第四十七話 戦いの果て 4/4
「一つ教えろ」
移動しながらシーレンはエイルに言葉をかけた。様々な方向から声がする。エイルは不思議な気分だった。撹乱の意味もあるのだろうが、それよりもエイルはシーレンの感情に変化が生じていることが気になった。
「さっきのあれは、何の真似だ」
「あれ?」
一撃目をかんたんにかわされたシーレンは、今度はなかなか飛び込もうとしてこなかった。二度の攻撃が失敗したことで自分の動きが完全に見切られていることをシーレンは認めたのだ。隙だらけに見えて、しかしそれが隙ではないエイルの構えに戸惑っていると言っていいだろう。だがその問いかけは純粋に好奇心を満たす為に口をついたものでもあった。
「お前の剣は片刃だろう?」
シーレンはしゃべりつつも目にも止まらぬ動きでエイルの周りを移動し続けていた。いきおい、様々な方向から声がする。ともすればまるで幾人ものシーレンに囲まれているような錯覚を覚えるほどである。
「なのになぜ切れぬ方で払った?」
エイルはシーレンの疑問に合点がいった。片刃の剣の、切れない峰の方で払ったわけを尋ねているのだ。
「間違ったとは言わせない」
それは無論であった。
「答えろ。きさまもアルヴ族の気性は知っているだろう?」
「殺すつもりのない剣技でやられるのは気に入らないって事か?」
「考えても見ろ」
今度は真後ろから声がした。しかしエイルは動かない。
「強化ルーンがかかっていなかったら、アレで私は終わりだ。今頃はそこではらわたをぶちまけてのたうち回っているか、もしくは既に血の海で絶命しているところだ」
その言葉は右前方から聞こえてきた。同時に真横になびく三つ編みの残像が網膜に映った。
「オレにはお前を殺す理由がない。それに強化ルーンがかかっていなかったら、峰打ちでもお前は相当な負傷を負ってるはずだ。だから手加減したというわけでもないさ」
エイルはそう言うと、今度は自分から動いた。右の後方に向きながら、ゆっくりとゼプスを振り下ろしたのだ。
「驚きだ」
目の前、足下でシーレンがエイルを見上げていた。
ゼプスは今度はシーレンの右肩に乗っていた。
「だが、そんな事では死ぬぞ」
シーレンはそう言うと、懐剣をエイルに投げつけ、ゼプスの刀身を両手で掴んだ。剣を固定する事でエイルの動きを止めようとしたシーレンの意図をエイルは瞬間的に察し、咄嗟にゼプスの柄から手を離した。エイルが剣を離すのとほぼ同時にシーレンもその手を刃から離し、腹に向かって懐剣を投じたが、エイルの迷いのない動きは最小の動きでそれを回避する事に成功した。
エイルの動きを見たシーレンは、即座に次の手を打ってきた。次の瞬間にはエイルの目の前、つまり懐に入り込んでいた。さすがにエイルはそれには反応が出来なかった。いや、シーレンの動きはわかっていたが、体が思考にはついてこなかったのだ。徐々に開きつつあった速度の差が、エイルの先読みを凌駕した瞬間であった。
シーレンとエイルの距離はなくなっていた。それはまるでお互いに抱き合っているような状態であった。
実際にはシーレンはいつの間にか手にしていた小型の刃物……それはシーレンの掌程度の長さで、柄が取り付けられていない裸の状態の懐剣であった……をエイルの視覚による現状把握よりも速く、喉元に突きつけた。
「ここまでだ」
そう言おうとしてシーレンが口を開いた時に、彼女は信じられないものを目にした。
のど元に突きつけるために伸ばした刃だけの懐剣は、エイルの顎先をかすっただけでそのまま天を突き刺すような状態になった。
完全に避けられたのだ。だが、信じられない光景はそれではなかった。エイルの右手に、今床に落下したはずの剣が握られていたのである。
すぐに回避行動に移ろうとしたシーレンだが、しかしそれは間に合わなかった。
エイルは右手に持ったゼプスを振り下ろし、刃ではなくその柄の端でシーレンの顎を強く叩いた。
衝撃で体勢を崩したところに、もう一度、今度はゼプスの刃が振り下ろされ、シーレンはゼプスの刃が触れた背中に、強く細かい振動をうけてそのまま床に倒れ込んだ。
実際には、ゼプスの刃が触れたわけではなかった。
ゼプスから出る振動波が衝撃となって伝わったのだ。
エイルは俯せに倒れたシーレンに馬乗りになると、両手をともに背中にねじり上げるようにして拘束した。
