第七十八話 海賊アングル 1/4

 しばらく経って、旗艦イークナイブの甲板に、シルフィード王国の女王イエナ三世と艦隊総司令官のトルマが並んで現れた。

 あらかじめシュクルの根回しで各艦の艦長を集めていたのだ。全員が集まった頃合いを見計らって「主役」のご登場と相成った。

 まず登場したのはトルマとテンリーゼンである。両者共に着替えていた。

 トルマは儀式用の元帥服に。これは誰が見ても真っ当な装いと言えた。

 しかし驚いたのはイエナ三世の服である。豪華なドレスでも、宮廷服でもない。彼女が着ていたのは海軍の士官用の黒い軍服であった。軍服には基本的に男女の別はない。解いた髪を改めて纏めてしまったテンリーゼンがトルマの横に立つと、アルヴィンとアルヴとの身長差もあって、ただの付き人のようにも見えた。


 女王の「お言葉」があると聞かされて甲板に集った艦長達の間には戸惑いのどよめきが広がった。

「静粛に」

 トルマの副官シュクルが、重々しい声で参列者をたしなめると、それが合図であるかのようにイエナ三世の後に二人の腹心が歩み寄った。

 静粛にと言われたものの、その二人の姿を見た参列者は再びどよめきを発する事になった。

 一番の理由は、その二人がただのデュナンではなく、瞳髪黒色であったからだ。アルヴ族にとってピクシィは文字通り黒い歴史なのだ。その自分達の先祖によって絶滅したはずの人類がそこにいるだけでも驚愕であろう。しかも二人もである。

 さらにアルヴ族にとっての痛みとも言えるピクシィが女王の「腹心」「護衛」として紹介されたのだ。これを聞いて驚かないアルヴ族はシルフィード中探しても一人もいまいと思われた。

 どよめきの理由はそれだけではない。男女二人のピクシィのうち、女ピクシィの美貌に彼らは度肝を抜かれていたと言っていい。もっともただの美人であればアルヴ族にはそれこそ掃いて捨てる程存在する。もともと男女ともに端正な顔立ちがアルヴの特徴であるから、ただの美人では彼らの心は毛ほども動かない。つまりその女ピクシィの美しさは彼らにとって全く異質だったのだ。

 緩やかな海風にたなびく腰まである艶やかな黒髪の持ち主は、独特のエーテルを纏っていた。濡れたように光る黒い瞳は、そのやや吊り上がった目で参列者をその場にまるで磔にするように射貫いていた。薄く形のいい唇の端は少しだけ持ち上がっていて、笑っているように見える。事実エルデは微笑んでいた。だがそれは麗人の微笑などではなく、彼らには悪鬼の凶悪な笑いにしか見えなかった。整いすぎた異質の美貌の持ち主は、あまりに強い存在感と凍てつくような微笑で彼らに戦慄をもたらしていた。

 エルデの顔を見た参列者は皆唾を飲み込み、今までのどよめきはすうっと消えて沈黙がその場を支配した。


 エルデは参列者の様子を見て、わざわざそういうエーテルを纏っていた。

 これが本来のシルフィード海軍の艦隊であれば、そういう演出をする必要はなかったのかもしれない。だがニルティーアレイの海軍とは、すなわち母体が海賊である。艦長と呼ばれる者は全て海賊だとあらかじめ知らされていた為にとった、いわば「示威行為」だと言えた。

 テンリーゼンが演じるイエナ三世の存在感をかさ上げするための演出なのだが、それは予想以上に功を奏していたと言えるだろう。

 打ち合わせの際には、別の提案もあった。

「そや。アンタがいきなり火を吹いて見せたらええんちゃう?」

 もちろんその提案はエイルによって即刻却下されていた。

「いや、それってただの面白芸人だから」

「うーん、ウチら三人はお笑いで責めてもええんちゃうかなあ」

「話をややこしくするな。リーゼが困ってる」

 エイルはそう言ってテンリーゼンに同意を求めたが、それは裏目に出た。

「エイルが、火を、吹くの、見たい」

 そういうテンリーゼンの目が心なしか輝いて見えた。

「いやいやいやいや」


 そのような比較的どうでもいい経緯はあったものの、当然ながらもっとも効果的と思われる手段が執られたと言う事であった。

 もちろんそれだけでは強い意識がエルデに集中してしまう。言い換えればその後さらに強大な力をエルデが使ってみせれば求心力がそのままエルデに向かい、テンリーゼンの存在感がさらに小さくなる可能性があった。

