第五十七話 凶報 1/3

 クナドルに到着したカノナールは、縄を解くのに時間がかかりすぎたことを思い知った。

 いや、クナドルに向かう途中でそんな事は既にわかっていた。

 走り出してしばらくするとクナドルの集落があると思われる方向から灯りが見えたからだ。揺らぐ炎と煙で明らかなように、それは部屋を照らす灯りではなかった。家自体が……いや村そのものが燃えていたのだ。

 カノナールは立ち尽くすと、絶望による弛緩で持っていた剣を地面に落とした。だが直後に襲い来た今まで感じた事のない怒りがそれをすぐに足元のそれを拾わせた。そしてその硬質な柄の感触は、怒りを憎悪に変化させる触媒と化した。

 カノナールは唇を結ぶと、改めて空を焦がす赤い舌に向かって走り出した。


 クナドルは静かだった。

 炎が爆ぜる音の他には、時折家が崩れる音がするだけで動き回る人影はない。気配がないのだ。

 不審に思い視界を懲らしたカノナールは危うく悲鳴を上げそうになった。

 人は居たのだ。

 いや、かつて人であった「もの」が、村のあちこちに転がっていた。

 それを見たカノナールは、その瞬間に自分とは違う「何か」に体を支配されたような感覚を覚えた。

 考えていないのに体が動いた。しかし次にどういう行動をとるかが予測できる……そんな感覚であった。もちろん初めての事だった。

 カノナールは息を潜め、足音を立てずに村の様子を探って回った。するといくつかわかったことがった。燃えている家は全体の一部で、多くの家はそのままであった。もっとも小さな集落である。家の数は大小合わせても三十軒もない。

 村の最奥には唯一の広場があり、その向こう側に森を背にして建てられた大きめの高床式の建物があった。村全体を見守るようなその建物は、おそらく村の長の家か、もしくは集会所のような建物であろうと思われた。

 建物からは灯りが漏れていた。灯りだけではない。そこには明確に人の気配があった。悲鳴が聞こえたからだ。そしてだらしない笑い声がそれに被さった。

 悲鳴は女の声だった。反吐が出そうな笑い声はもちろん兵士のものだ。カノナールにはそれだけで彼らがその建物の中で何をやっているのかの想像は容易についた。


 足音を立てぬように細心の注意を払いつつ近づき、そっと建物の中の様子をうかがったカノナールは、再び叫び声を上げそうになった。

 同時に吐き気がこみ上げる。

 かろうじてそれを堪えたカノナールは、自分を支配していた憎悪という人格が殺意に呑み込まれるのを素直に受け入れていた。


 小隊の兵たちはその建物に全員いた。

 建物の外に見張りを立ていないのは、要するに集落全員の状況を把握済みだということである。つまりその建物にいる人間以外、その集落で生きている者はいないのだ。少なくともカノナールはそう解釈した。

 そしてそれはわずかに生き残った村人がその建物に集められているということを意味する。いや、生きているかどうか不明な、横たわって動かない村人も何人も居た。

 そして生き残ったわずかな人々は、兵達に陵辱されている真っ最中であった。すべて女達で、恐怖に顔を引きつらせ、ただ言葉にならない悲鳴を上げ続けている。

 一人の兵が、暴れる女の顔を殴った。

 他の兵に手足を掴まれ、別の兵に組み敷かれていたその女は鈍い悲鳴を上げると鼻と目から血を流して動かなくなった。

 一人の兵が女の胸に手を当てると、殴った兵に文句を言った。カノナールには耳に入ってきたその言葉の意味がわからなかった。未知の言葉に思えたのだ。いや、言葉の意味はわかっていた。だが彼にとってそれは、およそ人間が口にしていい言葉ではなかったのだ。だから彼はその意味を受け入れる事を拒否した。

