第七十七話 女王の艦隊 4/4

「亡くなられたというのは? そしてそれならばあなた様はいったい?」

 テンリーゼンは大きく息を吸い込むとゆっくりと話し始めた。

「順に、話そう」

「は」

「元帥は、無論『ル・キリア』、の名は、知っていよう?」

 トルマは一礼した。

「シルフィードの軍人でその名を知らぬ者はおりますまい。二人の提督を擁する唯一の部隊、国王直轄の風のフェアリーの精鋭部隊の事は」

「その、二人の、提督の、ことはご存じか?」

 トルマは今度は小さくかぶりを振った。

「ル=キリア司令官のユグセル提督の事は存じ上げておりますが、もう一人、若い提督の事はあまり知りません。もちろん王宮内ですれ違い様に挨拶をかわした事はありますが、その程度です。その人物を語れるほど親交があるわけではないのです」

「そうか。では、噂や、風聞、でもいい。他に何か、知らぬ、か?」

 テンリーゼンにそう尋ねられたトルマは、即答はせずにチラリと副官であるシュクルに視線を向けた。答えを迷って助けを求めているという風情ではない。微妙な目配せを送ったと見るべきであろう。

「恐れながら、質問の意図がわかりかねます。ここで私の口からル=キリアの風聞をお聞きになっていかがなされるおつもりですか?」

 慇懃な言い回しではあるが、トルマは素直に不満をぶつけた格好である。だがテンリーゼンは全く動じず、視線を円い窓の外に向けた。

 小さな窓だが、そこから一隻の軍船が見えた。もちろんカイエン元帥が率いるシルフィード艦隊の軍船である。

 少なくともエイルにはそう見えた。だがテンリーゼンは違う感想を持っていた。


「シルフィード海軍の、軍船、としては、変わった、船だな、元帥」

 テンリーゼンの言葉はトルマの問いかけの回答にはなっていないように思えた。しかし当のトルマにとってはある意味、充分な回答であったようだ。

「なるほど。本当に色々とご存じのようだ」

 トルマの声の調子が変わった。今までは元帥という立場が持つ印象に沿ったそれなりの重々しさを伴う声だったものが、急にその重しを切り離したような調子に変化したのだ。

「いいでしょう。私もうわさ話はけっこう好物でして、ル=キリアについてのそれも色々と仕込んでおります。二人居る提督は、そもそも通り名や様々な風聞が飛び交っている事で有名でございますな。ユグセル提督は本名よりも『笑う死神』と呼ぶ方が通りがいいようですし、クラルヴァイン提督は何しろ不気味だという噂で持ちきりで、『ドール』という通り名もひそひそ声で語られる始末。両提督に関するそれらの噂が真実かどうか、私もじっくり本人達に会って尋ねてみたいものだと願っておりました。しかし……」

 トルマはそこまでしゃべると、意味ありげに言葉を切った。

 テンリーゼンは素直にその間(ま)に乗った。

「しかし?」

「しかし、過日ル・キリア全滅の報を聞き及び、まことに残念に思っております」

 カイエンはここまで喋って再び少し間を置き、テンリーゼンの出方をうかがった。

 テンリーゼンはしばらく船長室の窓から見える唯一の軍船を見つめていたが、ゆっくりと視線をトルマに戻した。

「ニルティーアレイの、海軍が、動いたのだな?」

 

 それはエイルとには耳慣れない言葉だった。

 ニルティーアレイとは聞いた事がない国の名前であった。いや、国の名前ではないのだろう。では何なのか? どこかの都市か、率いる者の名前なのか? どちらにしろシルフィードの元帥が絡んでいるとなると複雑な話である事は確かだろう。

