第五十二話 エスカの右目 2/5

 口火を切ったのはエスカであった。

 彼らしいと言うべきであろうか。いきなり核心を突く一言をヘルルーガに突きつけた。

「で、将軍はどうしたいんだ?」

 そして答えを待たずに続けて放った次の一言でゾルムスの口を封じた。

「まず俺とベーレント将軍だけで話をさせてくれ。互いに駆け引きは無しだ。下手に相手の腹を探るような真似はせず、ここは一つ思いついた言葉をどんどん口にしようや?」


 まだ顔色が戻らぬエスカではあったが、口調だけはエスカらしいものに戻っていた。

「不滅」の効力が消えた意味を理解しつつも、いったん政治的に重要な局面に臨めば感情の波に溺れるエスカではなかった。

 このような行為が散見される為、エスカを評してその正体が冷徹、冷酷だとする向きもあるが、むしろいただの目先が利く指導者ではない事の証左であろう。エスカの人物像がどうあれ、この場面においてニームの死がエスカの行動を停止させる事はなかった。いや、そうであってはならなかったのは確かなのだ。

 逆説的ではあるが、そうでなければ、人の筆頭たるニーム・タ=タンから「薔薇の王」と呼ばれるに値しなかったであろう。


「いいだろう。我々アルヴにとっても、むしろそれは望むところだ」

 ヘルルーガはゾルムスに視線を向けることなくエスカに深くうなずいて見せた。

「そいつはいい」

 エスカはニヤリと笑って見せた。

「ではさっそく始めよう」

 エスカを真似たわけではないのだろうが、ヘルルーガもニヤリと笑い、多少もったいぶったよう続けた。

「実は私はこの席に、フラウト王国にとって耳寄りな話を持ってきた」

「ほう」

 ヘルルーガとは反対にエスカは表情から笑みを消すとぐっと身を乗り出した。

「いい話なら是非聞きてえな。正直に言うと今はこれ以上悪い話を聞きたくねえ気分なんだ」


 エスカの言葉の意味をはかりかねるといった風にヘルルーガは眉をすこし顰めたが、そのまま続けた。

「それはよかった。間違いなくいい話だからな。実は私はフラウト王国に軍隊を進呈しようと思っている」

 ヘルルーガのその言葉に、しかしエスカは表情を変えなかった。対してエスカ以外のフラウト王国側には息を呑む動きがあった。

「それもそんじょそこらの寄せ集め部隊などではないぞ。選りすぐりのアルヴ族で構成された二四〇〇人からなる強力な軍隊だ。たとえ一万のドライアド軍が責めてこようとも即座に蹴散らせるだけの地力がある。それはこの私が矜持にかけて請け合おう」


 実はこの言葉に驚いていたのはフラウト王国側だけではなかった。

 ゾルムスを含む幕僚達は一斉に自軍の司令官を見た。もちろん話が違うからだ。だが彼らの目に映ったのは気が動転した女司令官ではなく、極めて自信に満ち、落ち着いた表情の……つまりはいつも通りのベーレント将軍であった。

「そりゃあいい」

 エスカもその表情からは一切動揺はうかがえなかった。まるでヘルルーガがそう言うとわかっているかのような落ち着き振りであった。


「どうしてわかった?」

「というと?」

「いや、フラウト王国が兵隊を大量に募集しているってぇ情報は、シルフィードの口入れ屋にはまだ伝えちゃいねえはずなんだがな」

「よく言う。白の国エスタリアのペトルウシュカ男爵よ。私には野心家は匂いでそれとわかる」

 エスカの軽口にヘルルーガはそう返した。

「なるほど」

 エスカはうなずくと閉じたままの右目に指を当て、しばし思案するようなそぶりを見せた。ヘルルーガはエスカの次の言葉を待ったが、彼の口から出たのは気のない一言であった。