 動かなくなった女はまるで道ばたのゴミのように無造作に蹴飛ばされ部屋の隅に転がされた。

 見れば一糸まとわぬ姿の同じような女が部屋の隅に何人もいた。

 カノナールは無意識に数を数えていた。それはその部屋で生きている村人が、あと四人である事を彼に教えた。

 いや。

 小隊を預かる隊長が膝の上に載せている小柄な少女は既に自分で動いているようには見えなかった。声も出さず男の動きに合わせて両手がぶらぶら揺れているだけである。


「いいじゃねえか、どうせ殺すんだ。やかましいなら首を絞めてやれ。おとなしくなるぜ」

 隊長は他の部下にそう言うと、人間のものとは思えないおぞましい笑い声を上げた。

 それ以上部屋の様子を直視できなくなったカノナールはそっとその建物を離れ、火事の炎を頼りに燃え残っている家の内部を物色し始めた。


「それで、油を浸した藁でその建物の周りを取り囲み、一気に火をつけたという事か」

 詳細を説明する前にラウが事を察して尋ねると、カノナールは小さく頷いた。

 物色したのはよく乾いた藁と、灯り用に各家庭に蓄えられているはずの油だった。

 足を踏み入れたほとんどの家に遺体があった。暗闇でもそれは匂いでわかった。

 彼はしかし、もうそれらに心が動かされる事はなかった。文字通り何かに取り憑かれたように淡々としかるべき作業を行ったのだ。

 手にした即席の松明で藁に火をつけた時には、部屋の中からはもう、女達の悲鳴はおろか声も聞こえなかった。

 いや、聞こえたとしても火を放つことにためらいはなかったとカノナールは言った。だがそれに対して、ラウは何も言及はしなかった。

 カノナールは説明を続けた。


 建物の出入り口には特に大量に油を撒いておいたのだという。

 だから自分達がいる建物が燃えている事に気付き、忌まわしい行為が行われている建物から逃げ出そうとした兵は足下から炎に包まれる事になった。それでも半数ほどの人間が建物から逃れた。彼らは服についた炎を消そうと土の上で転がり回った。カノナールはその兵達に近づくと、手にした得物でとどめをさし、その上で油を撒いて火を放った。部屋から飛び出してきた兵達は皆丸腰で、抵抗する間もなく絶命したという。

 ラウの問いかけに対して、その行為の最中には一切罪の意識は感じなかったとカノナールは答えた。サクランボにつく虫を摘まみとるような、その程度の感覚だったのだろう。


 そのまま自失していたカノナールが正気を取り戻したのは夜が明ける頃であった。そして自分以外、誰一人動く者がないその集落を後にした。

 部隊にはもちろん戻れない。つまりはあてもなく逃げ出した。

 世に言うクナドル事件の、それが真相であった。


 どこをどう逃げたのか、カノナールは今ではもう記憶がないという。

 空腹と疲労で街道脇に倒れ込んでいたそんなカノナールを、偶然通りかかったサライエ一座が拾うことになった。

 とりあえず彼らは事情を知った上で、カノナールを「匿う」事になり、カノナールの顔立ちを見たエコーの発案でそれ以降カノナール・ノイエは一座の一員、少女カノン・サライエとして過ごす事になったのだ。


 そんなカノナールが姉であるカレナドリィの事を知ったのは数ヶ月前だという。

 ランダールから馬車で半日程の距離にある町でサライエ一座が公演をする事になった。その公演の終了後、座長の強い勧めもあって二日だけ休日をもらったカノナールはランダールへ「里帰り」したのだ。

 カノナールは当初大いに嫌がったが、エコーの同行と今後もサライエ一座にいることの条件だと脅されて観念した。そして二人は連れ立ってランダールへ赴いた。顔役であるルドルフの、つまりは蒸気亭の跡取り息子カノナールではなく、旅芸人姉妹の妹として、である。

 そもそも姉にそっくりなカノナールが単に女装してランダール入りすると町に混乱を巻き起こす可能性があった。そもそもカノナールが抱えている事情は家族の対面を妨げるものであったから、その注意を喚起して髪の色を染め変えさせ、別人に見える化粧を施すなどしたエコーの機転はたいしたものだったと言える。


 女装のまま行動させたのはクナドルの件でカノナールは軍に手配されている可能性があったからだが、実のところカノナールにはまだ父親であるルドルフにわだかまりがあった。

 だからカノナールは正体を明かさず女装のままで家の様子をうかがう程度に留め、すぐに一座の元へ戻るつもりだったのだ。願わくば遠目でよいから大好きな姉の姿を見かけることが出来れば……。そう考えていた。

 だが、数年ぶりに帰郷したカノナールを待っていたのは「蒸気亭」の看板娘が「不治の病」を煩ってもうずっと仮死状態にあるという衝撃の噂であった。

 もちろんそれが噂ではなく「事実」である事はすぐにわかった。思いあまって家に忍び込み、ベッドに横たわる本人を「見た」からである。いくら声をかけても揺すっても、何一つ反応のない姉には、脈や体温すらなかった。当然息もしていない。要するに死体なのだ。普通の死体と違うのは、まったく腐ることもなく、青ざめてはいるもののただ眠っているとしか思えないほどみずみずしい肉体を保っているという点のみであった。

 もはやわだかまり云々など問題ではなかった。カノナールは父であるルドルフを問い詰め、姉が「そうなった」事情を知る事になった。


 その場にエコーがいなければ、カノナールは即座に「金髪緑眼のアルヴの女吟遊詩人」を探す為に宛てのない放浪を始めたに違いない。

 サライエ一座は国境を越えてファランドール中を旅して歩く。エコーは闇雲にさすらうよりも一座とともに行動する事で各地の情報を得る利もあるとカノナールを諭し、なだめ、なんとか一座に連れ帰った。エコーがいなければ彼は二度とサライエ一座と会うことはなかったかもしれなかったのである。

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