第五十三話 四着目のドレス 1/4
「どうした? 私の顔に何か付いてるのか?」
整然と隊列を成して広場から出ていく兵達を眺めていたヘルルーガは、自分をじっと見つめる視線に気付いていた。
声をかけてくれればすぐに応じるつもりでいたにも関わらず、視線の主は一行に口をひらかない。
根負けしたのはヘルルーガで、たまりかねてエスカの視線を捕らえると、わざとふくれ面を作ってそう声をかけた。
もっとも、その表情が作り物である事が相手にはすぐにばれる事は覚悟していた。何しろ鏡をみるまでもなく、顔が紅潮しているのが自分でもわかるのだ。わかるからこそ恥ずかしいし、その恥ずかしさをごまかす為にわざと心にもない表情を作って見せたのだから。
「いや、なに」
エスカはそう言って頭を掻いた。
「いまだにお前さんとこうして居るのが不思議でな」
「そのセリフはそっくりそのまま、あなたに返そう」
ヘルルーガはそう言ってため息をつくと視線を兵達に戻した。エスカもそれに倣ってヘルルーガ軍の美しい動きに目をやった。
「大葬前からだ」
ヘルルーガはエスカの方は見ずにポツンとそう言った。
「ん?」
「夕べも言った通り、私は大葬の直前にあなたの兄君にはじめてお会いした。あれからざっと三ヶ月が過ぎたが、そのたった三ヶ月の間で、今まで生きてきた価値観が根底から覆された。それも一度ではない。あの後はずっと不思議な事の連続だ。自分の立ち位置をいちいち反芻するのが馬鹿馬鹿しくなるほど今までの常識とはかけ離れた事をやらされている気がする。この意味があなたにわかるか? やっているのではなく、何かこう、見えざる手で操られてやらされている気がするんだ」
ヘルルーガはさらに小さなため息を重ねた。
「もっとも、価値観の変化といえば、個人的には夕べのあなたとの出来事が頂点だとは思う。まさか私が再婚しようとはな。しかも相手は皇太子ときた。一体何の冗談だ?」
エスカは小さく笑った。
「なにがおかしい?」
「いやあ、やらされている感ってヤツさ。実は俺もずっと同じ気持ちだ」
エスカの言葉にヘルルーガは眉をひそめた。
「まさかとは思うが、お前は誰かにさしずされたから私を抱いたのか? もとより今さらなじるつもりはないが、あれはかなり強引だったぞ?」
ヘルルーガはそう言った直後にかなり大きなため息をついた。
「いや、今の言葉はあなたに対する侮辱になりかねん。だから忘れてくれ。そのかわり、最初が肝心だからこれだけは言っておく」
「ん?」
「いまだにあなたの言っている事の全てを信じているわけではない。いや、信じられんと言うべきなのだろうな。いや、私では理解が追いつかんというべきか。とはいえ話を聞いていくと信じるしかなくなる。だから信じたのだ」
エスカは自嘲気味の薄い笑いを浮かべた。
「正直に言うと、こっちの方が驚いてる。俺のホラ話をあんなに簡単に信じてもらえるとは思わなかった」
「あなたの言うことは、私を入れてもほんの一握りの人間しか知らぬはずの事に見事に符合する。あなたを信じないというのなら私は自分をも信じない人間だという事になる」
「それも元をただせばあのバカ兄のお膳立てだと思うと腸(はらわた)が煮えくりかえる気分なんだがな」
「あなたの気分がどうあれ、シルフィード王国はあなたの兄君のおかげで救われたと私は思っている。ペトルウシュカ公がいなければ、私はシルフィード王国という名の全く別の国の傀儡として盲目的に戦わされていたか、あるいは腹に一物を持つ奴に既に消されていたかもしれんのだ。それを考えるだけで今でも身の毛がよだつ」
「助けるつもりの作戦にしちゃ、結果は完璧とはほど遠いようだがな。あのバカ兄らしくもなく、な」
エスカは既にヘルルーガに大葬の舞台裏を伝えていた。その事もヘルルーガを驚かせたが、シルフィード王国の上層部、それも最上層部とエスカ・ペトルウシュカが「通じて」いる事が彼女の中の決断を促したといえる。その相手に自分を委ねる事を良しとした理由である。
「まだ色々と話をしたいことがあるが、とりあえずは我らの戦いをフラウトの人々に見てもらってからにしよう」
ヘルルーガはそう言ってエスカに背中を見せると、王宮のバルコニーを後にした。そのまま広間を出ようとして、いったん振り向いた。視線の先のエスカは後ろ姿を見せるだけで、その表情はうかがえなかった。
「いったい何がどうなってこんな事態になっているのやら」
そのまま階段へ続く回廊を歩きながら、ヘルルーガは昨夜のエスカの行動を思い出さずにはいられなかった。
ヘルルーガがエスカの「条件」を受け入れたのは、当初は兵達全ての命を守る為であった。
いや、そもそも無条件降伏に近い状況にあったのだから、受け入れるもなにもない。相手の言う事を全て飲むしかなかったのである。
会見の場でヘルルーガがとった「申し出」は、言わば最後に意地を張ったようなものだった。エスカ・ペトルウシュカという人間の技量を自分なりに計ろうと考えた上での「あがき」のようなものである。
そもそもが自分の命と引き替えに兵の保護を頼むつもりだったのだ。つまりはエスカ・ペトルウシュカという男が兵達の命を預けるにたる人物かどうかを再確認したかったのである。
エスカの兄であるミリアを、いやミリアの能力の片鱗をその目で見て知っているヘルルーガは、その実弟であるエスカがただの「成り上がり将官」ではないと当初から信じて疑わなかった。
兄弟仲がそうとうに悪いという噂は耳にしていたが、それは弟の器量が並ではないことの証明だと考えてもいた。
だがエスカ本人に実際に会うと、二人の間に確執が存在する事が当然のように思えた。なぜなら兄と弟はあまりに違うからだ。
人間ばなれした「力」を事も無げに使ってみせる兄の、その狂気を帯びたような黒いエーテルにあてられた後では、初見のエスカはあまりに俗っぽい人間に見えた。兄弟だと言われれば顎の輪郭など似ている部位を無理矢理に探す事も可能かもしれなかったが、姿形からしてそもそも兄とは違いすぎる弟に、ヘルルーガが自分の兵の命を預けていいものかどうかの判断に最後まで悩んでいたであろうことは想像に難くなかった。
しかし、ヘルルーガは、エスカが別の意味で普通の人間の物差しでは測れぬ人物である事を実感したのだ。
あの会見の場で敵国の将に対し婚儀の申し出を行うなど、およそ常人の判断とは思えない。
たとえば己の劣情を満たす為に美貌のアルヴを我が手にしたいと考えるのなら、無条件降伏をしている相手をわざわざ公式な婚儀の場に引き上げる必要はない。意のままに蹂躙したければただ命ずればいいだけだ。何しろエスカは2400人もの人質を手にしているのだから。
そもそも「そんな事」をすれば2400人の兵達が素手であろうが素っ裸に剥かれていようが、命など顧みずベーレント将軍の名誉の為に立ち上がった事だろう。彼らの命を守るために例えヘルルーガが自分の意志で従うそぶりを見せたとしても、である。それがアルヴの気質というものなのだ。
つまりエスカは2400人ものアルヴ族の兵士達に対し、無条件降伏をしたという負い目を感じ刺せぬようにする為に、フラウト王国の市民になる必然性を示したのである。
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