「それで?」


「『それで』とは?」

 ヘルルーガはさすがにムッとしたのか眉根を寄せた。

「おいおい、時間がねえんだろ? サクサク事を進めようぜ」

 エスカは首を横に振ると続けた。

「その軍隊すごいですねー。はいそうですか、それじゃあ、ありがたくいただきます……なーんて俺が言うと思ってるわけじゃねえんだろ?」

 エスカは続けた。

「一騎当千の兵を揃えた軍隊をくれるっていわれればそりゃあ、たいした戦力もねえ我がフラウト王国としちゃ、これ以上の申し出はねえよ。だがな、ベーレント少将」

 そう言って今度は不敵な笑いを浮かべたエスカは、ヘルルーガに同行した幕僚達の顔を順番に見ていった。

「竜巻の部隊旗を掲げるその軍隊は、果たして俺の軍隊と言えるのか? それとも我がリムル二世陛下直轄の近衛兵になるつもりか? ついでに聞くが、そこにいる立派な髭を蓄えた大佐殿は俺のケツを舐めろと言ったら舐めるのか?」

 エスカの言う髭の大佐、すなわちクォーク・レプトンは目を吊り上げてエスカをにらみ据えた。しかし唇を強く結ぶと、何も言わずに大きな深呼吸を一つしただけであった。


 ヘルルーガは、肩を落として小さなため息をついた後で答えた。

「口では何とでもいえるということか。男爵の懸念はもっともだ。確かに実際は私の指揮にか従わないだろう」

「だよな」

 エスカは両手を広げて大げさに肩をすくめて見せた。

「そんな物騒な連中を二四〇〇人も城砦に入れるバカはファランドール中探しても見つかりっこねえよ。だろ? 放っておけば全滅なのに少将はオオカミを信じてウサギが自分の家の扉を開くとでも思っていたのか?」

「ふむ」

 ヘルルーガは動じた様子もなく目を閉じると腕を組んだ。


「なるほど。こういうことか。ペトルウシュカ将軍は我が軍の忠誠を見せろと仰るのだな」

 エスカはしかし首を横に振った。

「今この時点で存在すらしてねえ忠誠心なんてもん、見せられるわけねえだろ? さすがの俺もそこまで愚かしいことは言わねえよ。つまり忠誠心なんてものがないのにその軍隊がフラウト王国の決定には間違いなく従うってえ証拠を見せろって事だよ」

「先ほども申し上げたが」

 ヘルルーガは目を開けてエスカをみやると、今度は脚を組んだ。

「我が軍は私の指揮にしか従わぬだろう。だからこうしよう。私はペトルウシュカ将軍、あなたの指揮に従う。ならば我が軍はあなたの軍という事になる。それで問題はないはずだ」

 エスカは音を立てて膝を打った。

「わっはっは。そりゃごもっともなお話で」

 そう言っておかしそうに笑ったが、すぐに真顔になって続けた。

「だったら、とりあえず武装を全て解除しろ。そうすりゃ多少の手間はかかるだろうが二四〇〇人、きっちり全員城砦の中に入れてやる。意味はわかるよな?」

 その言葉に一瞬驚いた顔をしたヘルルーガだが、脚を組みなおすとすぐに表情を元に戻した。


「武装解除以外の条件は?」

「本当に話が早くて助かるな。実はあと二つある」

「聞こう」

 エスカはうなずくと続けた。

「まず一つ目だ。アルヴ族の矜持に賭けて全員に誓わせてくれ。城砦の中の住民に一切危害を加えないと」

 ヘルルーガはそれを聞くと怪訝な顔で、初めてゾルムスの方に目を向けた。だが当のゾルムスも困惑した表情で返すしかなかった。

 それはもちろん、ヘルルーガ側にとっては条件にもならぬような条件だったからだ。

「もとよりそれは誓わせる。二つ目とやらを聞こう」

 エスカは真顔のままでヘルルーガの顔をじっと見つめながらこう言った。

「ヘルルーガ・ベーレントさんよ」

「なんだ?」

「あんた、俺の側室になれ」

「な……」

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