。じゃあ二つ目は?」

「そしてその陣営とは交渉の余地がある。すなわち我々の敵と決まったわけではない、と読み取れます。最初から敵であることがわかっているならばわざわざ別の相手に頼めなどという書き方はしないでしょう。そうですね【バカも休み休み言え】と書いて寄越すに違いありません」

「いや。さすがにそんな事を書くのはお前くらいだ」

 サララはそう言ってニヤリと笑うと、副官らしき巨漢のアルヴの助けを借りて上体を起こした。


「まあ、俺も全く同じ考えだ。どうする? 想定外だぞ」

「うーん。問題はその勢力ですが、どう考えてもドライアドではない気がします。もちろんシルフィードであるわけはありませんし、そうなるとこの戦争には第三勢力と呼べるものが存在しているということでしょうかね」

 アプリリアージェはそう言うと、サテンににっこりと笑いかけた。それは「候補や予想くらいは持っているのだろう?」という問いかけである。

 だがアプリリアージェの意に反してサテンは首を横に振った。


「息子のアルカナの船団がちょっと前に妙な動きをしていた、という話は聞いている。だが、あの用心深いサララがどこかの誰かと会って軍事的な取引をしたなんて話は知らんしあり得んよ。噂すら聞いたことがねえ」

 サテンにしろサララにしろ、当然ながらお互いにお互いの仲間の中に情報提供者を潜り込ませているはずである。そこからの情報がないとなると、現時点で知りうる世界情勢から予想するしかない。だが、推測の元になるだけの情報をアプリリアージェは有していなかった。

「強いて言えば私が第三勢力のようなものですが……」

「言ってみればニルティーアレイが二人居るってことだな」

 サララの言葉にアプリリアージェは首を巡らしてティルトールに顔を向けた。

 だがアプリリアージェの視線の意味をわかった上でティルトールは首を横に振った。


「五大老が動かすドライアド、意図はよくわかりませんが、それに荷担しているに違いない新教会と元バード長のミドオーバ。これが一つ目の陣営」

 アプリリアージェは自分の頭の中を整理するようにそうつぶやいた。

「二番目の陣営はもちろんノッダを拠点とするイエナ三世を中心としたシルフィード王国軍」

「そしてその戦争を引っかき回そうと企むお前が三番目だな」

「いえ」

 アプリリアージェはティルトールの言葉を短く否定した。

「順番で行くと、私達はどうやら四番目の陣営のようですね」

「問題はその海賊アルカナ・アナクラと組んだヤツが誰か、という事か」

「そうですね。非常に興味があります。正教会がいきなり海賊と手を組むとは考えにくいですし。でも問題はその第三の陣営とやらの目的です」

「目的? そんなものは自領の拡大だろう? どうせシルフィードにコナかけて適当なところでドライアドに連合を持ちかけておいしい汁を吸おうってえハラだろうが?」

 サテンはそう言って鼻を鳴らしたが、アプリリアージェはそれにはなにも答えなかった。


「ご老人」

 代わりにティルトールがサテンに声をかけた。

「フン、おそらくお前さんと同じくらいの歳だよ、でっかいの。アルヴにご老人と言われる筋合いはねえよ」

「私の歳の話はさておき、大海賊アナクラともあろう者が領地拡大狙いのチンケな輩に合力しようとしますかな?」

「それは……」

「ウンディーネの都市国家風情が領地拡大程度を目論むのであれば最初から親ドライアドの態度を示して連合する方がよほど五大老の覚えが良いでしょうな」

 ティルトールの言うとおり、混迷してきた状況下にあってあえて旗印を掲げるのであればそれは野望を持つ者であろう。

「この時期を待っていた、という事か?」

 サテンもティルトールの言葉には反論をしなかった。彼にしても自説では腑に落ちていなかったのだろう。それは自分が自領拡大などというちっぽけな思惑を抱く領主に手を貸すかどうかを考えればわかることだからだ。サララという同業者をサテンはよく知っていた。むしろそんなどうでもいい話に興味を示すような人物ではないという事をその場でもっとも知っていたのがサテンだと言えた。

「この時期が来るのを知っていた、という方がよりその人物を知る手がかりになりそうですね」

 もちろん「この時期」とは、圧倒的だと思われていたドライアド軍が急に浮き足立ち、シルフィード軍に押される展開になっている事を指している。

 ドライアド経済圏が混乱し、物価が跳ね上がった挙げ句、深刻な物資不足に陥り大軍を維持する補給線を失っている状況はアプリリアージェ達も把握していたのである。


「ここ最近、サララ・アナクラに会った人物はいない、と仰いましたね?」

 アプリリアージェの問いにサテンはうなずいた。

「ヤツの副官の一人は俺の子飼いだ。それとは別に幹部にも通じているヤツがいる。そこからの情報じゃあ、そんな動きは全く無い」

 アプリリアージェは目を細めてサテンの話を聞いていたが。唇の端を持ち上げて笑い顔を作った。

「誰かは知りませんが、アルカナ・アナクラのお相手はとても面白い人物のようですね」

「それってつまり、相当以前から準備していた、という事ですよね?」

 スウェブがティルトールに問いかけた。だがティルトールが無言で目を伏せ、腕組みをするのを見ると、アプリリアージェが代わりに答えた。

「その通りですが、それよりも私が恐ろしいと思ったのは『随分以前から、こうなることを予想していたに違いない』事ですよ、イヴォーク少佐」


「ふん」

 アプリリアージェの言葉にサテンが鼻を鳴らした。

「なら、お前と同じじゃねえか、ニルティーアレイ」

「もう一人のニルティーアレイ……ですか」


 ティルトールは何かを思いついたかのように目を見開くとアプリリアージェに問いかけた。

「おい、まさかそいつらもお前と同じように『悪を倒す』なんてホザいてるんじゃあるまいな? だとしたらそれは……」

「だとしたら?」

「いや。お前が目指している例の男ではないのかと思ったのだ」

「あははは」

 ティルトールの言葉に、アプリリアージェは弾かれたように笑った。

 それはまさしく感情に突き動かされた笑いであった。ティルトールはアプリリアージェがそんな風に笑うのを初めて見た気がした。

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