第六十話 ケミの手品師 3/6

「エルデ……」

 エイルは思わずエルデを見た。もちろん嬉しかったからだ。だがエルデの表情にはエイルが抱いたような甘い感情に属する色はまったく見えず、ただ険しかった。

「サクランボの花の香をたきしめてるから、ウチの服から香りがするのは当然や。でもアンタが差し出したそのサクランボの花からは血の匂いがするで」

 エルデの挑発にもかかわらず、ミリアは機嫌が良さそうな表情を全く崩さず、にこにこと笑ったままだった。

 そしてエルデはこう問うた。

「さっきの酒場のあのど畜生どもはどうしたんや?」

 それはエイルも気になっていた事だった。いや、あの酒場の狂乱自体全てが謎だった。

「もちろん、今頃は二度とあんな事は出来ない状態になっているだろうね。でも、そんな事を君が気にする必要は無いだろう? 君も言ったように『あれ』は『畜生』いや『ゴミ虫』以下だ」

「お前!」

「まあまあ、そう興奮しないで。それより失敬したよ。君たちが夫婦だったとはさすがに気付かなかったからね。もとより君のような高嶺の花をボクごときが口説こうなんて気はさらさら無いから心配はご無用だ」

 そう言うとミリアは拒絶されたサクランボの花束を両手で揉み潰すようにしてみせた。目を懲らして見ていると、合わせた手の中からボロボロとこぼれる花びらがテーブルに落ちて、なぜか弾んでいく。

「え?」

 再び我が目を疑うエイルだったが、しかしどう目を懲らして見てもテーブルの上にあるのはサクランボの花びらではなく、大粒の真珠だった。

「真珠じゃないよ」

 しかしミリアはそう言うと、一粒つまんで、それを口に放り込んだ。

 ポリポリと固い音がする。

「さらにこれは幻でもない。ちゃんとした砂糖菓子さ。ボクの国の名物でね。もっとも即席だから味の保障はできないけど、甘いのは確かだよ」

 エルデが止める間もなく、エイルは一粒口に含んだ。出自もわからないものを口に入れるというのは確かに不用意な行動だろう。だがミリアからは毛の先ほども敵意が感じられないのだ。だからエイルは全てを拒絶するよりは相手が差し出した手の一つくらいはとってもいいだろうと思っていた。

 奥歯で噛むとカリっとした硬質の感触の後に広がる甘さは確かに砂糖菓子だ。ほのかなサクランボの香りが鼻から抜けた。


「まさかとは思っていましたが、やっぱりですか」

 エイルと同様に砂糖菓子を一粒つまんで掌で転がしていたアプリリアージェがふいにそう言と、ミリアに鋭い視線を向けた。

「真珠菓子と言えば白の国エスタリアの特産品……エスタリアでミリアという人を、私は一人しか知りません」

 真顔のアプリリアージェが見つめる先、金色の瞳を持つ青年はその視線を眼鏡越しにしっかり受け止めると、少し困ったような顔をした。

「おや。まさか君たちの中にボクの名前を知っている人がいるとは思わなかったよ」

 あっけなく認めたミリアに対し、当のアプリリアージェは眉を顰めた。

「ご冗談を。少なくともあなたは私達の事をご存じのようですし。で、あれば正体に辿り着く可能性がある事も容易に推測できましょうに。でなければ偽名を使えばいいだけのこと」

 アプリリアージェはそう言うと、何かに気付いたように急に立ち上がると店の中を見渡した。

 その瞬間、アプリリアージェは明らかに取り乱していた。しかも突発的にである。

 仲間の珍しい行動に、エイルとエルデは顔を見合わせた。


「大丈夫。ボクは一人だよ。元々君たちを取って食おうとか拘束しようとか、そんな気は毛頭ないんだからね。それに恥ずかしながらボクはどうにも団体行動というものが大の苦手でね」

 立ち上がったアプリリアージェの肩に柔らかく手を置くと、ミリアは無言で座るように勧めた。

「あなたほどの器量よしのダーク・アルヴが立っていると、さすがに目立ってしまうからね」

 アプリリアージェはミリアの勧めるままに素直に椅子に腰を下ろした。

 真顔で緊張感すら漂わせているアプリリアージェの顔が、心なしか上気している事にエイル達は気付いたが、その意味までは推測しかねた。


 ミリアが「馴染み」だという店は、照明が暗すぎない程度に落とされている事もあり、狭いながらも居心地のよい宿であった。客はやはり迷いの森に関係する商人達のようだが、先ほどの店とは客層が違うのか明らかに別種の雰囲気だ。少なくとも重苦しい空気に覆われてはいない。それだけでも店の居心地というものはがらりと変わるものなのだ。


 ミリアが店の主らしき人物を呼んでいくつか料理と飲み物を頼む間、エルデは目を閉じて何やら考えていたが、ふいに顔を上げた。

「どう考えてもエスタリアのミリアっちゅうと『あいつ』しか該当者が居てへんな」

 アプリリアージェには遅れたが、エルデもミリアの素性に思い当たったようだった。

 誰だ? というエイルの問いかけに、エルデははっきりと声に出して応えた。

「ドライアド王国エスタリア領主ペトルウシュカ公。ミリア・ペトルウシュカ」

「ペトルウシュカ公って」

 エルデは頷いた。

「ああ。公爵さまや。しかもペトルウシュカっちゅうたら、ドライアド北部一帯の広大なエスタリアを直轄所有する、ドライアドでも屈指の名家や」

 自分でいって呆れたような顔をするエルデに、エイルはたずねた。

「エスタリアって?」

 エルデは早口で地理学的な情報をエイルに答えると、アプリリアージェの様子をうかがった。


「こんな形で……お目にかかれるとは思いもよりませんでした」

 アプリリアージェの弱々しい声に比べ、ミリアは快活に答えた。

「ボクこそ、王位継承権までお持ちのファルンガのご領主にお会いできるとは身に余る光栄です」

 ミリアはそう言うと、何か思い詰めたようなアプリリアージェの様子を気にもかけぬといった風情で片膝を突き、深々と頭を下げた。

「おやめ下さい」

 アプリリアージェはそう言うと思わず立ち上がった。その、まるで少女の様な態度がエイル達に違和感を与えた。しかし当のアプリリアージェは二人がそこに存在しているのを認識していないかのよう、ただミリアをまっすぐにみつめていた。


 一度ならず二度ほどためらった末、アプリリアージェは手を伸ばし、目の前で膝を突くミリアの肩にそっと置いた。

「顔をお上げ下さいませ。私はペトルウシュカ公にそこまでの礼をされる謂われはございません」

 アプリリアージェが言うとおり、公爵という立場にある人間が膝を突く相手とは、一般に一国の王だけである。

「私の中では、あなたは王に匹敵する、いや王の中の王たる人物ですから、当然のことです」

 ミリアはそう言ってから、ゆっくりと顔を上げた。

 それを待っていたかのようにアプリリアージェが少し身を乗り出した。

「一つお尋ねしたいことがあります。あなたは昔……」

 だが、ミリアが手を突き出してそれを止めた。

「その話の前に、私の話をさせていただけますか、ユグセル公爵」

 柔らかい物腰ではあったが、その声にはどこかきっぱりと相手を拒絶するような、言い換えれば有無を言わさぬ頑とした強さがあった。

 アプリリアージェをよく知る人間、いやアプリリアージェの事をよく知れば知っているほど、彼女が相手に呑まれるなどという事はあり得ないと考えるだろう。だが、その時のアプリリアージェは、エイルやエルデが見る限り、ただの娘のように、初対面の青年になぜか最初から及び腰だった。

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