「これでもまだ動けるか?」
エイルの問いに、シーレンは小さなため息とともに首を左右に振った。エイルはシーレンの体から緊張が抜け、脱力するのを感じていた。抵抗を諦めたのだ。
もちろん、油断をすれば何がどうなるかはわからない。エイルもフォウで競技用とはいえ体術をたたき込まれている、ツボを押さえた拘束だという事は、戦士であるシーレンだからこそすぐに理解できたに違いない。エイルがヘマさせしなければシーレンにその拘束を破る力はなかった。
つまり、そこでようやく二人の勝負はついたのである。
もっとも「ようやく」という形容を使うほど時間がかかったわけではない。それはほんの二分程の戦いであったい。
「悔しいが私の負けだ。だが『役目』は果たした、と言ったところか」
シーレンの口からその言葉が漏れた時、エイルは即座にその意味を悟った。
(くそっ)
エイルはその日、心の中で何度目かの悪態をついた。シーレンの「役目」とは、エルデからエイルを引き離しておくことに違いなかった。少なくともエイルはシーレンとの戦いの間、意識をエルデに割くことが出来なかったのだ。
エイルは祈るような気持ちで光の帯によってエルデがはじき飛ばされた方角へ顔を向けた。エイルの予想が正しければ、エルデは今、二人のルーナーを相手にしているはずであった。もちろんニームとジナイーダである。
視線の先に、しかしエルデの姿はなかった。
正確には、エルデの姿は別の人物の陰に隠れて確認出来なかったと言うべきであろう。
別の人物……すなわちアプリリアージェとティアナ、そしてファルケンハインであった。エルデはその三人の後でぐったりとうずくまっていた。
動きが全くないと言うことは意識がないのであろうか。ただでさえ暗い会場内である。エイルに判断はつきかねた。
だが、戦況はすぐに把握できた。まだどちらかが優勢というわけではないが、ニームとジナイーダが困惑している様子はわかった。
どうやら二人が放つルーンがアプリリアージェ達には効いていないのだ。
今まさにニームが放った電撃が、アプリリアージェの体の前で霧散した。
お返しというわけでもないだろうが、次の詠唱を始めようとしたニームに、アプリリアージェが小さな落雷を落とした。もちろんニームにかかっている強化ルーンで効果はない。
だが、強化ルーンに弾かれる度にドンドンと派手な音を立てるだけで、効果が見込めない弱い稲妻を、アプリリアージェは放ち続けていた。
それだけ見れば互角と言えたが、アプリリアージェ側の表情には余裕があった。
その原因、いや理由に、エイルは思い至った。
ティアナである。アプリリアージェもファルケンハインも、そしておそらくエルデもティアナの体に触れているのである。
キャンセラという特殊な体質を持つティアナの体に。
ニームの空間固定ルーンはティアナと、ティアナに触れていた者には効かなかったのだ。彼らは会場内が暗いのを利用して気配を消しながら、絶体絶命状態のエルデを救うために行動を開始したのであろう。
そして……エイルの視界にまた別の人影が動くのが見えた。
アプリリアージェの一見無意味とも思える連続した稲妻攻撃の意図が、そこにあったのだ。二人の人物をジナイーダとニーム、それぞれの背後に近づける為、アプリリアージェは音の出る稲妻攻撃で二人のルーナーの注意を引いていたのである。劇場に人が居なければ、より大きな落雷を連続して使用することによって短時間で強化ルーンを剥ぎ取る事ができたかもしれない。だが彼女がとったのは、より確実な方法だったのだ。
二人のアルヴが、ニームとジナイーダをルーンではなく、アルヴの持つその腕力で突き飛ばした時、その確実な方法が発動し、突然始まったルーナー同士の戦いは、同じく突然幕を閉じた。
ニームとジナイーダは、ティアナに向かって突き飛ばされたのだ。十メートルも離れていなかった二人は、手を伸ばしたティアナによってルーナーとしての能力を一時封じられる事になった。
直後にラウがジナイーダに拘束ルーンをかけ、三眼ではあるが、後はただの小柄な少女となったニームは、ファルケンハインによっていともたやすく両腕を後ろ手に縛られ、そのまま猿ぐつわを噛まされた。
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