第五十一話 不滅の懐剣 4/4

「閣下」

 揺れが収まるのを待ってゾルムスは努めてゆっくりとした口調でヘルルーガに呼びかけた。

 ヘルルーガが目で続きを言えと指示するのを待って、ゾルムスは言葉を継いだ。

「我が軍に残された道はおそらく二つ」

 ゾルムスがそう告げると、ヘルルーガが射貫くようにその目を見つめた。

「一つは今即座に最大速度で東へ進軍する事。もちろん第一級の戦闘態勢を保つ事が条件です」

 ゾルムスの一つ目の提案に、ヘルルーガは全く表情を変えなかった。鋭い視線もそのままに、次の言葉を待っていた。

 ヘルルーガはゾルムスの口調から、第一案は腹案だと判断していたのだろう。第二案こそが本案で、しかもおそらくは選択肢はないに違いないと。

「二つ目は、フラウト王国に降伏し、城壁内にかくまってもらう事です」


 ヘルルーガが目を細めるのと同時に幕僚の一人が怒鳴り声を上げた。

「なんと言うことを! 冗談でも降伏などという言葉を口にするとは、貴様それでもシルフィードの軍人か!」

「黙れ!」

 間髪を入れずヘルルーガがさらに大きな声で一括した。それはその場の空気をふるわせるほどの威力があった。

「ゾルムス」

 幕僚達が声にひるんで全員口をつぐんだのを確認すると、ヘルルーガは自らが幕僚を代表するように厳しい口調で副官の名を呼んだ。

 それに対してゾルムスはゆったりとした穏やかな口調で返した。

「はい」

「第一案とやらで我らが助かる可能性は?」

「挟撃されることが必定ですから、二割、いや一割以下かと」

「なんだと!」

 誰かが口を挟もうとしたが、ヘルルーガは片手をあげてそれを制した。

「おまえはもともと第二案しかないと判断しているのだな?」

 ヘルルーガの問いかけにゾルムスは無言でうなずいた。

「いいだろう。ここにいる全員が納得できる理由を述べてもらおう」

「地震です」

 ゾルムスは短くそう答えた。

「地震だと? さっきの地震か?」

「御意。私の知る限り、このあたりは安定した岩盤の上にあり、過去の文献を調べても地震の記述がほとんどみられない地帯なのです」

 ゾルムスのその説明だけでは要領を得ないようで、幕僚達は互いに顔を見合わせた。だがヘルルーガは鋭い目をさらに細めた。

「要するに、一連の地震はお前の言う岩盤に守られた特殊な地帯の外側で起こったという事だな?」

「御意」


 ゾルムスが伝えたかったのは、揺れることのないはずの古代地層すら揺るがす程の大規模な地震が、離れたところで起こったという事だった。

「近隣の港は混乱の極みとなりましょう」

「なるほど。港に近い部隊は港に駆け込み、港から離れた部隊は補給先を血眼で探す、と」

「まともな指揮官であれば」

 ゾルムスはうなずいて続けた。

「もっともドライアド軍は補給と言う名の略奪行為をするのでしょうが」

「たとえ敵国の部隊とはいえ、憶測でそういう物言いをするのはやめておけ。少なくとも私は好かん」

 ヘルルーガは少し強めにゾルムスの皮肉を叱責すると、改めて幕僚達を見回した。

「先に行っておく。私はゾルムス少佐が描いた最悪の仮説を重要視する」

 幕僚達はうなずいた。

 説明された内容をなぞるならば、導き出される仮説は一つ。つまりはぐずぐずしていると西側からもドライアド軍がやってくる、という事なのだ。しかも当初の作戦を遂行しようとして無理に西進すると、混乱の最中にあるドライアドの複数の大部隊とぶつかる可能性が極めて大きい事が容易に想像出来た。

 しかも、ゾルムスの一言が彼らの意識をより悪い方向に駆り立てていた。

 ドライアド軍に対する「略奪」というゾルムスの誹謗がそれである。ゾルムスは敢えて皮肉を口にしたのである。それは実に効果的で、ドライアド軍の行動はもはや幕僚達の中では規定事項となっていた。


 地震の規模はわからない。果たして街道の西側を抜けた先、ウンディーネの北西部に地震の影響があるかは不明である。しかし、もし影響があったならばただでさえ補給がままならぬ様子のドライアド軍である。フラウトへやってくる者は当然あると考えるべきであろう。そんな時に敵に遭遇でもしようものなら、おそらくは不退転、まさに死にものぐるいでぶつかってくるに違いない。

 混乱に陥った部隊と戦うのは容易である。しかし東側を敵に押さえられて補給がないのはベーレントの部隊も同様である。西進の戦いが長引けば挟み撃ちの結果として全滅する可能性が高い。

 西側に敵がいないとしても、もし流通の玄関である港がドライアドの大軍で溢れていたら事態は大して変わらない。補給の要として押さえるべき港を押さえる事は不可能であろう。

