第五十七話 凶報 2/3
サライエ一座でカレナドリィの事を知る者はエコーと座長である父親リコ・サライエの二人だけである。情報を得る為にラウの特徴などは一座の全員に知らされていたが「カノンの父親が探している宿泊客」とだけ伝えられていた。
カノナールの事情を知る皆はエコーの態度で「訳あり」である事を察し、何も言わずに協力を約束した。
家族以上に家族であるサライエ一座の仲間に対し秘密を持つ事になったカノナールは、彼らに対して申し訳ないという後ろめたさを覚えながらも、彼らが事実を知る事により被るであろう「危険性」を怖れていた。
アトラックが「何があっても『あの女』には絶対に関わるな」と忠告した事をルドルフは重く受け取り、守っていた。カノナールも相手が普通の人間ではない事を知らされていたから、自分の問題で「仲間」を巻き込むわけにはいかなかったのだ。
座長であるリコは当初、そんなカノナールに反対を唱えた。
「秘密にするってことはつまり、俺達はお前にとっては家族じゃないって事だろう?」
虚を突かれて口をつぐむカノナールにリコは続けた。
「家族ってのはそんな迷惑を否応なくぶつけられる相手の事なんだぞ」
もちろんそれはリコの思いであり、それをそのままカノナールに強要できるものではない。だからカノナールの返事を聞く前に、リコはカノナールをそれ以上追い詰める事をやめ、条件を呑む事を告げた。要するに事情を明かさない事については反対の立場である事を表明はするが、協力はするという立場であった。
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全てを語り終えたカノナールを前に、ラウはじっと目を閉じていた。あまり感情を表に表さないファーンが珍しく心配顔で、そんなラウを見つめていた。
カノナールに対する審判が下されようとしていたからだ。
賢者であるラウには見逃すという選択肢はない。自分が審判を行わず、しかるべき組織、例えばサラマンダ軍に身柄を引き渡して判断を委ねる選択肢もあるが、戦争で混乱している最中にそれをやってまともな判断が下される可能性は低い。むしろそれがわかっていて敢えてその選択肢をとる賢者は非難されてしかるべきであろう。
もちろんこれが普通の事件であれば敢えて賢者が出る幕は無い。だがクナドルの事件は正教会が預かる事項、つまりリアコーブキャム、通称キャム草が絡んでいる。事件全体を預かる形であればラウがカノナールの生殺与奪権を持っていると判断しても問題はない。
そして判断するならば、賢者は私情を交えずにその判断を下さねばならない。
「賢者【二藍の旋律(ふたあいのせんりつ)】としてカノナール・ノイエに申し渡す」
長い沈黙の後で、ラウが口を開いた。
部屋の全員に緊張が走る。
「カノナール・ノイエを有罪とする。いかなる理由があろうと大量殺人を看過する事は出来ない。一介の兵士見習いには裁判権も刑の執行権も存在しない。ましてやリアコーブキャムの事を知る重要参考人を消し去った罪は大きい」
「なぜです!」
悲鳴があがった。
エコー・サライエである。
「黙れ」
ラウは第三の目を開いてエコーをにらみ据えると、冷たい声で短く怒鳴った。かわいそうなエコーはラウに見据えられると、突き刺さるような恐怖で声が出なくなった。
賢者【二藍の旋律】の判断に異を唱えようとした人物がもう一人いた。
エイルにはラウが発する三眼のエーテルは効かない。怯むことなく抗議をしようとしたその時、視界に小柄な少年が映った。
「イオス!」
エイルは目の前にいる既知の、だがその場に現れるなど予想だにしない少年の名を口にした。
イオス・オシュティーフェが一行の前に現れるのはその日二回目であった。現世の旅行者然とした姿のままだが、その手にはルーナーの証しである空色の精杖が握られていた。
イオスの姿を見た幾人かは気色ばみ、また幾人かは片膝を突いて頭を下げた。
エイルとエルデ、それにシーレンは前者であり、ラウやファーンは後者であった。同じく賢者であるジナイーダは唇を噛んで目を閉じた。
「僕は君の邪魔をしに来たわけじゃないが、少々急いでいる。悪いが君の仕事の前に時間をもらいたい」
イオスは自分の弟子にそう声をかけると、カノナールには一切目もくれず、その顔をエルデに向けた。
「【白き翼】よ。伝えておくことが二つある」
そう言うと、イオスはエルデの返事を待たずに続けた。
「君たちにとって少しいい知らせと、最悪の知らせの二つだ。選べ。好きな方から伝えよう」
ラウとファーンは顔を伏せたままでお互いに顔を見合わせた。言葉には出さないが目で交わすだけでお互いに言いたい事を理解していた。「あの」【蒼穹の台】がそんな言い方をするのは極めて異例の事だったからだ。
