第五十一話 不滅の懐剣 3/4

 いきなりの妹の告白とも言える正婚の儀の申し出に、エスカだけでなく姉のライサ=リザレーも驚愕を隠せなかった。二人はただ口をぽかんと開けて、首まで赤く染まっていくフラウト王家末妹の顔を見つめた。

「あ!」

 その二人の視線を受けたヒナティーダ=ユーレーは何かに気付いたように頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。

「違います。全く違います。いえ、間違えました。大間違いです。これは! 私とした事が何と言う体たらくでしょう」

「お、落ち着け、ヒーレー」

「言われなくとも落ち着こうとしております!」

「そりゃ失敬」

 手を出すと噛みつかれそうな剣幕のヒナティーダ=ユーレーにエスカはたじろいだ。

「私の事はどうでもいいのです。私は姉上が側室、しかも第二側室である事が許せないと先ほどからそう申し上げているのです」

 ヒナティーダ=ユーレーはいきなり立ち上がると、今度はまっすぐにエスカを見据えてそう言い切った。

「いや、それは初耳だが」

「当然です。初めて申し上げたのですから」

「そ、そいつはそうだな。うんうん、俺が悪かった」

 エスカは火が付きそうな剣幕でまくしたてる妹姫を見て、反射的に首を縦に振っていた。

「姉上はエスカ様と婚儀を挙げられるだけで舞い上がってしまっているようですが、これはどう考えても姉上がかわいそうです。たとえ小さくとも一国の王女が軍人風情の側室などと聞いた事もございません」

「ヒーレー、私は……」

「頭に血が上っている姉上は黙っていてくださいまし」

 おろおろとしていたライサ=リザレーは妹の剣幕に首をすくめた。

「いや、俺が思うに、頭に血が上っているのはヒーレー、お前だろ?」

「頭に血も上ります! 私はこう見えて怒っているのですよ!」

「いや、どう見ても起こっているようにしか見えねえよ」

「ならばおわかりでしょう?」

「いや、全然わからん」

 ヒナティーダ=ユーレーは目を吊り上げると大きなため息をついた。

「これだから自分の美貌を鼻にかける殿方は好きませんわ」


 エスカはすぐ近くで成り行きを見守っている姉妹の父親に恨めしそうな顔を向けた。

 リムル二世はそれまで一切口を挟まなかったが、エスカの援護要請に対して笑いを堪えながら首を横に振った。

「正室については私からも言い聞かせますので、どうでしょう? ここは二人とももらってやってはくれませぬかな?」

 しかし、父王のその言葉に対しヒナティーダ=ユーレーが烈火のごとく食ってかかった。

「何を言うのです、父上! 姉上と違って私はこのようなスカした大男は願い下げです」

「スカした?」

 エスカは思わず顔を強ばらせた。

「いや、そうは言うがお前はエスカ様を好いておるのだろう?」

「私が? このヒナティーダ=ユーレー・フラウトがこんなスチャラカで下品な言葉を使う男を? ご冗談でしょう、父上」

「スチャラカ?」

「いや、お前の実の父として、そうとしか思えんのだが」

「ですから! 何を勘違いしていらっしゃるのかと申し上げております。私がお慕いしているのはこんなスケコマシではなくて、真摯で控えめで、その実お強くてお優しい……セージさまです!」

