第六十話 ケミの手品師 2/6

「見ての通りさ。ちょっと不思議な力が使える、旅の手品師だよ」

 青年はそう言うと眼鏡を人差し指で押し上げるような仕草をした。エルデはその神経質そうな仕草の後で、青年の金色の瞳に小さな驚きの表情が浮かんだのを見逃さなかった。そしてその対象が自分ではなくエイルであろうことも。

「ふざけるな。ただのフェアリーやない事くらい、こっちにはお見通しやで」

 すごむエルデを、青年はしかし笑顔でいなした。

「まあまあ。それよりこの店にはお互い長居は無用じゃないかな。ここで立ち話もなんだから、河岸を変えよう。狭くてよければ少し離れたところに馴染みの店がある。このご時世だが、常識的な値段でそこそこうまいものを食べさせてくれるよ。部屋もあるからそのまま泊まることもできる。目立たない宿だし、ボクが見たところ君たちには都合がいいんじゃないかな」

「なるほど、兄さんは手品師兼、宿の斡旋業者やったんか」

 エルデの嫌味にも青年は笑顔を崩さなかった。

「もちろん『君たち』の中には向こうの魅力的なご婦人と黒ネコも入っているよ」

 青年はそれだけ言うと、エルデの返事を聞かずにくるりと身を翻した。そのまま店を出るかと思いきや、何かを思い出したように立ち止まった。だがエルデ達に用があるわけではないようだった。

 青年はカウンターの中の、つい今し方まで妊娠している女給に乱暴を働いていた男に顔を向けた。青年のその横顔を見たエルデは小さく息を呑んだ。たった今まで見せていたあの笑顔はなく、憎しみとも怒りともつかぬ光を宿したどす黒い表情がそこにあった。


「絶望を、噛みしめろ」

 青年は男に向かってポツリと一言投げつけると、軽やかな足取りで今度はそのまま店を出た。

 エルデはそれを見て一瞬だけ躊躇したが、すぐ後ろにいたエイルとうなずき合うと、アプリリアージェを振り返って視線で意思を伝え、返事を待たずにそのまま青年の後を追った。


********************


「とりあえず自己紹介をしよう」

 今しがたのちょっとした騒ぎの中心にいたとは思えない陽気さで青年はそう言うと、エルデ達一行に屈託のない笑顔を見せた。


「ちょっと待ってくれ」

 指し示された椅子にエイルは腰を下ろさず、敵意が含まれた言葉で呼びかけた。

「その前にコイツをもとに戻してくれ」

 コイツ、というのはアプリリアージェが胸に抱いている黒ネコ、セッカのことだ。剥製のように固まって動かないままだった。

 ミリアはにっこり笑ったままで、芝居がかった振りで肩をすくめて見せた。

「おとぼけは通じへんで。お前がやったんはわかってるんや」

 エルデが追い打ちをかけると青年は小さくため息をついてテーブルに両肘を突き、その手の上に顎を載せた。

「わかった、元に戻すよ。それは約束しよう。でもその前に、使い魔抜きで話をしようよ」

 エイル達が顔を見合わせると、青年は命には別状はないと付け加えた。


「ボクはミリア。さっきも言った通り、しがない旅の手品師さ」

 派手な旅装を纏った「しがない旅の手品師」はそう言うと、いきなり両手を合わせて揉み出した。それを見たエルデが警戒するよりも早く、青年がやったことが判明した。何も無かった手の中に、小さな花束が二つ出現したのだ。

 あっけにとられる一同に向かい恭しくお辞儀をしたミリアは、小さな花束の一つをまずはアプリリアージェに差し出した。

「金貨と違って、花は本物です。あ、トゲに気をつけて。この花よりも可憐なあなたのその指が傷ついてしまっては大変だ」

 アプリリアージェに差し出されたのは赤と白の小さなバラだった。一つの枝に小振りの花がいくつも咲いている。葉も小さい。

「『のばら』か……」

 それを見ていたエイルがつぶやいた。

「『のばら』?」

 それを耳にしたミリアとアプリリアージェが、異口同音にエイルにたずねかけた。

「野薔薇、ルース、ステグ、トランダフィール、ローデナッハ、カリキテット……いろんな呼び方があるけど、この花にそんな呼び名があるとは初めて聞いたよ」

 エイルは「しまった」という顔をすると、ミリアから視線を外し、隣のエルデの顔を見た。エルデは何も言わず渋い顔をして目を伏せて肩をすくめて見せた。

 だがそれはエイルに対して呆れて突き放した態度を表したというわけではない。その証拠にエルデはすぐに顔を上げると代わりに答えた。

「この人が生まれた地方では、野薔薇のことを『のばら』って発音するらしい」

 エルデの機転に、エイルはぎこちなく笑いながら頭を掻いてうなずいた。

「そうそう。そうなんだ」


 答える代わりにミリアはにっこり笑って見せた。ミリアのそれはその話題をそれ以上追求しないという暗黙の了解にも似た態度であったのだろう。しかし意外なことにその話題を引きずったのはアプリアージェだった。

「『のばら』……いい響きですね」

 もっともエイル達の危惧は杞憂ではあった。アプリリアージェは純粋に「のばら」という語感が気に入ったようで、それ以上何も言及しなかった。そしてミリアに向かってにっこり笑うと、手を伸ばして野薔薇の花束を受け取った。

 ミリアは満足そうにうなずくと、もう一つの花束を今度はエルデに差し出した。

「君にはこちらを」

 エルデに差し出された花束はアプリリアージェとは違い、より清楚なものだった。ほんのりと紅が挿してはいるが、白っぽい五弁の花は小さく、花束というよりは手折った小枝(さえだ)というべきであろう。


 エルデは怪訝な顔でたずねた。

「なんでリリア姉さんが薔薇で、ウチはサクランボの花なんや?」

「なぜって……」

 ミリアは不思議そうな顔で視線をちらりとエイルに向けた。

「君にはサクランボの花がよく似合うと思ったからに決まっているじゃないか」

 そしてすぐにこう付け足して、再びにっこりと笑った。

「そもそも君からはサクランボの花の香りがするからね」

 エルデは唇を結ぶと差し出された花束を押しやった。

「ウチは自分の夫以外から花をもらうつもりはない。ましてやどこの馬の骨ともわからん男からは特にや」

「へえ……」

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