 だが……。


「これより陛下直々にお言葉がある。これは勅命と心得よ」

 押し黙った参列者に向かい、トルマが口を開いた。

 陛下、すなわち女王イエナ三世と紹介されたテンリーゼンは一歩進み出ると、いきなり掌を参列者に向けて突き出した。何事かと思う間もなく、強い風が参列者の正面に吹き付け、そして去って行った。

 テンリーゼンは風のエレメンタルである。これがエルネスティーネやイース扮するイエナ三世であればもう少し奸計を弄する必要があったが、そこは本物の強みで、ちょっと力を使って見せれば、目の前にいるのはただの女王ではなく、風のエレメンタルでもあるのだと思い知らせる事が可能だ。エルデから主役を奪う事など簡単なことなのである。

 一陣の風を巻き起こして見せたのはそういう意味があったのだが、まさに図に当たった格好だった。


「アルヴの王、カラティア家の当主として、皆に、頼みが、ある」

 テンリーゼンは全員の注目が自分に集まっているのを確かめるように少し間を置くと続けた。

「本日、この場所で、我が姿と、我が腹心達の姿を、目にした事は、一切、他言、無用」

 静まりかえった甲板に、澄んだテンリーゼンの声が響く。参列者は無言ながらも互いに視線を絡ませ合っていた。自分達の知らない大きな動きがある事を知らされたようなものだからだ。

「もう、一つ、ある。この艦隊は、これより、ツゥレフへ、向かって、もらう」

 滑舌はずいぶん良くなったとは言え、それが女王イエナ三世の演説かと問われれば疑問を投げる者も少なくはないと思われた。

 だがテンリーゼンにとって幸いであったのは、その場には直接女王イエナ三世を見た者がほとんど居なかったということである。

 なぜならニルティーアレイの海軍を構成する艦長は全て海賊だったからだ。シルフィード海軍などではないのだ。従って彼らが王宮に出向き、イエナ三世をその目で見ている可能性はまずないと言えた。

 また、見方によっては聞き間違いをせぬように、丁寧に言葉を句切ってしゃべってくれているのだと捕らえられなくもない。どちらにしろその場にテンリーゼンを「偽物」だと疑う者はいなかった。


 テンリーゼンの話を要約すると、こうである。

 自分は現在、ある隠密行動をとっており、それはこの戦争を左右する可能性がある重要なものである。ついては当座の目的地はツゥレフ島のある場所で、そこで重要な人物との会見の予定がある。その場所へ向かうためにドライアドの渡船に乗っていたのだと説明した。

 このように想定外の事態になったが、もちろん艦隊の行動を責めるつもりはない。だが移動手段を失った為にツゥレフの適当な場所まで運んで欲しい。


 旗艦の甲板に集まった艦長達はもちろんその言葉には何の異議もなかった。全員が女王を送り届ける事についても喜んで従うという態度をとった。

 問題は護衛が瞳髪黒色の若い男女二人だけ、という点であった。要するに心配なのだ。そしてその心配事は二つあった。

 まず彼らは口々に自分の屈強な部下を是非共に連れて行くように注進した。しかし、当然ながらテンリーゼンは首を横に振った。

「諸君等も、見たで、あろう?」

 テンリーゼンはつい先ほどドライアド軍船の上空に現れた精霊陣について言及した。

「この瞳髪黒色の高位ルーナーが作り上げた精霊陣により、ドライアド軍船は『眠れる船』として戦わずして一瞬でエルデの手におちた」

 確かにあの精霊陣を見た者は誰しも度肝を抜かれていたから、テンリーゼンの言葉には説得力があった。しかも「船上のルーナー」という諺を根底からひっくかえしてみせたのだ。船の上でルーンを、それも見た事もないような大規模で強力な範囲ルーンを使えるルーナーを彼らは知らなかった。つまりルーナーの能力については文句の付けようがなかったのである。

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