第五十三話 四着目のドレス 3/4
「恐れながら」
将校代表と目されるクォーク・レプトン大佐が口を開いた。
「もとより我ら全員、一兵卒に至るまで今回の婚儀に異論などございませぬ」
エスカは嬉しそうにうなずいた。
「そうか。そいつはありがたい」
「異論はいっさいございませんが……」
「が?」
「祝福できるかどうかはこの時点ではなんとも」
「ああ、まあそっちはそうだな」
「だからむしろ祝福させていただきたいものですな」
「ふむ。なかなか難しい注文だな」
エスカは思案を巡らせるように顎に手をやった。だがクォークがそれには及ばぬという風に首を振って見せた。
「いやいや、実に簡単な事ですよ、ペトルウシュカ殿」
「と、いうと?」
「エスカ・ペトルウシュカ殿を男と見込んで、この場で我らと一つ約束をしていただけませんかな」
「約束、か?」
「条件と捉えていただいてもけっこうです」
クォークはそう言うとニヤリと笑って見せた。クォークが発言してからは真顔になっていたエスカだが、その表情を見ると思わず頬を緩めた。
「聞こう」
「婚儀については略儀で行った後に、別途公式なものを執り行うと聞き及びました」
「そのつもりだ。今日の略儀は全て書面に署名するだけだからな」
「その公式な婚儀には我々は列席を許されると考えてよろしいか?」
エスカは肩をすくめた。
「列席しねえ奴が居たら塀の外にほっぽり出してやるさ」
「それを聞いて安心しました。約束というのはその婚儀の件です。我らがベーレント将軍、いやヘルルーガ様の婚儀おける衣装ですが」
「衣装?」
「思いっきり華やかかつ可憐で愛らしいものにしていただきたい」
「おお!」
クォークの申し出に、背後の将校達の多くが、思わず感嘆を声にした。
エスカはポンと手を打った。
「心得た」
「待て待て待て!」
エスカが答えるのとほぼ同時に、ヘルルーガがものすごい形相で二人の間に割って入った。
「言っておくが私は軍の礼装しか着ないぞ」
エスカは困ったような顔を作ると頭を掻いた。
「公式な婚儀は当然フラウト王国のしきたりに則って行われる訳だが……キリエンカ卿?」
そう言うとエスカは振り向きもせずに後方に控えていたフェルンに声をかけた。
「フラウト王国のしきたりだと、皇太子の花嫁の衣装はどうなっている?」
「心得ている」フェルンは詰まることなく答えた。
「思いっきり華やかなドレスと心がねじくれるほど可憐なドレスと熱で浮かされそうなほど愛らしいドレスと、都合三回の色直しがございます」
それを聞いたエスカは満面の笑みを浮かべ、反比例するようにヘルルーガの顔面は蒼白になった。
「断固拒否する。さもなくば婚約など解消してやる」
ヘルルーガがどれだけ本気なのかは、その態度で知れた。エスカの胸ぐらを両手でつかむとそのまま吊り上げたのだ。
だがエスカは冷静に言葉を返した。
「ここまで来て婚約解消などしない、とさっき言ってなかったか。それともあれは俺の空耳だったかな?」
後半は少し大きな声で。わざとらしく。
「この場にいる我ら全員、同じ言葉をしかときいておりますぞ、エスカ殿」
クォークの言葉に将校達が「おう」と呼応した。
「言質はとられてるんだ。もう諦めろ」
「くっ」
ヘルルーガはエスカから手を離すと力を抜いた。そして部下達に向かって回れ右をした。
「貴様ら! よくも……」
だが、その恨みごとは途中で力を落とし、すぐに途切れた。
振り向いた先には、クオークをはじめとしてそこに居た全ての将校が最敬礼をしていたのだ。
頭の中を疑問符で埋め尽くしているヘルルーガにクォークが申し出た。
「将軍の熱に浮かされそうな愛らしい花嫁姿を一目見るまでは、この老いぼれ、死んでも死に切れませんな」
「レプトン、貴様」
「さらに言えば、将軍の花嫁姿を見ぬうちは、このクォーク・レプトン、どうあってもエスカ殿の側を離れるわけにはいかなくなりました」
クォークのその言葉を受け、後ろに控えていた別の将校が発言した。
「わが思いもレプトン大佐とまったく同じです、ベーレント将軍」
ヘルルーガはそれがゾルムス・アルダー少佐の声である事がわかった。だがそのすぐ後に上がった声については判別できなかった。なぜなら残りの全員が口々に同様の宣言を行ったからである。
クォークの言葉の意味するところがわからぬ者はその場にはいなかった。
すなわち彼らは全員、エスカの向かうところへ共に歩むと言っているのである。
「めずらしいものを見せてもらったぜ」
ヘルルーガの肩にポンと手を置くとエスカは言った
「名将ベーレント将軍が完膚なきまでに敗北する場面に居合わせるとはな」
ヘルルーガは肩の上に置かれたままになっている手を振り払おうと手を挙げたが、すぐにその手を下ろすとそのまま振り向き、弱々しく声をかけた。
「公式な婚礼式の件だが」
「おうよ」
「できるだけ先延ばしにしてはもらえないだろうか」
「そうだな」
エスカはそういうとクォークの方に顔を向けた。
「我らはかまいませんぞ。楽しみは後にとっておく方でしてな」
「じゃあそうしよう。もともと情勢が落ち着くまでは難しいだろうしな」
エスカの一言で、ヘルルーガはホッとしたように肩を落とした。だが安心するのはまだ早かった。
「そうだな、ただ先延ばしにするのは申し訳ない。だから俺からもう一つ楽しみを追加しようじゃないか」
それはクォーク達に向けた言葉であったが、ヘルルーガは本能的に嫌な予感を覚えた。
「公式に決まっている3種類のドレスに加え、涎が出そうなくらい色っぽいドレスを追加しよう」
エスカの申し出に「おおー」という歓声が上がったのは言うまでもない。
そしてヘルルーガは……。
ヘルルーガはがっくりと首を垂れていた。
見かねたエスカが声をかけた。
「おい、大丈夫か?」
「……くれ」
「え? 聞こえねえよ」
「いっそ殺してくれと言ったのだ」
それを聞くと、エスカは笑って再びヘルルーガの肩をポンと叩いた。
「大丈夫だ。そんな口を叩けないようにしてやるから覚悟しておけ」
「どういう意味だ?」
怪訝な顔をするヘルルーガにぐいっと近寄ると、エスカはその耳元でささやいた。
「後で二人きりになったらゆっくりじっくりと教えてやるから楽しみにしといてくれ」
「まったく、なんという破廉恥な男だ」
そこまで思いだすと、ヘルルーガは悪態をついた。
だが自分の顔がかなりの熱を帯びている事も理解していた。
「それにしてもどんな精神をしているのだか」
そういって首を左右に振った。
エスカの第一側室が命を落としたやもしれぬという情報をヘルルーガが知ったのは、その朝の事であった。
考えてみればひどい話だ。第一側室の訃報を聞いたその日に、エスカはヘルルーガに側室になるように要請したばかりか、フラウトの王女とともにその日のうちに婚儀を挙げるというのだ。
聞けば第一側室とは相当に仲むつまじい間柄であっというから、エスカの心中は想像を絶するものがあったに違いない。だがエスカの持つ精神力は「戦略」を淡々とこなすほど強かった。迷った末ヘルルーガが第三者から聞いたニームの訃報について当人に触れた際も、一瞬たりとも顔を歪ませることなかった。ただ悲しい微笑を浮かべて「全部終わったら一緒に泣いてくれ」とつぶやいただけであったのだ。
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