第七十八話 海賊アングル 3/4
「あれはなんやねん!」
船長室に戻ったエルデは、扉が閉まる音を聞くと開口一番そう怒鳴った。
ただし、テンリーゼンではなく、エイルに対して。
「オレかよ?」
「鼻の下伸ばしてたのはアンタやろ!」
「お前、ずっとオレの後にいたよな? どうやったらオレの鼻の下が見えるんだよ」
「る、ルーンに決まってる」
「ウソつけ。だいたいオレは別に鼻の下など伸ばしてない」
「伸ばしてた!」
「見たのかよ?」
「見いひんでもわかるわ。鼻の下が伸びたエーテルが出まくってたし!」
「伸びてないのに出るわけないだろ、というか、なんだよそのエーテル!」
いきなり目を吊り上げて口論をはじめた二人を横目に、シュクルはテンリーゼンに声をかけた。
「見事な演技でした」
だがテンリーゼンは首を横に振った。
「演技、では、ない」
「は?」
テンリーゼンの言葉に、エイルとエルデもピタリと口論をやめた。
「私は、ああしたかったから、した、だけ」
「おい、リーゼ」
「エイルも、まんざら、では、なさそうだった」
「待て待て待て!」
「やっぱりか!」
「やっぱりじゃねえ!」
再び目を吊り上げて対峙するエイルとエルデの間に、テンリーゼンがふわっと割って入った。それはエルデに背を向けてエイルに対峙する格好である。
いきなりの事にエルデは声を失った。
「エイル」
例の無表情でテンリーゼンが呼びかけた。
「離婚して」
「は?」
「エルデと離婚、すれば、私と結婚、できるでしょ?」
「できるでしょって……」
「リーゼ、あんた、うちに喧嘩売ってるんか?」
さすがにエルデの声には怒気が充分に含まれていた。
テンリーゼンはその言葉を待っていたかのようにゆっくりと回れ右をすると、今度はエルデに対峙した。
「エイルを、ずっと見てきたのは、私も、ネスティも、同じ」
「どういう意味?」
「この間、エルデは言った。『リーゼの気持ちはどうなのか』って」
「うん。まあ、言うたけど?」
「これが、私の、気持ち」
テンリーゼンはそう言うと、ふわりと身を翻してエイルの胸に飛び込んだ。一瞬の出来事でエイルにはそれを防ぎようがないまま、テンリーゼンに抱きつかれる格好になった。
「ちょっと待った」
エイルはテンリーゼンを振り払う事はしなかったが、とっさに両脇に手を入れて引き離すと、そのまま抱え上げた。
小柄で軽いアルヴィンは、まるで猫のように簡単に持ち上げられ、テンリーゼンは足をばたばたと揺らした。
「リーゼ、どういうつもりだよ?」
「気持ちを、態度で、示した」
「いやいやいやいや」
「欲しければ、奪えと、教わった」
「誰に?」
「……」
「えっと」
エイルは大きなため息をついた。
素直に持ち上げられたままのテンリーゼンは足をばたつかせるのを辞めるとそれ以上抵抗しようとはせず、体の力を抜いていた。そのまま素直にされるままになっていたが、エイルがいっこうに下ろそうとしないので、さすがに声をかけた。
「下ろして、欲しい」
「下ろした瞬間に抱きつかないだろうな?」
「……」
「おいおい、くすぐるぞ?」
「くすぐる?」
「ああ、脇の下をこちょちょって」
「くすぐったら思いっきりしばき倒す」
エイルの脅しに対して、即座にエルデから禁止令が出た。
「ウチかてまだしてもろてへんのに」
「いやいやいやいや」
エイルはいい加減、吹き出た額の汗を拭いたかった。
「とにかく、これ以上面倒をかけないでくれ、頼む」
「……わかった」
全く無表情なので、エイルにはテンリーゼンの胸の内が全く読めなかった。エーテルの乱れが全く無いので、全てが冗談だとも思えるのだが、そもそもテンリーゼンが冗談を言うのかどうかが疑問なのだ。
ゆっくりと床に下ろされたテンリーゼンは、エイルの願いを聞き入れたのか即座に抱きしめようとはしなかった。だが、再びエルデに向き合うと、さらに物騒な事を口にした。
