第五十三話 四着目のドレス 2/4
ヘルルーガはもとより、彼女の幕僚達もエスカの要求の意味するところはすぐに理解した。理解したが混乱したのである。ヘルルーガ自身は自分が婚儀を挙げる当事者になるという状態を考えるところに辿り着く前に混乱で思考が停止した。対して軍服姿しか見たことのない彼女の幕僚達は、まったくもって想像できない花嫁衣装にどうやって将軍の顔をあてはめたらいいのかわからずに混乱したのであった。
エスカが常人離れしているのは、味方ですら絶句するようなそんな大胆な作戦をとっさにとってしまう事だけではない。同時に繊細で緻密な段取りが用意されている事だ。
会談の後に間を置かず、ベーレント軍の主立った将校が帯剣を許されてフラウトの王宮に招かれた。約定通り兵達の武装解除は行われたが、ヘルルーガがエスカの条件を全てのんだ時点でエスカは全員を既に同胞だとし、その約定を無用のものと宣言したのだが、ヘルルーガからけじめを付けさせて欲しいと懇願されて行ったものであった。
その流れもあろう。帯剣のままでいいと薦められたにもかかわらず、王宮に現れた将校達は誰一人武器を携えてはいなかった。
エスカとしては試したわけではないのだろう。だが結果としてエスカはアルヴの気質というものを改めて理解する事になったのだ。
王宮に迎えられた将校達はエスカからその野望を聞かされた。
何をしようとしているのか、そのためにどのような準備をいつから行ってきているのか、フラウト王国がどのような役割を持っているのか。フラウト王国が現段階で有している軍資金を含む真の軍備の全容も明かされた。
その全てが驚きであった。つまりホラ話の類に聞こえたのだ。
だがそれがホラ話でないことの証拠がいくつか提示された。軍備は実際に案内され、彼らはその目で確認をした。最高機密だとことわりを入れた上で、マーリン正教会の賢者がエスカの計画に合力している事も知らされた。なにより賢者の徴には説得力があった。
また、彼らが信じざるを得なくなる状況づくりにはヘルルーガがその一躍を担う事になった。エスカのホラ話のいくつかをヘルルーガが肯定したのだ。イエナ三世がノッダへ無事に入城できたのはエスカの兄の力添えがあってこそだとシラされた者たちの驚き様は筆舌に尽くしがたい。
そして最後にエスカが口にした一言。
「俺はこの戦争を終わらせ、イエナ三世を娶る。これは既に本人も知る事だ」
それはヘルルーガですら初耳であったが、すぐに嘘ではないと確信した。だがアルヴの王であり純血をまもってきたシルフィード王国の女王を娶るということは、すなわちシルフィード王国を併呑しようと言っているようなものである。そこまできて2400人のアルヴを敵に回すような事を口にした意味が図りかねた。
その場に居たベーレント軍の全員がそう思ったに違いない。だがもちろん、その話には続きがあった。それこそがエスカが掲げる「新しいシルフィード」の旗印であったのだ。
最終的な目的を告げた後で、エスカはヘルルーガ達にこう言った。
「純血を重んじるアルヴとしては受け入れられない話かも知んねえって事はデュナンである俺でも理解している。だから俺もお前達全員に従えとは言わねえ。だがこの先いくつか山場が訪れる。特に最初のいくつかはどれも正念場になるだろう。だから俺にはお前達の力が必要だ。できれば全面的に俺の話に乗って欲しいが、賛同するところはあるにせよ、うさんくさい話だと思うなら、俺を値踏みする時間を与えよう。だがその間は同じ目的の為に戦ってほしい。それでも駄目だ、合わねえ、となればいつでもかまわない。自らの矜持に従ってくれていい。離脱する時はできる限りの便宜を図ることを約束する」
エスカは目的を告げる際に、アルヴの黒い歴史を引き合いに出していた。その上で自らの目的を示し、設計図を見せたのだ。イエナ三世はそれを見て、まだ王女である時にこの話に乗ったのだという。
一連の話が終わったときには、静寂が一同を包んでいた。文字通り物音一つ立てる者すらいなかった。
その場に居た者たちは招かれた時には饗応されるものと思っていたに違いない。その実披露されたのは斯様に恐ろしい話だっというオチである。
そう。ヘルルーガ達は思い知らされていたのだ。
袋の鼠となった2400人の兵士が命乞いをした相手は、ただの小さな城砦国家などではなかった事を。
そして交渉を持ちかけた人物がエスカ・ペトルウシュカであった事について、あるものは奇跡だと感じ、あるものは運命という言葉を脳裏に浮かべていた。
有り体に言えば「この事を知ってしまったからではもはやただでは済まない」と誰もが感じたのである。
ていねいに時間を掛けた説明が功を奏し、混乱するものはいなかった。だが考えがまとまるものも多くはなかったであろう。
そのような中で、エスカは最後の仕上げとして驚愕の行動にでた。
沈黙の中で耳目を集めたまま、エスカはヘルルーガ達の前にゆっくりと歩み出て立ち止まった。そしてそのまま招いた将校達に対して膝を突き、右手を胸に当てると深々と頭を下げたのである。それはシルフィード式の最敬礼の一つであった。
その態度の意味するところを考える間もなく、エスカは口調を変えてこう言った。
「改めてお願いする。諸君らの誇りであるヘルルーガ・ベーレント将軍を我が妻として、そしてフラウト王国軍務大臣として迎える事を認めて欲しい」
もちろんエスカがそんな事をヘルルーガの部下達に頼む義理はない。
既にヘルルーガ自身は婚儀を承諾しており、二四〇〇名の兵は無条件降伏をして武装解除されているのである。もとより彼らはヘルルーガの決断にはすべて従う事を決めていたのだ。
どう答えていいものか思案する様子を見たエスカは、口調を元にもどした。
「部隊の成り立ちを簡単に聞いたが、今のお前達は一蓮托生の家族みたいなものだろう? さすがに二四〇〇人全員ってわけにはいかないが、せめて家族の代表には認めてもらいたいのが人情ってもんじゃねえか」
「ちょっと待ってくれ」
それまで努めて沈黙を貫いてきたヘルルーガがたまりかねて横から口を挟んだ。
「その話は初耳だ」
エスカは「え?」というと不思議そうな顔をヘルルーガに向けた。
「まさかここまで来て婚約解消かよ?」
「まさかここまで来て婚約解消などできるものか!」
「いや、だったらなんでトボけるんだよ」
「とぼけていない」
「だったら今さら婚約を……」
「そっちではない」
「え?」
「軍務大臣の話だ」
ヘルルーガがそう言うと、彼女の部下達も一斉にうなずいた。そう、彼らもそちらの方が気になっていたのだ。
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