第六十話 ケミの手品師 1/6

 店内の視線が一斉に声の主に集まった。

 当然と言えるだろう。そして願わくば声の主が事態を打開できる救世主たれと願いながら。

 だが視線の先に立つ少女の姿を見た全員が「事態」を忘れ驚愕の表情を浮かべることになった。

 それもそのはず。エルデのぞっとするような美貌だけでも充分驚くに値するものだが、その少女は腰より長く伸ばしたまっすぐで艶やかな長い黒髪を持っているのだ。あまつさえ光を反射する瞳の色もまた、見つめる者を吸いこむような黒なのだから。

 さしもの「運び屋組」のならず者達でさえ、声の主を見て息を呑み、言葉を失った。


「このど畜生ども!」

 期せずして静まりかえった店内にエルデの澄んだ声が良く通った。

「おまえら、お腹に赤ん坊がおる妊婦捕まえて、何やってんねん! それでも人間か! さっさと手ぇ離せ!」

 高く澄んだ声だったが、その声は姿形から想像も出来ないほど大きく、そして力強く店に響き渡った。声を潰すような怒鳴り声ではない。エルデの声はいつものように芯の強い美しさを保ったままだ。

 それも亜神の能力の一つなのであろう。その気になれば人間が精一杯叫んでも得られない程の音量をいとも簡単に出せるのだ。

 だがエルデが完全な沈着冷静状態ではないことが、その吊り上がった目と固く結んだ唇、そして精杖ノルンを掴む手の甲に見える筋肉の形でエイルにはわかった。

 いや、むしろ冷静なのかもしれない。なぜなら精一杯自制しているのだから。そうでなければその場が凍りつくような威嚇のエーテルが充満しているところだ。

 自制している意味はすぐにわかった。この怒り方ならば問答無用で「運び屋」を空間固定していても良さそうなものだが、それをしていない。

(これはひょっとして)

 つまりルーンが使えないのだ。

 厳密に言うならば、ルーンが使えても、大した威力が発揮できない事がわかっているのであろう。ルーンを使うのなら、大きな威力のものを最も効果的な場面で一度使うつもりなのだ。

 エイルはいつでも動けるように店内を注意深く再確認した。運び屋達は店内の数カ所に分散していた。ひょっとしたら別の仲間も居るかもしれない。エルデが放つ一回目のルーンがその力を発揮しなければ、あまり愉快ではない状況になる可能性が高かった。


 エルデの介入に気をとられたのか、青年を拘束していた運び屋の腕の力が緩んだ。

「お嬢さん、そこまで!」

 青年はその油断を見逃さず、するりと運び屋の拘束から逃れるとそう声をかけた。もちろんエルデに向けられた言葉だ。運び屋の男が慌てて青年の襟首を掴もうと手を伸ばしたが、もう遅かった。いや、遅い早いの問題ではなく、腕に力が入らなかったのだ。

 青年はそんな男を意に介す風もなく、突然大声で奇妙なことを口走った。

「ああ、あんなところに金貨が! おや、あそこにも、あそこにも!」

 そう叫んだ青年は店の天井をあちこち指さしていた。

 エルデの姿を見て固まっていた店の客達は、視線を青年に戻し、そのまま指さす方角、すなわち天井へとめまぐるしく顔を向けた。

 するとどうだろう。そこにはキラキラと光を反射する小さな破片のようなものが貼り付けられていた。よく見ればそれらは全て金貨であった。


「では不肖この旅の手品師が、今から金貨の雨を降らせます。もちろんご自由にお取りいただいてけっこうです。金貨は充分ございますが、公平を期すためにお一人様三枚までとさせていただきまーす」

 青年が言い終わると同時に、天井に張り付いていた金貨が文字通り雨のように店内に降り注いだ。

 静寂は一瞬で破られ、店内は怒号の嵐に包まれた。


「はいはい、奪い合わないで。仲良く分けて下さーい。ズルして一人でたくさんとっても、消えちゃいますからねー」

 青年は大声でそう念押しするとにっこり笑ってエルデに目配せをした。

 エルデ達はそこで初めて青年の瞳の色が金色である事を知った。茶色というよりも本当に金色といった方がいい、珍しい色だった。


「四つ目を手にすると、本当に消えますね」

 アプリリアージェは驚いてそう言うと、セッカに顔を向けた。

「セッカ?」

 セッカはそこにいた。

 だが、ファルケンハインの姿ではない。ティアナの姿でもなかった。

 そこにいたのは本来の姿、つまり黒ネコだった。

 しかもよく見ると様子がおかしかった。動きがないのだ。

 その瞬間、アプリリアージェの中で本能が警鐘を鳴らし出した。


 アプリリアージェは大きな動きを押さえながらも全身の神経を青年に注ぎ、その動きをつぶさに観察しはじめた。

 眼鏡越しで顔つきや表情がよくわからなかったが、その時になってアプリリアージェもエイル達に続いてその目の色に気付いた。

 もちろん、見たことのない人物である。だがその瞳の色を見たアプリリアージェの表情から笑みが消えた。

「金色の瞳……」

 そう言うアプリリアージェは全身に鳥肌が立つのを感じていた。

 茶色、もしくはやや薄い茶色の瞳を持つデュナンは多い。純血種ではないアルヴ系も同様だ。だが金色に見える瞳はかなり珍しい。

 しかしアプリリアージェの心をざわつかせたのはそういう理由ではなかった。

「まさか……ね」

 それは誰にも聞こえないほど小さな独り言だった。だがそれは「人間には聞こえないほど」という注釈を付けるべきであろう。なぜならその言葉はエルデの耳には届いていたからだ。


「これで終わり。なに、君ほどの人が出しゃばるような事件じゃないよ」

 床をはいつくばる客達を優雅にさけながら近づいてきた金色の瞳を持つ青年は、そう言うと仁王立ちになっているエルデににっこりと笑いかけた。

 エルデは警戒を解かずに目を細めて青年を見据えた。

 耳に入ってきたアプリリアージェのつぶやきも気になった。だがそれよりも店の中の異変こそがエルデの目下の興味の対象であった。

 喧噪の店内にあって例の「運び屋組」と呼ばれる暴漢達が、その動きを止めていたからだ。しかも相当不自然に、である。彼らは目を開いたままで微動だにしないのだ。

 まるで……そう、それはまるでエルデが空間固定ルーンをかけたように。


「敢えて聞くけど、お兄さん、いったい何もんや?」

 エルデは警戒心を隠さず、不機嫌そうな低い声でそう問いかけた。

 ただの旅の手品師ではない事は、もはや火を見るよりも明らかだ。

 カンではない。根拠があった。亜神のエルデには、もちろんその青年が纏うエーテルが見えているのである。

 ルーナーではない。金色の瞳を持つメガネの青年がフェアリーである事まではわかっていた。だがどうやら青年のエーテル制御が巧みすぎて、力の強弱が判断できないでいた。

 一見するとたいしたエーテルを纏っているようには見えなかった。色も無色で薄い。だが青年を覆うエーテルの層はあり得ないほど均一で整いすぎていた。まともなフェアリーにそんな事ができるはずがない。エルデの知る最もエーテルの制御が美しいあのアプリリアージェでさえ、纏うエーテルは常にゆらゆらと不定形で、その厚みもこれほど一定ではないのだ。

 いや。エイルはもう一人、忘れてはならない人物のエーテルを思いだしていた。

(まさか……)

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