第四十八話 雨。時々絶望 6/7
「なるほどなるほど。君は大賢者の分際で、四聖たる【白き翼】を拘束した挙げ句、その命まで奪おうとした、という事か」
(え?)
エイルは思わず我が耳を疑った。
年齢詐称の話ではなかったのか?
話がいつの間にかすり替わっている事にエイルは軽い混乱を覚えた。
それはおそらくその場に居た全員が感じた違和感であったに違いない。
「ちょっと待て」
三聖【蒼穹の台】に向かってそういう物言いができるのは正教会とは関係のない立場に居る人間だ。
声の主はシーレン・メイベルだった。
「『四聖』だって? ニームは瞳髪黒色の女の正体を全く知らなかったんだぞ。だいたい『分際』とはなんだ? それは一方的ないいがか……」
シーレンはしかし、最後までしゃべりきる事ができなかった。イオスが途中で黙れと命じたからだ。
たとえその場に【蒼穹の台】の持つ神の空間の力を知らぬ者達いたとしても、顔を向ける事もなく命じたイオスの言葉にシーレンが従ったのを見れば、その異常性に気付かないはずはなかった。
だが彼らはその力がどれほどのものかを考察する必要はなかった。
すぐにイオスがこう言ったからだ。
「今後、余が許可する者以外はしゃべる事を禁じる」
そして念押しのようにさらに続けた。
「加えて命じる。余が許すまで、全員その場を動くな」
これでその場にいる全員が、言葉と動き、つまり行動の全て封じられた形である。
エイルの背中に冷たいものが走った。それはもちろん嫌な予感である。
固唾を呑んで見守る中、次に言葉を発したのはイオスではなく、意外な人物であった。
「現世に暮らすただの小娘であればまだしも、君はいみじくも教会の人間、しかも賢者の頂点に立つ大賢者の一人なんだよ?」
その声はエイルのすぐ側から聞こえた。未知の声ではない。聞き覚えのある、よく知っている人物の声だった。
「そもそも大賢者には教会関係者を処する権限はない。どちらにせよ言い訳は通用しないよ」
言葉の内容はイオスのものであった。
だが、しゃべっているのはファーン・カンフリーエである。
エイルはとっさに思い出した。ファーンはイオスの遠隔会話の触媒、つまりツイフォンによってイオスがファーンにしゃべらせているのだ。
(何の為に?)
エイルは心の中で問いかけた。当然の疑問であろう。この距離でツイフォンを使う必要性がわからない。
いや、可能性が一つある。
目の前にいるのはイオス本人、いやそのものではない、という仮説だ。
だが、たとえその仮説が正しいとしても問題に対する解答にはならない。なぜならそこにいるイオスは、ついさっきまでは自分でしゃべっていたのだから。
エイルの中で、状況の混乱が思考の混線を助長しだした。
その時である。
エイルの頭に懐かしい声が響いた。
【アカン!】
『エルデか? よかった。心配したんだぞ』
【全然良(よ)うない! 止めるんや】
『え?』
【イオスを止めるんや】
『止めるって』
【言葉通りや、あいつはニームを処刑する気や】
『ええ?』
【大賢者が四聖に牙を剥くとか、許されへん行為なんや】
『いや、でもそれは誤解だって』
【【蒼穹の台】に、そんな事情は通じへんねん】
『それでも、まさか処刑とか』
【イオスを人間のモノサシで計ったらアカン。とにかくはよう何とかせなあかんねん!』
エルデの言葉をエイルはそのまま信じられなかった。だが、エルデから感じるのは、本当に切羽詰まった感覚だ。
しかし、止めると言ってもエイルにはどうしようもなかった。言葉も体も、その動きを封じられているのだ。
(あ!)
その事を思い出すのとほぼ同時に、エルデの言葉が持つ信憑性が跳ね上がるのをエイルは感じていた。
『邪魔をさせないためにオレ達の動きを封じたのってのか?』
【せや!】
予想が正しかった事は、すぐにわかった。
エルデの返事とほぼ同時に、イオスが行動を起こした。
「我ら四聖に矢を向ける事はいかなる理由があろうと許されない。しかもただの賢者ではなく大賢者、あまつさえ人の筆頭であるタ=タンの王たる者が、亜神の筆頭たるエイミイの王に徒なすとは、許されざる歴史的な大罪である。違うか?」
イオスが普段とは口調も声色も変え、相手を押しつぶすような迫力でニームにそう告げた。語尾が疑問系であるにも関わらず、ニームには申し開きする術さえ与えられていない。
つまりそれは一方的な通告であった。
【え?】
エイルには、エルデがイオスの言葉に反応して固まるのがわかった。
『どうした?』
【タ=タンやて?】
『うん。さっき自分でそう言ってたぞ』
【人の筆頭……こんな若い子が……】
イオスは間を置かずに続けた。当然であろう。相手は何もこたえられない状態なのだ。そんな人間の答えなど待つ必要が無いのだ。
「法の番人たる【蒼穹の台】の名に置いてここに【天色の楔】の処刑を執行する」
【止めろ。頼む、エイル! これ以上……】
エルデの悲痛な声は途中で止まった。イオスを止める必要がなくなったからだ。
状況は実にあっさりと終息していた。
そしてそれは、エルデの望む結末ではなかった。
イオスは、言うが早いか精杖を一振りした。
それで……たったそれだけで全てが終わっていた。
鈍い音がした。
それが全てであった。
まさに一瞬の出来事で、イオスに見据えられていたニームの体は、四本の長剣で貫かれていた。
左の胸、脇腹、右の太もも辺り、そして……首。
まるで、小さな体から剣が生えているかのように、ニームは床に磔になっていた。
おそらくそれは……いや、どう見ても即死であった。
それはあまりにあっけない、その場にいた誰もが納得などできない結末であった。
ニームの目から一つぶの涙が床に伝い落ちたが、その瞳に命の輝きがないことは、多くの人の死をその目にしているエイルには一目でわかった。そしてそれがわかってしまうだけの経験をしてきた自分を、エイルはおぞましく思った。
イオスの命で言葉を禁じられていた為であろう。ニームは断末魔さえ発する事無く散っていた。
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