第六十六話 証拠の指輪 2/3
「で、この指輪の価値もわからないあなたが私にこれを見せて何の証拠だって言うの?」
「いや」
外側の細工の話ばかりになっている事に気付いたエイルは内側を見るように頼んだ。ハーモニー達は顔を見合わせると、そのまま頬どうしを密着させるようにして内側をのぞき込んだ。
「これって……?」
先に驚きの声を上げたのはハーモニーだった。
「桜花のクレスト!」
「これはまさか」
そのまさかであった。
シルフィード王国の現王朝であるカラティアを示す桜花のクレストが、ほんの五ミリ程度の幅しかない指輪の内側に見事に刻まれていた。
フィンマルケンはエルデに対する恐怖もどこへやら、目を丸くすると身を乗り出すようにしてエイルに顔を突き出した。
「あんたひょっとして……」
フィンマルケンの問いかけにエイルは首を横に振って応えた。
「オレもそこのエルデもカラティア家の人間じゃありませんし、そもそもシルフィード王国の人間でもありません」
「じゃあ、なぜこんなものを? 噂じゃシルフィードでは桜花のクレストを所持していいのはカラティア家の者だけで、勝手に使うのは重罪だそうだが」
フィンマルケンの言葉に、エイルは胸をなで下ろした。カラティア家のクレストについて相手に知識がある事を確認できたからだ。フィンマルケンの言葉に対して疑問を投げかけたり質問をしたりしないハーモニーもおそらく同様に既知の情報としてその程度の事は知っているのだろう。
エイルが思いついた打開策が効果を発揮する大前提は「それ」だったのだ。
「まさかとは思うけど、盗んだ……わけじゃないわよね?」
ハーモニーが訝しげにそう尋ねたが、もちろんエイルは自信を持ってそれに対しても首を横に振った。
「これはもらったんですよ。オレ達の婚儀の証しにって。もちろんカラティア家の人間にね」
訳あってその人の名は明かせないと、問われる前にそう付け加えることは忘れなかった。
自分達の婚儀自体をその人が執り行った事、その人間は訳あって世に出ることはできないが、とある目的を持って旅をしていること。
その人物に偶然出会ったエイル達は意気投合し、その人物に請われ、そして自らも願って力となるべく旅の仲間になったこと。
少し前にある事件があってその人物とはぐれたこと。
そして「迷いの森」のある場所に行けば、その人物に関する情報が得られる可能性があると、これまたとある人物に勧められてこの地に足を踏み込んだこと。
だからこれは正教会はまったく関係の無い、自分達の個人的な旅なのだということをエイルは力説した。
話は嘘ではない。だからエイルの言葉には力があり迷いがなかった。
果たして若造のでっち上げを見抜くことなど朝飯前であろう訳知りの二人の大人は、エイルの言うことを否定できなくなっていた。
それでもこれが単なる若い男女の組み合わせによる語りであればさすがに信じる事はなかったに違いない。それほど突拍子もない話なのだ。
このご時世である。カラティア家の人間がお忍びでウンディーネ近辺をうろついているという事がわかれば大事件になるだろう。
だがハーモニーが要求した「証拠」は既にそこにある。三眼の人間がそこに存在しているのだ。エイル達はもう伝説であり噂でしかないと思われている存在が実在していると「証明」してみせた。
その常態ならざる者が今ここに存在している理由が陳腐なものであるはずがない。
むしろ一国の王家の人間が関わっていると言われた方がむしろ納得できると言うものだ。
「でも正教会はシルフィード王国とは犬猿の仲のはずだ」
フィンマルケンの疑問にはハーモニーが答えた。
「だからこそのお忍びじゃないの」
「いや、シルフィード王国は関係なくて、その人は国とかそう言うんじゃなくてもっと違う……なんていうか個人的な思いで動いているからこそオレ達は仲間になったのであって……」
ハーモニーは言葉を選びながら説明するエイルに独り言のような言葉をかけた。
「まあ、確かに正教会の人間、いや賢者が一国の思惑に荷担しているなんて言うのはマズいわよね」
そしてそう言ったすぐ後で自分が口にした事に対して驚いたような表情を一瞬だけ作って、顔を背けた。
エイルはハーモニーのその仕草にまた違和感を覚えていた。だがそれが何に繋がるものなのかがわからずもどかしい思いを抱え込むことになった。
(エルデなら……)
再びそんな言葉が心に浮かび、慌てて消し去る。
「それで、目的地にたどり着く前にこんな事になってしまったんです。嘘じゃありません。これでも信じてもらえませんか?」
そうやってエルデに視線を落とすエイルを追うように、ハーモニーとフィンマルケンも瞳髪黒色の少女を見つめた。
「ご迷惑は重々承知しています。何も出来ませんが、それでも多少のお礼は……」
「バカにしないで」