「誰がスケコマシ……って、え?」

「え?」

「ええええ?」

「ああもう! 私、こんなはしたない事を口にするつもりなど毛頭ございませんでしたのに。これも全てあなたのせいです、へなちょこ将軍!」

「いや、ちょっと待て。いやいや、かなり待て。色々と整理させろ」

 全く前触れも何も無い唐突な展開に、ヒナティーダ=ユーレーを除いた三人は互いに顔を見合わせ、そして互いに肩をすくめ、首を横に振り合った。


 その時であった。

 何の前触れもなく、足下が大きく横に揺れた。

 姉妹の悲鳴があがった。

「騒ぐな、伏せろ」

 それが地震だと判断できたのは、そう怒鳴ったエスカが最初であった。

 まだ橋梁の上にいたエスカ達は、地上よりも大きい揺れを体感していた。

「揺れが収まるまでは動くな」

 エスカはそう叫ぶと、すぐ側で呆然としている姉妹を、二人とも抱えるようにしてその場にしゃがんだ。

「陛下もできるだけ腰を低く。下手に動かず少し様子を見ましょう」

 突然の事に姉妹はエスカの腕の中で互いに抱き合い、体を硬くしていた。

 長い揺れが収まると、エスカの指示で全員が走って城砦に逃げ込んだ。



「大きいな」

 最初の揺れが収まると、ゾルムスはヘルルーガの指示を待たずに部下に隊の状況を調べて報告するように命じた。

「余震に備えるようにも伝えておけ」

 幕僚の一人がそう付け加えるのを受けて、ゾルムスの部下は深く一例をしてその場を後にした。


 ゾルムスは自陣に帰るやいなや「状況が変わった」というエスカの言葉の意味を知る事になった。ベーレント隊を追うように、西からドライアド軍が攻めてきているというのだ。

 エスカの言う「状況が変わった」という言葉は、シルフィード軍にとってより条件が不利になったことを意味していたのである。つまり立場が変化したことを踏まえて、そちらの条件を改めて提示しろという意味であろう。

「ドライアド軍がフラウトに到着するのはいつ頃になると?」

 とりあえずはそう尋ねたが、さほど猶予がないことはヘルルーガの表情を見ればわかった。だがゾルムスが知りたいの感覚的なものではなく、具体的な時間である。

「半日。いやここに獲物がいることを知っているならチンタラ行軍する理由がないな。早ければ八時間というところだろう」

 予想、いや希望よりも短い時間を告げられたゾルムスは唇をかんだ。


 北へ抜ける幹線に出るには相当な遠回りになるこの街道を、わざわざドライアド軍が通る意味は三つ考えられる。フラウト王国に用があるか、敗走中か、敵、すなわちベーレント軍を追ってきたかである。

 まず敗走の線は薄いと思われた。

 街道の西側にドライアドの大軍を追い込むような部隊が存在していないことは間違いない。より南方で海岸線を死守すべく複数の部隊が膠着状態に陥っているという情報があり、目立った展開はしばらくなさそうであった。

 次にフラウト王国に用があるとする考え方はなきにしもあらずである。目的はベーレント軍と同じく補給である。

 一応ではあるが、ゾルムスはドライアド軍の補給地としてのフラウト王国の重要性を計算していた。よほどのことがあろうと補給地に選ばれることはまずないだろうというのが彼の答えであり、ヘルルーガも同様の判断であった。もちろん全く可能性がないわけではないが、通常では考えられない。

 最後に残るのはベーレント軍の状況を把握した上で攻めてきたという考え方であるが、じつはこれももう一つ考えにくい。

 ただし、東側、すなわち街道の出口に待ち伏せの部隊を展開させた上での作戦であれば話は別である。

 だが、それほど短期間で相当に離れたドライアド軍同士が連携していることは考えにくかった。そもそも街道の東側ではドライアド軍の動きは全くないという高尾は、新鮮な魚に例えた例の斥候の情報が入ったところで知れている。


 ヘルルーガの両脇に連なる幕僚達は、無言でゾルムスの言葉を待っていた。つい昨日までは彼らの視界にすら入らなかった可能性がある末席の幕僚が、次の日にはその言葉を待たれる存在に変わっている事に、本人は居心地の悪いものを感じていた。だがそんなことを言っている場合ではない事はゾルムス自身、深く理解していた。

 その時、何度目かの余震が足下を揺らした。余震としては今までで一番大きなもので、幕僚達は思わずそれぞれ机に捕まって体を支えるほどであった。

 その揺れを見て、ゾルムスの背に冷たいものが走った。

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