理由はわからない。しかし二人ともこの最近のイオスの変化は感じていた。言い方は難しいが「人間くさい」部分が見え隠れしていたのだ。感情を表に出すわけではないが、今までであれば絶対に興味を示さなかったような些細な事に反応している事があった。時にはそこに温情すら感じる事もある。「ツイフォン」後にファーンを労る言葉をかけたのがいい例である。それは二人の知る【蒼穹の台】とは明らかに違う行動であった。
今回の問いかけもそうだ。
イオスは自分が決めた行動だけをとる。そもそも相手の意向を尋ねるなどあろうはずもないのだ。それだけにニームに対するあの唐突ともとれる刑の執行は、彼女たちにとって妙に引っかかる出来事であった。
「最悪の知らせとやらから聞かせてもらおか」
エルデは少しだけ間を置いてそう言った。エイルがそれに対して小さくうなずく。同じ考えだったのだろう。
イオスは少し目を細めてエルデを見つめると、ゆっくりとつぶやいた。
「君に直接関係する事ではないが、最悪の事態には違いない」
「らしゅうないな。ちゃちゃっと言うたらええやん」
苛立ちをぶつけるエルデに、イオスは少しだけ目を伏せると静かに告げた。
「エルミナという町が消滅した」
「ええ?」
それはエルデだけに向けられた情報ではなかった。その場にいた全員がイオスに視線を集中させ、何らかの言葉を発していた。
「さっきの地震やな?」
出かかった驚きの声を呑み込むと、エルデは既に冷静にイオスの言葉を分析していた。
「あれはエルミナが震源地やったんか? でも、なんで……」
「震源地ではない。エルミナを壊滅させたのは津波だ」
「あ……」
その一言でエルデには充分だった。イオスの言葉の意味がわかったのだ。そしてエルミナが文字通り消滅したであろう事も。
イオスがそんな冗談を言うはずはない。そして「消滅」と「壊滅」という言葉を使った。それは町が波で洗われて大きな被害を被ったというような甘い状況ではない事を示していた。文字通りエルミナという町がなくなったに違いない。
「津波は何度も訪れ、結果としてエルミナを町ごと海中に引きずり込んだ。もともと岩盤の上に滞積した土で出来上がっていた土地だったようで、それが全て海に変わった。今ではそこに町があったと言っても誰も信じないだろうね」
「あんたは……」
何かに気付いたエルデがイオスに尋ねかけたが、イオスはそれを制した。
「そうだ。僕はエルミナに居て、この目で町が消滅する一部始終を目撃した」
「そやったら!」
エルデは目尻を吊り上げてイオスを睨んだ。だがイオスはそんなエルデの表情にも眉一つ動かさなかった。
「言いたい事は察しが付く。だが僕には為す術がなかった。助けられたのも一部だ」
エルデはその言葉を聞くと、唇を噛んだまま何も言わなかった。
あの場……ニームに「罰」を下した瓦解した劇場跡に現れたイオスの様子がおかしかったのは、イオス本体ではない、つまりエーテル体であったという事がその言葉でようやくわかった。エルミナ側の異変によりエーテル体の制御が不安定になり、一部の音声はエーテル体でなく「ツイフォン」であるファーンの口から発する必要があったのだろう。
イオスは視線をラウとファーンに移すと、エルミナ消滅に関連するものとして師としての命令を伝えた。正教会の最優先事項として、すぐにでもピクサリアにやってくるであろう避難民の救済業務に当たれというものだ。
震源地はおそらくエルミナの沖合だが、浸食と地盤陥没の為にエルミナはもう港として機能することはないだろうとイオスは告げた。
どちらにしろ位置関係を考えればピクサリアがしばらくの間エルミナ難民の受け入れ場所になるのは間違いない。混乱は必至だ。だからこそ正教会の力を使って復興作業に当たれというのが大まかな主旨であった。三聖の名に置いてその為の大きな権限をラウに与えるというのだ。
「ピクサリア教会には既にその旨を僕から直接伝えてある」
それもまた異例であった。三聖が人前で名乗り出るなど、たとえ正教会内部であってもほとんど聞いた事がない。つまりそれほどの非常事態なのだ。「死んだことになっている」イオスが自ら指示をしたという程である。
「例の結界の消去作業も急がないといけないんだけど、そっちは僕自信が引き継ごう。もっとも、もう間に合わないかもしれないけどね」
最後は独り言のようだったが、その言葉を聞いたエイルとエルデには古い記憶が蘇っていた。
ラウはもともとランダールには結界とやらを破壊するために滞在していたのだ。それが本来のラウとファーンの「仕事」だった。その後色々あって今はエルデの護衛のような役を与えられている。つまり今、その任が解かれ、再びイオスの配下としての仕事に就くということなのだ。
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