報酬に関して口にしようとしたエイルの口を、ハーモニーがピシャリと塞いだ。
「そんなものが欲しいなんて私、一言も言ってないよ」
その言葉には強い怒りが込められて、エイルの心を深くえぐった。
「すみません。オレ、失礼な事を言いました」
エイルは目を伏せて深く頭を下げた。
「でも、できるだけの感謝をしたいというのは本当なんです。だから」
「ああもう、だからわかったって言ってるのよ。しつこいわよ」
「え?」
顔を上げたエイルが見たのはハーモニーの後ろ姿だった。
「とりあえず、せっかくの卵が冷めちゃった責任は取ってもらうわよ」
前掛けを結び直しながらそう言うハーモニーになんと声をかけていいのか逡巡しているエイルに、フィンマルケンが目配せをして見せた。
「よかったな、ボウズ。いや、あんた、やんごとなきお方のようだから、ボウズはまずいな」
「エイルです」
エイルは自分の口元が少しだけ緩むのがわかった。そして続けた声が思わぬ明るい色を纏っているのに驚いた。
「もちろんボウズでもかまいませんよ」
「ピクシィって食べられないものとかあるの?」
かまどからハーモニーが声をかける。おそらくピクシィという言葉をわざと使ったのだろう。エイルはしかし、それが少し嬉しかった。これほど軽い感じでその種族の名を呼ばれるのはおそらく初めての事だったからだ。
「特にありません」
後ろ姿のハーモニーにそう答えたエイルは、フィンマルケンに促されてテーブルについたが、ある事を思い出して、再度ハーモニーに声をかけた。
「あの、言い忘れてたんですが……」
「おお。そうだったな」
エイルが言わんとしている事を察したフィンマルケンはエイルを制止すると言葉の後を継いだ。
「エッシェさん。悪いが実は客人はもう一人居てな……」
「はあ?」
あからさまに機嫌の悪い声と共に、ティーポットをトレイに載せたハーモニーが近づいてきた。
「ホレ、いい加減だしてやんな」
「ええ」
フィンマルケンに促されてエイルは自分の鞄の蓋を開けた。
同時に黒い物体がその中から飛び出した。
「え?」
鞄から飛び出た黒い物体は、ハーモニーの足元で止まると、その金と青の目で家の主を見上げた。
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「さっきはその、すまなかった」
朝食が終わって新しいお茶を淹れにハーモニーが席を立つと、フィンマルケンはそう言ってエイルに頭を下げた。
エルデの足元に丸まっていたセッカが不審な顔で声の主を見上げた。
「何の事です?」
文字通り、フィンマルケンの言う「さっき」が何を指すのか思い至らないエルデは面食らった。
「いや、さっきはなんだか恐ろしくてな。助けを求められたのに思わず目を逸らしちまったろ?」
その言葉でエイルは思い至った。
だが、もちろんフィンマルケンの謝罪は的外れだと感じていた。
「何言ってるんですか。オレなんてあの目を最初見た時は腰を抜かして言葉も出ませんでしたよ」
もちろん出任せだ。だがその言葉はエイルの想定以上の効果を発揮したようだった。
「そうかそうか。小便チビったか。まあ、ありゃあ無理もないわな。わっはっは」
「いや、チビってませんけど」
「聞いたか、エッシェさん」
「何の話さ?」
お茶の入ったポットをテーブルの上に載せながらめんどくさそうな物言いをするハーモニーはしかし、その言葉とは裏腹で機嫌が良さそうだった。
「コイツは最初にあの目を見たとき、震え上がってだだ漏らしだったそうだ」
「へえ、そうかい」
「いやいやいやいや……」
エイルの訂正はしかし完璧に無視された。無視されるどころか途中で遮られ、その後は質問攻めに遭った。
正確には朝食の最中から質問攻めではあったのだ。食事を口にする間だけ質問が止むので、その時の方が多少はましであったという程度の差である。
二人とも第一印象とはかなり違ってけっこうな話し好きで、かつ好奇心が旺盛な性格をしている事はもはや疑いようもなかった。
とは言えエイルには彼らの好奇心を満足させる為に語るべき、いや語ってよい手持ちが少なすぎた。それはいきおい相手の不興を買う羽目になる。
「まったく、やれやれだな。『言えない』 『それはちょっと』 『勘弁して下さい』 の三つは、もう一生分聞いた気がする」
「同感ね。あそこまで話してくれたならついでに全部しゃべって吐き出した方が楽になるものを」
「そこは勘弁して下さいよ。楽になるどころか、コイツが目覚めたら間違いなくオレ、殺されますよ。というかもうずいぶんしゃべり過ぎた気がします。そろそろマズいんですよ」
「また出たよ、『勘弁して下さい』」
「それ、これから言ったら罰金な」
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