第七十九話 もう一人のニルティーアレイ 1/4

 アプリリアージェ達は短期間で一つの陣営を作り上げていた。もちろんワイアード・ソルを拠点としたものだ。

 南側では依然ドライアドの勢力を牽制する必要はあるが、近隣の都市国家は既に敵ではなかった。武装を解除され、丸裸の状態だったからだ。

 アプリリアージェは自軍に対して攻撃をしかけた都市国家を蹂躙することはしなかった。もちろん限りある自軍の兵を割いて駐留させることも避けた。その代わりに首長に対し相応の人質を要求し、牽制力を確保しておくことは忘れなかった。

 基本的には兵の駐留は避けたが、例外として強固な城砦を持ついくつかの都市国家に限ってはティルトール・クレムラートの推薦による将校率いる一個中隊を留め置いた。もちろんその場合も人質の差し出しを例外とはしなかった。

 ワイアード・ソルを南側から攻める敵が現れた場合に有効に使える部隊があれば作戦の幅が広がる。

 このような場合に駐留軍を率いる役に任ぜられることはシルフィード軍に於いては名誉なことであった。多くは昇進の絶好の機会であり、部下も含めて士気が上がる。

 これがドライアド軍であったならば、駐留先の都市国家は略奪と蹂躙の対象になるわけだが、シルフィード軍ではまずあり得ないことであった。

「占領すれども蹂躙せず」という人道的見地からは極めて当たり前の言葉はこのようなシルフィードの駐留軍に対して使われる言葉だが、要するに戦時下のドライアド軍を揶揄したものだ。言い換えるなら、戦争下においては、戦闘員・非戦闘員の区別なく、人の命が如何に軽かったかという事を突きつけられるような言い回しと言えるだろう。


 もちろん物資の提供は占領下の都市に対する第一番目の要求項目であるが、それは部隊維持の為のものであって、シルフィード軍の場合は度を超す事は無かった。そもそもまずは首長をはじめとするその都市国家の支配者がたっぷりと溜め込んでいるものを摂取し、そこで余ったものは放出する事もあったほどだ。むしろシルフィード軍は被支配者層には人気があったとされている。


 南側をそのように固めつつ、アプリリアージェは北へ抜ける街道の制圧を文字通り風のような速さで成し遂げた。その頃になると北にはめぼしいドライアドの軍はなく、街道沿いの都市国家は戦わずして停戦条約を飲んでいた。

 それでもさすがに全戦無血開城というわけにはいかず、小競り合い程度の戦闘はあった。だがそれらの多くはドライアドに対する義理立てのような戦闘で、頃合いを見て降伏をする事が前提の戦いであり、兵を無駄に消耗するだけのものであった。

 アプリリアージェはそう言った態度をとる都市国家の首長に対しては容赦がなかった。無条件降伏を強要し、難色を示した場合は支配者を飛び越えて直接兵士達に身柄の保証を「アルヴ族の矜持に賭けて」誓った上で、投降することを進めたのだ。

 アプリリアージェが嫌ったのは、保身の為に兵の血を無駄に流すことをいとわぬ価値観である。

 そもそもドライアド軍が派遣・駐留していないウンディーネの都市国家に、たいした兵力などありはしないのだ。籠城しつつできるだけ有利な条件で停戦を探るというのであればまだ話はわかるが、無策のまま打って出て、劣勢を確認した後で停戦の要求をしてくる態度には何をか況んやである。

 とはいえそれらの動向予想を含めて、各国家についての情報は事前に調査済みなのはさすがはティルトールと言ったところであろう。つまり首長達の大まかな性格やその都市国家の状況を把握して戦いに臨むわけであるから、首長がいくら言葉巧みに自己の正当性を主張しようともアプリリアージェの微笑は一ミリも崩れることはなく、粛々と全財産の接収と無期投獄を言い渡していった。

 この施策も住民達からは当然のように歓迎された。


 そうこうしつつ、アプリリアージェ達はワイアード・ソルの戦いからわずか一週間足らずでシドンという港湾都市に辿り着いた。アプリリアージェが当初予言した通り、わずか一週間で、である。

 先行していたトラン・サーリセルカ率いる部隊が、既にシドンの支配者組織との間で講和条約を取り付けており、本体は全くの無抵抗で都市部へ進駐することとなった。

 もちろん、アプリリアージェの意向を完璧にやってのけた「援軍」、すなわち海賊アングルの、文字通りの「後ろ盾」があったからこそではある。

 なにしろアプリリアージェ達が到着する数日前には、何十隻という重装備の船団がシドンの港を埋め尽くすように封鎖しており、海道と街道が、すなわち出入り口を全てふさがれたとあってはシドンには無条件開門以外に選択肢などなかったのだ。


 アプリリアージェとその幕僚はシドンの町を素通りして、まずは自らの「海軍」の司令官に対する表敬訪問を優先した。

 船長室に入ったアプリリアージェは、内部を一目見て微笑を一瞬凍らせた。だがすぐに元通りの笑顔を作り、優雅な仕草で部屋の中に入った。

 そこはもちろん船長室であった。だが病室でもあったのだ。

 アプリリアージェが表敬した大海賊の船長は、その部屋で横たわっていた。アプリリアージェの一瞬の戸惑いは、その情報を受けとってはいなかった事を表していた。


「サララのババアから連絡が来たよ」

 開口一番、アングルの首領はそう言った。

 挨拶も何も無い。自身の状況を説明するでもない。アプリリアージェと共に部屋に入ってきた初見の軍人、すなわちティルトールとその副官達を見てもそれについて何も尋ねない。アプリリアージェの顔を認めると、ただそう告げたのだ。それは大海賊アングルをとりまとめる首領の人となりが垣間見える態度であった。

 アプリリアージェは貴族風の優雅なお辞儀をした後で声をかけた。


「こちらの要求には応じられない、ですか?」

「食えねえババアだよ、まったく」

 海賊アングルの首領、サテン・アングルは、一通の封書をアプリリアージェに差し出した。

「拝見しても?」

 封書の宛名には、親書である事を示す「S」の文字が大きく、そして真っ赤に記されていた。

「開けずに読めるならそれでもいいさ」

 ぶっきらぼうな物言いのサテンにアプリリアージェは目尻を下げて目礼すると、その大振りの封書を恭しく開いた。

 ティルトールは我慢できないといった風情で、アプリリアージェの真後ろからその文面をのぞき見た。

 そこに記されていたのは、たった一行であった。


「これは?」

 顔を上げたアプリリアージェの顔に微笑はなかった。それを見たサテンはなぜか満足そうな表情を浮かべた。

「見ての通りだ」

 アプリリアージェは改めて便せんに目を落とした。

 そこには達筆すぎて読みにくい文字でこう書かれていた。

【頼む相手を間違っている】


「確か、サララ・アナクラには息子が居ましたね?」

 アプリリアージェに問われて、サテンはうなずいた。

「アルカナという。だがヤツはまだ修行中のガキだと聞いていたのだがねえ」

 息子であるアルカナに首領の地位を譲ったのかと一瞬考えたものの、海賊同士のしきたりでは、首領の交代という超一級の重要事項はいの一番に回状が回るはずなのだ。

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