第七十八話 海賊アングル 2/4
だが、ルーナーには当然ながら弱点は多い。しかも特殊な瞳髪黒色の人種だとはいえ、どう見ても華奢な女である。護衛、しかもただの要人ではなく世界大戦を行っている一方の国の元首の護衛にはさすがに力不足の面があると考えられた。
艦長達の感心は当然のようにエイルに向いた。
瞳髪黒色の若い男は剣を腰に下げているところから、剣士であろうと予測はついた。つまりルーナーと女王を守る武を担う者である。
だが事白兵戦についてはそれぞれ一家言を持っている海賊船の艦長である。彼らは目の前の若い男が自分達の荒くれた部下達より剣技に於いて勝っているとは思えなかった。いや、一対一で戦う単純な剣技であれば英才教育を受けた者であれば強いのかもしれない。だが実践は綺麗な剣技で行うものではない。海賊達はそれこそアルヴ的な価値観では完全に否定されるような、すなわちありとあらゆる卑怯な手口で相手の息の根を止めてこようとするだろう。一対一と見せかけて第三者が矢で射るなど基本中の基本であろう。
そんな「敵」に襲われたとしたら、女王一行はひとたまりもないと思えた。
テンリーゼンは当然ながら艦長達が考えている事はわかっていた。
「剣士エイルに、ついては、心配は、要らぬ」
そう言ってエイルに近くに来るように合図すると、テンリーゼンは自分の隣に並ばせた。
「ルーナーが、そうで、ある、ように、瞳髪黒色の、剣士も、普通では、ない」
テンリーゼンはそれだけ言って興味津々といった艦長達の注目を集めた上でちらりとエイルを見たあと、今度はシュクルに顔を向け、弓矢を十人分持ってくるように命じた。
台本にはなかった事だが、シュクルは二つ返事で応じた。
同様に何も知らされていないエイルはテンリーゼンの顔を見たが、予測通り全くの無表情で何も読めなかった。振り返るとエルデが目が合ったが、小さく首を横に振って見せただけだった。
もちろんテンリーゼンなりの考えがあっての事であろうから、取りあえずは任せようと目で話し合ってお互いにうなずいた。
用意され弓矢は、テンリーゼンの指示で弓矢が得意な者に手渡された。
「私が、合図、したら、一斉に矢を放て。狙いは、舳先の、真上だ」
テンリーゼンの指示は謎だった。そもそも瞳髪黒色の剣士の話だったのに、なぜ自分達が空に向かって矢を射なければならないのかがわからなかったからだ。
だが、次にテンリーゼンが口にしたその理由を聞いた彼らは、全員が自分の耳を疑った。
「舳先の、上空に、向かって、射られた、矢を、この者が、一瞬で、焼き払って、見せよう」
「え?」
甲板に響いたその声は、まさに異口同音で、その中にはエイル本人の声もあった。
だがテンリーゼンはそんな皆の反応など全く意に介さず、まるで何事でもないような、無表情のままこう続けたのだ。
「簡単な、事だ。なぜなら、この者は、我と同様。すなわちエレメンタルなのだから」
一瞬、全員が言葉を失った。全員のうち半分ほどは自分が何か聞き間違えたのだろうと思った。そして後の半分は下手な冗談だと思った。
「我は風。この者は炎。皆は今、二人のエレメンタルを同時に、目の当たりにしているのだ」
「リーゼ……じゃなくて陛下!」
一番混乱したのはエイル本人であろう。だがテンリーゼンは平然とした顔でエイルを見つめてこう言った。
「これは、女王としての、命令である」
エイルはその言葉と少し胸を反らした尊大な態度に既視感を覚えた。
(こいつ……本当にネスティと双子なんだな)
この場では拒否するという選択肢はもはや存在しないことをエイルは理解した。
テンリーゼンはエイルが小さく深呼吸をしたのを確認すると再び艦長達に顔を向け、矢を番えるように命じ、そのまま間を与えずに減算を始めた。
「三、二、一、放て!」
矢を番えた十人の艦長達にも拒否権はなく、彼らはなるようになれとばかりに命じられたまま矢を放った。
果たして絞り込まれた十本の矢が鈍い音を放つ弓から同時に離れ、シュッという風切り音を残して舳先の上さしかかった。
全員の視線が矢を追っていた。そして次の瞬間、大きな赤い手で矢が払われるような映像を目にした。いや、払われたのではない。十本の矢は赤い手に触れて赤黄色の炎を出した後で全てが消滅していた。瞬間的に灰になったのだ。
矢の消失を目撃した艦長達は、我に返ると一斉に視線をエイルに向けた。
誰もエイルを見ていなかった。だからそこに立っている瞳髪黒色の若い男が本当に今矢を焼いて見せたのか確信が持てないでいた。