 この艦隊はシルフィード海軍ではないのか? そう問いかけようとしたが、エルデに服の裾を引っ張られて思いとどまった。

 この場はテンリーゼンに任せろという合図である。


「その名を知っているあなたは、いったい何者なのです?」

 トルマの問いに、テンリーゼンは至極あっさりと答えた。

「私が、その、ドールだ」

 さすがにそれにはトルマもシュクルも目を見開いて一瞬言葉を失った。

「な、なんですと!? しかし……?」

 テンリーゼンはカイエンを制した。

「嘘では、ない。我が名は、シルフィード海軍少将、テンリーゼン・クラルヴァイン。元帥も、知っての通り、ガルフ・キャンタビレイ、大元帥の、孫という事に、なって、いる。故アプサラス三世陛下直轄部隊の、提督として、ユグセル中将と、供に、フェアリー部隊『ル・キリア』を率いて、いた。誰が、付けたのか、ドール、という二つ名を、もつ者だ。それが提督の、目の前にいる、私だ」


「元帥」

「何も尋ねるな。儂とて混乱しておる」

 シュクルがこめかみを押さえながら声をかけたが、トルマは皆まで言わせなかった。

「あなたがクラルヴァイン少将ですと?」

「そう、だ」

「確か私の知るドールは、顔に見難いアザがあり、それを隠すためにダーク・アルヴの古代戦闘の文様を入れ墨として顔中に施してあるとは聞き及んでおりましたが、聞き間違いでしょうかな? それともあれはただの化粧だったと?」

「半分は入れ墨、半分は化粧だった」

「だった?」

「もともと痣はない。そして入れ墨はある人物がきれいに消し去ってくれた」

「なるほど。では入れ墨も化粧も、その素顔を隠すためだと?」

 テンリーゼンはうなずいた。

「提督の、想像通り。化粧を、全て、取り去った『ドール』の、姿は、こういう事、だ。だから、私は、顔を隠す、必要が、あった。声も、同様だ」

「確かに、多少違うとはいえ、他人というにはお顔がそっくりすぎますな」

「元帥、私はそれよりも何よりもドール、いやテンリーゼン・クラルヴァイン少将が女性だという事に驚いていますが」

「それもあるが、こうやって本人を目の前にすればその意味もわかろうというものだろう」

「いえ、それはそうですが我々はそれよりもテンリーゼン・クラルヴァインという人物が生きている事に驚くべきかと」

 トルマはうむ、とうなずいた。

「もはや何から驚いていいのかわからん」

「いやはや全くですな」

 トルマは小さく深呼吸をした。

「我々はある人物から、あなたはエルミナで命を落としたと聞き及んでおります」

「元帥。もはや微妙な言い回しは必要ないでしょう?」

 シュクルの指摘にトルマは気付いたようだった。

「ある人物、とは、ニルティーアレイ、その人、だな?」

 トルマはうなずいた。

「公爵には心底驚きました。このような戦力を秘密裏に組織されていたとは」


(おい、エルデ)

 堪えきれなくなったエイルは、エルデに耳打ちした。

(しっ)

(わかってるけどさ、ニルティーアレイって誰なんだ? お前は知っているんだろ?)

(知らん)

(本当か? その割には落ち着いて聞いてるじゃないか)

(知らんけど、想像は付くからな。っちゅうかまず間違いない)

(教えてくれよ)

(しゃあないな。ニルティーアレイっちゅうのは思いっきり訛ってるけど、たぶんディーネ語由来の言葉や。そう考えたら答えは簡単)

(いや、オレには簡単じゃないから)

(黒髪の悪魔……という意味やって言うたら?)

(黒髪……悪魔?)

(鈍いなあ。ピクシィだけやないやろ、黒髪の種族は)


「え、リリアさん?」

「あほ」

「す、すみません」

 思わず声を挙げたエイルはトルマに頭を下げた。

 シュクルはエイルの態度を見てテンリーゼンに尋ねた。

「腹心という割には、そこまでは知らせていらっしゃらないようですね」

 テンリーゼンは平然と答えた。

「全てを、知っている、人間など、いない」

 そしてこう付け加えた。

「これが、リリアの、艦隊だとしたら、話は早い。たった今から、この艦隊は、我が、指揮下に、入れ」

「なんですと?」

「光栄に、思うが、よい。これはそもそも、ユグセル公爵が来たるべき日に備えて編成した、女王の、艦隊である」

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