 だからゾルムスが提案した第一案は、一か八かの幸運に賭けるつもりか? という問いかけであったのだ。

 そこに矜持を賭けるべき儀があれば、シルフィード軍は迷わず第一案をとるだろう。しかし今回の作戦はそうではない。第一案を採用する指揮官はシルフィード軍の軍史に残る愚者という屈辱の称号を得る事になろう。


「しかし降伏ではなく停戦協定のようなものでよいのではないか?」

 幕僚の誰かがゾルムスに声をかけた。

 ゾルムスはちらりと上官の表情を見た。ヘルルーガが微かに目を伏せるのを認めると発言の許可が出たと理解し、改めて頭を下げた。

「恐れながら申し上げます」


 ゾルムスの説明は理にかなっていると言えた。

 そもそもフラウト王国側にとって、停戦協定をしても利はない。どのような言い訳をしようとも喧嘩をふっかけたのはベーレント軍なのだ。しかも圧倒的に不利になった軍と対等な提携をするよりも、東進してくる友国の軍に加勢して確実な勝利を得る方が外交的にも得るものは大きいはずである。

 つまり、どの面を下げて対等な提携を申し入れられようか? という事であろう。


「ペトルウシュカ将軍はもう一度会見の場を設ける事を約束したのだったな?」

「はい」

「ふふふ。やはり食えぬ男だな。ふふふふふ」

 ヘルルーガの屈託のない笑い声に、ゾルムスは思わずその顔をみやった。他の幕僚達も同様に、訝しげに指揮官に視線を集中した。

 それほどヘルルーガの笑い声は普通の女性らしい、柔らかで楽しげな笑い声だったのだ。

 ヘルルーガは微笑みながら手にしていた懐剣を吟味した。ゾルムスから手渡されたエスカの赤い四連野薔薇の意匠が柄に施されたあの懐剣であった。

「我々は奴に試されているのだよ。東からドライアド軍がやってくる、という情報を得たその場でそこまで意地の悪い事を思いつくとは、正直にいって恐れ入った」

 そう言いつつもヘルルーガは嬉しそうだった。

「のこのこ出かけていって停戦協定など口にしようものなら、やっこさん、さぞかしがっかりするだろう」

 ヘルルーガのその言葉は、要するに降伏を決めた事を表明した事になる。


 幕僚達に重苦しいため息が出たが、ヘルルーガはそれを無視すると、懐剣を鞘から抜き放ち、白っぽく輝く刃を吟味するように眺め回した。

「時にゾルムス、これが不滅の懐剣だというのは本当なのか?」

 部隊の命運を賭けるような状況の中、ヘルルーガは世間話をするように懐剣についてたずねた。

「こう言ってはなんですが、私には種も仕掛けもあるようには見えませんでした。不思議、いえ、この世にあってはならぬ懐剣です」

 ゾルムスの言葉を受け、ヘルルーガは気合い一閃、手にした懐剣で机上の「重し」を打ち据えた。金属音を放った「重し」は、文書が風で飛ばぬように上から押さえるもので、掌の半分ほどの大きさの鉄の板であった。

「ふむ。確かに刃こぼれはおろか傷一つないな」

 目を細めて剣先を調べたヘルルーガは、剣を鞘に戻し、ある幕僚の名を呼んだ。

「レプトン大佐!」

「は」

 幕僚の中で最も体の大きな壮年のアルヴが返事をした。

「大佐の怪力でこれをへし折って見てくれぬか?」

 怪訝な顔をした髭面のクォーク・レプトン大佐に、ヘルルーガは挑発するように付け加えた。

「デュナンがゲンノウで叩いたくらいでは折れぬそうだが、リリスを紙のように折り曲げると評判の大佐の怪力をもってすればこの世に不滅などというものが存在せぬ事を証明できるのではないかな?」

 その言葉を聞いたクォークはにやりと笑うと、差し出された懐剣を受け取った。

「そのようなわかりやすい挑発をせずとも、私もこの懐剣には興味がありましたのでな」

「期待している」

 一同が注目する中、クォークはヘルルーガに一礼すると、鞘からゆっくりと剣を抜き放った。

「むっ」

 抜き放った懐剣を見てクォークだけでなく、その場の全員が目を見はった。

 抜き放った懐剣の刃が一目でわかるほど大きく欠けていたのだ。

 ヘルルーガが鞘に収めた時には、確かに完全な形を成していたはずの懐剣である。

「どういう事だ?」

 ヘルルーガは思わずゾルムスを見たが、もちろんゾルムスにその理由がわかるはずもなかった。


 ややあって沈黙の一同の耳に、涼しげな金属音が響いた。

 それはクォークが手にした懐剣の刃が、小さく砕けて床に落ちることによって奏でられた、小さな命の滅びの音であった。

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