第五十六話 クナドル事件 4/4

 カノナールの正義感には母親の死が強く影響している事も、エイルやエルデはカレナドリィの話から容易に想像が付いていた。

 リサ……母親であるリザルフェルチェ・ノイエはカノナールがまだ幼い頃に「暴漢」に襲われて辱められた上、その命を奪われたという。

 サラマンダ中が戦後の混乱に乗じた略奪者で溢れていた。至る所でリザルフェルチェの身の上に起こった悲劇と同じ事が繰り広げられていたのだ。

 これ以上母親に起こったような事を許さない。その為に自分が役に立ちたい。カノナールの思いの根源はそこだったのだ。

 だが……。

 カノナールはある日気付いてしまった。

 自分がいつの間にか母親を襲った「略奪者」の一員になっているという事を。


 カノナールは兵達と同じ部屋で眠る事は許されておらず、普段は兵馬舎の隅で藁にくるまって眠っていた。

 そんなある日の事。

 夜半に馬のいななきで目が覚めたカノナールは、小隊の宿舎に灯りが点っているのを見つけた。不審に思った彼はその兵舎に何気なく近寄った。

 夜は何があっても兵舎には絶対に近寄るなと厳命されていた為、好奇心に駆られても、それまで一度もそんな事はしなかった。だが兵達の行動に疑惑を持ち始めたカノナールは、吸い寄せられるように宿舎の壁に近づき、気取られぬよう細心の注意を払いながら中の様子をうかがったのである。


 そこで耳にしたのは信じたくない事実だった。

 兵達の言う「作戦」とは反政府ゲリラの掃討などではなく、警備の薄い村を略奪する事だったのだ。

 疑惑が事実に変わったカノナールの心に浮かんだのは、母親リザルフェルチェの事だったに違いない。同時に自分がどれだけ愚かだったのかを思い知った彼は、小隊の「作戦」を阻止する事を決意する。

 兵達は次の夜に「クナドル」という山村を襲撃する打ち合わせをしていた。

 彼らの狙いは穀物などの備蓄食糧と、クナドル特産の薬草だった。山村であるが、さほど荒廃しているように見えないのは、その薬草で現金収入を得ているからだというのが彼らなりの調査のようだった。


 薬草の名前を尋ねたラウに、カノナールは首を横に振った。良く聞こえなかった事に併せ、そこまで細かい事は覚えていないという。

「クナドルはエルート渓谷の近くだったな」

 エルデがラウに確認する。

「まさか」

 エルデが口にした地名にラウは目を見開いた。

「いや、間違いなくリアコーブキャムやろ」

 初めて聞く薬草の名にエイルが目でエルデに説明を求めたが、あからさまに不快な表情を浮かべて口をへの字に結んだ……つまりは回答を拒んだエルデに変わり、ベックが答えた。


「リアコーブキャム。通称キャム草。あれが薬草なもんか。そいつは毒だぞ。少量をある種の蒸留酒に漬け込めば効果が強い催淫薬になるそうだが、服用する量を誤れば最悪の場合、死ぬんだ」

「いや。キャム酒の場合、量と言うよりは体質に適応・非適応があるんや」

 まるで汚らわしいものでも見るような目をして、エルデが吐き出すようにそう言った。

「シルフィードでは数千年前から禁忌品目録の上位に記載されています」

 アプリリアージェが補足するようにエイルにそう言った。

「惚れ薬系全般が国際法で使用を厳しく禁止されてるはずや」

「なるほど」

 ラウが強い反応を示したのもそう言う事であった。賢者は麻薬や禁止薬物の摘発・撲滅も役割の一つだという。それらを所持する者は、賢者特権の範囲で裁かれるからだ。

「そういやキャム草はエルート地方が原産だったな」

 ベックが記憶を辿りながらつぶやいた。

「とっくの昔に撲滅したって話だったんだが……」

 いったん全世界に広がったリアコーブキャムは取り締まりと正教会の活動でほぼ全滅したが、ごく少量がどうしてもまだ裏で流通しているという噂は絶えなかった。正教会が栽培地を摘発しようにも世界中をしらみつぶしにするわけにもいかず、根絶に手間取っていたものなのだという。その供給地の一つが最初に根絶したはずの原産地だったというのはある意味で灯台もと暗しと言えた。

 その件についてカノナールからより詳しい話を聞いたところによれば、兵達は独自にそのリアコーブキャムの栽培地を探していた節が認められた。「作戦」とは別に「調査」と称して出かけていたのはその為であろう。