「船の上で、むやみに、火は、出せぬが、仕方ない、炎を操って、見せて、やってくれ」
テンリーゼンはそれだけ言うと、エイルにだけ聞こえるような声で付け加えた。
「制御できる、一番小さな、炎で、いい」
エイルも既に開き直っていた。
テンリーゼンがこうもあっさりとエイルが炎のエレメンタルであると明かしたのは意外で、そもそも想定外であった。だがテンリーゼンが思いつきでそうしたのではないという事は確信していた。さっきの態度でわかったのだ。テンリーゼンはエルネスティーネと同じ血が流れているのだということを。
エイルはうなずくと右の掌を空に向けた。
全員の視線がエイルの掌一点に集中した。
そこにはしっかりとした形を成さない、ゆらゆらと揺れるスイカ大の赤い球があった。艦長達がそれが炎の球体だという事を認識した時にはもう球体は消え去っていた。
「地上で、あれば」
それで終わりだとばかりにテンリーゼンが口を開いた。
「山一つ、くらい、焼いて見せて、やれるの、だがな」
炎のフェアリーでもエイルがやった程度の事はできる。だがそれは船の上だから押さえに押さえているのだという説明をしてみせたわけである。
だがエイルが本当に炎のエレメンタルであるかどうかを信じてもらえたかどうかは疑わしい。半信半疑と言ったところであろうか。
エイルもこの程度でいいのか? と思ったが、既にテンリーゼンは次の行動に移っていた。
風が移動するように、音もなくテンリーゼンはエイルに寄り添うと、そっとその腕をとったのだ。
「え?」
そしてエイルが思わず腕を引こうとするより先にエイルの耳元に「エーテルトーク」で声が届いた
(動くな。私に、任せて)
おそらくそれは同時にエルデにも届いたに違いない。なぜなら後から強いある種の意思を持ったエーテルを感じながらも、声が聞こえてこなかったからだ。
テンリーゼンがとった行動は、当然ながらどよめきを生んだ。
「エレメンタルが、二人いる。我らが隠密行動を、する、ゆえんだ」
テンリーゼンはそう言うと、エイルの腕を抱いたままで、今度は自らの頭をもたれかからせた。
「隠密の行動にせねば、ならぬ理由は、色々と、あるが、その一つが、見ての、とおりの、我らの関係だ。だが、この事は今は、まだ、他言無用に、願いたい。当然ながら、戦争が終わり、時が、来れば、国事として盛大に行う事になろうが、今はもちろん、その時期では、ない」
テンリーゼンの言葉を聞いた艦長達は、一瞬の間を置いたあとで口々に歓声を上げた。もちろん祝福の。
だがテンリーゼンは片手を挙げてそれを制した。
「国家的、最重要の、秘匿、事項である。我が名に置いて、この事は、口外を禁じる」
テンリーゼンはそれ以上説明する必要は無かった。
なにしろ女王には既に男が……いや、婚約者がいるというだけでも最高機密であろう。しかも相手はどう見ても「やんごとなき家柄」の人間ではない。王が配偶者を庶民から選ぶ事はシルフィード王国にあっても極めてまれであった。何よりアルヴの王を標榜するカラティア家は今まで純血を守っている事は周知の事実である。しかし見たところ、どう見てももう懇ろな関係である。しかもその態度からはどうやら女王側の方が「参って」いるように見える。そしてその相手はよりにもよって瞳髪黒色、つまりピクシィの男……。
要するにこの婚儀、すんなりと事が運ぶわけがないのである。宮廷どころか国民から支持を受ける事すら困難を伴うであろう。
だが、参列者の目に映るイエナ三世、もといテンリーゼンの表情には浮ついたところがまったくなかった。それもそのはずなのだが、事情を知らぬ者はそこに揺るぎない決意が見て取れるという寸法である。
しかも女王の態度からは瞳髪黒色の若者に対する全幅の信頼がうかがえる。それだけではなくまさに身も心も捧げて悔い無しといった男女の機微すら見て取れるだけに、これはもう例えどのような困難が立ち向かおうとも、二人の関係は揺るぐことなど無いであろうと思われた。
ファランドールの歴史は長いが、エレメンタル同士の婚儀は誰も聞いた事がなかった。それだけに参列者はごく自然に目の前の情景はまさに歴史上の一大事であるように思えた。
それらの思いが絡み合い、若い二人を祝福する空気が参列者を支配していった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます