第四十八話 雨。時々絶望 7/7
容赦のない処刑であった。
そしてエイルはそれを受け入れる事ができなかった。しばらく思考が停止して、何の言葉も頭に浮かんでこなかった。
正教会、いや賢者に於ける処刑というものをエイルは初めて目の当たりにした。いや、おそらくこの場にいる全員が初めての経験であったろう。
打ち首や吊し首という人間がおこなう処刑の方がよほど儀式的で儀礼的で様式的に違いなかった。「死刑」はもちろん一種の殺人行為である。しかしそこには大なり小なり刑に対する敬意、いや畏怖が込められているものである。だからこそ社会を成す人という生き物は、執行に至るまでには大なり小なりの手順を踏むのだ。
だがイオスの処刑はどうだ?
様式などない。本人としては一応手順はあるのかもしれないが、エイルには処刑をする旨を相手に宣言しただけに思えた。それは「殺してやる」という言葉と何ら変わらないはずだ。そしてその直後に「それ」は成され、イオスの「仕事」は終わったのだ。
イオスとしてはそれで全てなのかもしれない。しかしニームにしてみれば、そんなものは儀式とも呼べない一方的な蹂躙でしかない。
エイルは頭が締め付けられるような気分の悪さに襲われた。
見たくはなかったが、視線はイオスを捕らえる。
しかし予想通りと言おうか、想像通りと言おうか、イオスの表情からは何の感情も見てとる事はできなかった。
『エルデ!』
エイルは心の中で呼びかけた。
その呼びかけは気分の悪さによる吐き気を抑える為でもあり、状況の説明を求めるためでもあった。
エイルが満足する答えをエルデが持っているとは思わなかった。だが、一つだけ確かな事があった。エルデは死者を蘇らせることはできない。しかし、その声はエイルの喪失感を和らげてくれるだろう。
エイルはやり場のない感情のはけ口をエルデに求めようとしていたのだ。
何度か呼びかけた。
しかし、頭の中にエルデの声は響かなかった。
その代わりに足下から声がした。
「答えろ【蒼穹の台】 いや、ティーフェの王」
エルデの声であった。
表情を見なくてもわかる。それは涙声だった。
「十二色、そして亜神の筆頭として下位の王に尋ねる。なんで殺した?」
自らの肉体に意識が戻ったエルデは、直後は体の制御もままならない。いつもならエイルが支えないと立ち上がる事すら出来ないほどである。
だが、緩慢な動きではあったが、エルデは自力で立ち上がった。
「本気で尋ねているのかい、エイミイの王よ」
「ウチが冗談で聞いてると思うんか?」
ようやく立っている……そんな表現しか出来ないような頼りない状態ではあったが、イオスをにらみ据えるエルデの表情にはぞっとするようなすごみがあった。
エルデの頬には涙が流れていた。
それを見たエイルは心を針で刺されるような気持ちになった。
この数ヶ月、いやエルデが自分の体を手に入れてからこっち、エイルはエルデの泣き顔ばかりを見ているような気がしたからだ。無理に笑顔を思い出そうとしても、そんな時に限って思い出せない。
「私は法に従う者。そして法を守る者。依って私は法に従い、法に則っただけだよ」
「法やて? そんなもん、四聖が勝手に作った自分らにとって都合のええ決まり事やろ? そんなもんは法やない。少なくとも一方的に押しつけてええもんやないやろ」
「四聖の法は人と亜神とマーリンが決めたものだ。四聖は法により生かされた存在。だから私は法に従った。それだけだよ、【白き翼】」
「法、法って……、お前はフクロウか! あのな、ええ年してお前には自分の意思がないんか? 判断がでけへんのか? そんなん、フクロウでもない。もはやただの木偶(でく)やろ」
怒りを募らせるエルデに対し、イオスはむしろおだやかな表情になっていた。
「エイミイの王よ、私はこれまでも、そしてこれからも法を守る為に存在している。人にとっては法でなくとも、私にとっては四聖の法のみが法だ」
「議論の余地はない、っちゅう事か」
当然だという風にイオスはうなずいた。
「少なくとも法の解釈についてここで君と議論をする用意はないよ」
その一言は、エルデの瞳に一瞬凶悪な光を生み出させた。
だがそれは本当に一瞬で、エルデはすぐに目を閉じ、うなだれた。
「ほんなら、法の番人とやらに一つ聞こか」
「なんだい?」
「あの子は……あの子のお腹には、子供がおったんやで」
(え?)
エルデの言葉に、エイルは息を呑んだ。
「新しい命……それは母親とは違う別の存在や。そやろ? なら、少なくともその子には罪はないはずやろ」
しかしイオスには全く動じた様子は見られなかった。
「たとえ独立した生命であろうと、未だ胎内にあるものは母体の人格と同一と見なす。それが法だ」
「やかましいっ!」
エルデの強い叫びは、しかし強くなってきた雨に吸いこまれていった。
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同時刻。
ドライアドの首府ミュゼの一角にある屋敷で引っ越し作業が一段落するのを確認したロンド・キリエンカは、最後に残していた仕事を済ませる為に応接室にやってきた。
よほど重要なものを除き、屋敷の調度はそのままにすることになっていた。言い換えれば重要なものであれば持ち出す事をとがめられる事はない。
もっとも本来、持ち出し物の可否について決断を下すのはロンドの役であり、彼が必要だと判断したものであればなんであろうと持ち出す事は可能であった。
唯一、フレクトを除けば、である。
彼はたとえ相手が父であろうと、情け容赦のない指摘ができる男なのだ。いや、相手が主人であるエスカ・ペトルウシュカであろうと、彼が否と言えば手も足も出せない。それがペトルウシュカの家の力関係の構図であった。
だからロンドは、フレクトに見とがめられぬよう、それを最後に回したのだ。
「やれやれ」
思わずそんな言葉を口にしながら、応接室のドアを開けた。
ペトルウシュカ家の家宝としてロンドが大切にしている数々の食器が、未だ手付かずのままそこにまだあった。
出立前の、彼の最後の仕事が、その「家宝」の梱包であった。
全てを持ち出せるわけではない。そんな事をすれば、たちまちフレクトの目に留まり、選択の余地すら与えられず全部を元に戻すように命令されるだろう。いや、それ以前に他の者に対して示しが付かない。
家宝とはいえ、それが金目のものと同義というわけではない。ロンドのただの慰みだと言われても合理的な反論はできない品々である。
だから厳選する必要があった。
ロンドはしかし、部屋に入る段になってもまだその選定に迷っていた。
「ん?」
部屋に入るなり、無人のはずの室内から乾いた音がした。
大きな音ではない。しかし、決して幻聴ではないはずであった。
ロンドは音がしたと思しき場所へ足を運んだ。
ガラス戸で覆われた食器棚。
その上段辺りから音が聞こえてきたように思えた。
既に夕刻にさしかかりっていて、部屋には斜光線が作るくっきりした影が伸びていた。
ロンドはその陰に隠れた部分に目を懲らし、そして音の原因と思われるものを発見した。
それは白磁のティーポットであった。
今朝確認した時には、間違いなく完全な形を保っていたはずのそれが、いくつかの破片に分離して、倒れていた。
「まさか」
ロンドは顔色を変えると、震える手でガラス戸を開いた。
だが、目に見えている事が即ち事実であった。
割れる事のないはずのポットが割れていたのだ。
いや、一度は割れ、そして二度と割れぬ物として再生されたポットが、元の形、すなわちガラクタに戻っていたと言うべきであろう。
手を伸ばす。
把手がついた一番大きな破片をつまみ上げた。
カチャン。
しかし、その破片は把手だけを残して、その場で棚に落ちた。
背中に気配を感じて、ロンドは把手を握り締めたまま振り返った。
目に入ったのは円卓だった。
円卓の上には白桃のシロップ漬けの皿があり、茶色い髪の端正な顔をした少女が、幸せそうにそれをほおばっていた。
ロンドは息を呑んだ。
すると、少女は背景に溶け込んでゆくかのようにその姿を消し去った。
気付けば円卓の上には、白桃のシロップ漬けの皿はない。
ロンドは目を閉じて、幻の少女の名を呼んだ。
「ニームさま……」
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