 なぜならクナドル襲撃の日、兵達はカノナールが知る限り最も重装備で、いつもは一輛だけの荷馬車も、その日に限って三輛だったという。

 

 襲撃が夜半である事をあらかじめ知ったカノナールは、兵達の食事が終わった夕刻に行動に出た。兵達より早くクナドルに到着し、恐ろしい略奪者の到来を知らせようと決めていたのだ。

 クナドルという村の名は知っていたのでだいたいの場所はわかっていた。だがカノナールにはそこに辿り着く為の「足」がない。クナドルは徒歩で向かうには遠すぎたのだ。

 都合の悪いことにその日はアイスとデヴァイスの朔の日にあたり、馬を盗んだとしてもカノナールには闇夜の山道を往くだけの乗馬の腕がなかった。そもそも軍にとっては貴重な馬である。各部隊の馬小屋には曲がりなりにも見張りが居てとてもカノナール一人で誰にも気付かれずに馬を盗み出すのは困難であった。


 カノナールはそこで一計を案じた。あらかじめ馬車の荷台に乗り込み、隠れておくという方法である。

 兵達はクナドルの近く、それも村の人間に気取られない距離で襲撃準備の為に武装を整えるはずだった。兵達の目を盗んで馬車を離れ、先にクナドルに辿り着けばなんとか襲撃前に迎撃の態勢を整える事ができるかもしれない。運が良ければ非戦闘員である年寄りや子供達は安全な場所に逃げる時間が稼げる可能性もあった。


 馬車を調べると、三両のうち一両の荷馬車は武器の運搬用で兵が乗り込む可能性が低かった。しばらく逡巡はしたが、カノナールは運を天に任せて布にくるまり荷台の隅で横になって「その時」を待った。

 果たして彼の作戦は成功した。一人の兵が幌のかかった武装運搬用の馬車の荷台をチラっと確認しただけで、そこで息を潜めるカノナールには全く気付かなかった。

 計画は順調に進むと思われたが、誤算が生じた。

 クナドルはカノナールが予想したよりもはるかに遠かったのだ。彼はいつの間にか睡魔の誘惑に負け、意識を失っていた。

 成人前の体には、毎日の重労働はそうとうな負担であろう。寝床に付くと時を置かずに熟睡する事が当たり前の生活になっていたカノナールにとって、緊張を長時間続ける事は困難で、ゆりかごにも等しい馬車の揺れの前についに敗北したのである。

 そして未明。カノナールは猛烈な痛みで目が覚めた。


 目を開けても、自分が今どこに居るのかを把握するのに数秒を要した。

 熱い頬を手で押さえながらよろよろと上体を起こす途中で、背中に戦慄が走った。自分が置かれている状況が理解できたのだ。

 彼を見つけた兵士は激怒していた。その兵士だけではない。「作戦」に参加していた全員が彼を見ていた。もちろん荷台に乗り込んだ理由を尋ねられた。

 カノナールはもちろん、やろうとしていた事を正直に白状する事はしなかった。

 その代わりとして口を突いて出たのは、心にもない台詞であった。

 いつまでも下働きは嫌だ。

 今回は大きな作戦のようだから自分も手柄を立てたい。

 その為にファランドール軍に志願したのだ。


 その時には自分がその場を切り抜けることに必死で、クナドルを救う事などは頭になかったと、カノナールは目を伏せて言った。 だがもちろん、誰もそれを責める気などなかった。

 下手をすると命を失いかねないのだ。だからこそアルヴであれば絶対に口にしないであろう心にもないセリフを吐いたのである。だがカノナールはアルヴではない。デュナンなのだ。だからそれは当然の行動といってよかった。


 話を聞いた兵達はカノナールの命は奪わなかった。だが随行は許されず、数発殴られた後で馬車の荷台に縄で括りつけられた。

 戻ってくるまで待っていろという命令である。動けないように縄で括りつけたのはつまり、現時点ではカノナールに自分達がやっている事を絶対に見せるわけにはいかないからである事がわかる。

 カノナールはしかし、なんとか縛めを解く事に成功した。一本の縄で体も手も足も括りつけられていた為に、もがいているうちに一部が緩むと全体が解けた。

 彼はいくつか残っていた武器の中から軽めの片手剣を掴むと、兵達の後を追って暗い夜道を走った。

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