「油断していると、私が、エイルを、いただく」
「いや、いただくって……」
「アンタは黙っとき」
エルデはエイルを睨んでぴしゃりとそう言うと、そのまま吊り上げた目をテンリーゼンに向けた。
「どういう意味や?」
「言葉、通り」
「ほーお。ウチらがめちゃくちゃ仲良しで毎日いちゃいちゃしてデレデレな夫婦やって知った上で敢えてそんなこと言うんか?」
「いちゃいちゃデレデレ?」
これはシュクルである。好奇心が人一倍旺盛な彼は、自らの中から湧き上がる衝動に耐えられずに思わず言葉に出して突っ込んでしまったのだが、案の定エルデの不興を買って怒りに満ちた顔と声で射貫かれた。
「そこ、やかましい。ちょっと黙っといてんか!」
「こ、これは失敬」
制御はしているのだろうが、エルデの精神はファランドール人の精神に強く響く。ただ睨まれただけなのに、シュクルは脂汗が吹き出るのを感じていた。
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「隠し事を、していると、嫌われる」
「はあ?」
テンリーゼンの言葉に、エルデは眉を吊り上げた。
「隠し事の見本市みたいなアンタに言われとうないわ」
「これは、一本、とられましたな、わっはっは」
抑揚のないテンリーゼンの台詞に、エルデはいっそう眉を吊り上げて見せた。
「真顔で笑うな」
「私は、笑い方を、知らない」
テンリーゼンがそう言うと、エルデはハッとした表情で肩を落とし、そして小さなため息をついた。こうなると休戦ということになるのがエルデの常であった。
「もうええわ。笑い方はウチらがおいおい教えたるさかい、せいぜいそのほっぺを撫でさすって期待しとき」
テンリーゼンは素直に自分の頬をそっと撫でると、小さくうなずいて見せた。
一悶着あったものの、その後の打ち合わせは順調に進んでいった。
もともとトルマ率いるニルティーアレイの海軍は斥候役の艦隊で、サラマンダ大陸東側の情報収集に当たっていたのである。
もちろんドライアド軍やいまだにエッダ政府の指揮系統下にあるシルフィード艦隊の動向は重要な目的ではあるが、彼らにとってのもっとも重要な役目は海賊の動向調査であった。
「この艦隊も海賊、だよな?」
エルデにそうエイルが尋ねたが、テンリーゼンがそれに答えた。
「ファランドールには、二つの、大きな、海賊勢力が、ある」
「あ、それはアトルに聞いた事があるな」
テンリーゼンはうなずいた。
「もっとも巨大な勢力は、アナクラ。それに次ぐ勢力が、リリアと、手を組んでいる、海賊アングル」
「リリアさんと、手を組んでいる?」
テンリーゼンの言うとおり、ファランドールの海には大きく分けて海賊勢力が二つあり、ニルティーアレイの海軍とはそのうちの一つが母体であった。それはアプリリアージェが海賊と通じている事を示しているどころか、ずいぶん以前から一つの海賊を動かせる程の立場、いや影響力を持っていたということになる。
つまりそれは海賊とル=キリアが同盟を結んでいたと考えるのが自然であろう。正確にはル=キリアではなく、ファルンガの領主ユグセル公爵との関係が深いと言うべきなのだが、エイルにはその違いがわからなかった。
さすがのエルデもその時までアプリリアージェがそのような暗躍をしていたとは思ってもいなかったようで、テンリーゼンに根掘り葉掘り質問を浴びせていた。
テンリーゼンは包み隠さず、質問された事には知っている限りの事を話したし、トルマもエルデとエイルの正体を知らされてからは進んで情報を提供した。
そこで明らかになったのが、ル=キリアの噂の真実、いや「嘘」である。
さしものエルデがしばらくは言葉を失っていたほど、それは驚愕の事実だった。
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