第四十五話 封じられた憎悪 2/5

「あれでもカレンじゃないって言うのか?」

「似てるけど、絶対カレンやない。よう見てみ? 骨格が明らかに少し違うやろ? カレンの方が五センチ程背が高いし、もうちょっと腰回りがふっくらしてた。顎の輪郭はそっくりやけど、鼻筋がカレンとは違う。髪の色も同じ黄色でも、カレンの方がもっと明るくてふわっとしててタンポポっぽかった。そやからあれは他人のそら似や」

「五センチって……見ただけでなんでそんなに精密な比較が出来るんだよ?」

「そんなん言われても知らん。ウチにはそれくらいの差はわかるんや」

「服を着ているのに腰回りがわかるのか? 靴を履いてるのに身長がわかるのか? 化粧してるのに正確な鼻筋がわかるっていうのか?」

 エルデはエイルの手を握るとそれを柔らかく両手で包み込んだ。

「エイル、お願いや。ちょっと落ち着いて」

「オレは冷静だ」

「知ってる?」

「なんだよ?」

「酔っ払いはみんな自分は酔ってへんって言うねんで?」

 二人は舞台のすぐ近くにまでやってきていた。途中でエルデに存在感を消すルーンをかけてもらったのだ。範囲ルーンはルーン光が出るために、目立たぬようにそれぞれ単独のルーンをかけていた。

 会話はもちろん声を抑えてはいたが、ともすればエイルの声が高くなる。エルデはそれを押さえるのに必死だった。

 エルデの分析は正しい。亜神の基本的な記憶力に加え、ハイレーンならではの身体観察力はエイルが考えの及ばぬ高みにあると言っていい。

 エイル自身も「カレンであるはずはない」と、頭では理解していた。

 だが、理屈ではないのだ。理解していてもそれを素直に認められない自分がいて、カレンが元気に生きていてくれれば良いと、そうあって欲しいと願う気持ちが強くなっていくのを止められなかった。

「でも……見ろよ、あの顔」

 エイルが舞台のカノナールを凝視している様子が、エルデには痛い程わかった。

「エイル。ウチの推測を聞いて欲しい」

「嫌だ」

「エイルっ」

「お前の保護ルーンが、奇跡を起こしたんだよ。お前はすごいんだ。だからあれはきっとカレンなんだ」

 いつの間にか、エイルの声は周りの人間に届く程の音量になっていた。最後の一言はもはや大声だと言ってよかった。

 それは舞台の上のカノナールの耳にも届く程の。


 演目は佳境にさしかかっていた。

 手に持っていた二つのリンゴを二本の懐剣で見事に貫いて見せたカノナールに、エコーは最後の挑発を行った。

 背景の書き割りに突き刺さった懐剣を一本抜き取ると、それをカノナールの足下に放り投げた。懐剣が軽い音と共に見事に床に突き刺さるのを見届けたエコーは、果たして三つ目のリンゴを両手で抱え上げて見せた。

 そしてそのままそのリンゴを頭の上に置いて手を離したのだ。

 カノナールは優雅に舞いながら床に刺さった懐剣を抜き取り、エコーの挑発に挑む意思を見せた。

 そう。

 エコーが頭の上に置いたリンゴに懐剣を投げつけようと言うのである。

 左右に持ったリンゴを射貫くことを見せる事で、この演目に使う懐剣が作り物でない事は既に観客には周知してある。つまり本物の刃物を生身の人間の頭部めがけて投げつける事がこの出し物の最終的な「見世場」だったのだ。

 懐剣が真剣であろうと木製の偽物であろうと、面などの防御をしていない頭部や顔面に当たったらただでは済まないだろう。つまりどちらにしろ相当危険な出し物であった。

 カノナールは微笑を浮かべながら、最後の大きな舞を披露した後、手にした懐剣を構えた。

 観客は固唾を呑んでその瞬間を待つ。会場に一瞬の静寂が訪れた。

 その時だ。静かになった会場で声がした。

 最前列の端、カノナールの顔が向いている方向から、若い男の声が聞こえたのだ。

 それがエイルの声だった。

「カレンなんだ」

 会場前方でははっきりとそう聞き取れた。立ち見席までは届いてはいなかったが、当然ながら舞台上の二人には届いていたに違いない。

 そしてそれは、今まさにカノナールが懐剣をエコーに向かって放つ瞬間でもあった。


「あ」と言う声がした。

 懐剣を投げ終えた瞬間のカノナールが漏らした声だった。

 その声が何を意味するのか、考える時間は誰にもなかった。観客は即座にその意味を知る事になったからだ。

 カノナールの手を離れた懐剣は、次の瞬間にはエコーの顔面、正確には左目の下、鼻のすぐ横に突き刺さっていた。

 のけぞったエコーは、たまらずそのままゴンドラから転げ落ちた。

 派手な衣装を纏った少女は、鈍い音と共に三メートルほど下の舞台に落下したのだ。

 ほんの一瞬の静寂のあと、会場は悲鳴に包まれた。

 何が起こったのかは一目瞭然だった。


 呆然と立ちすくむカノナール、騒ぎ出す観客。

 そんな中、最初に動いたのはエルデであった。

 精杖ノルンを取り出すと、よく響く声で短い詠唱文を一つ叫んだのだ。

「パラス・アルテ!」

 詠唱と同時に会場全体がルーン光で一瞬輝いた。

 それはエイルも知っているエルデの得意技の一つ、一定の範囲内にいる全員の空間座標軸を固定するルーンだった。

 続けてもう一つ。

「イーミュ・サーヨ・アルル」

 同じくルーン光が会場を覆い、喧噪はピタリと止んだ。

 ルーンを使った事で、エイルとエルデの不可視ルーンが解除されていた。

 同様に不可視ルーンをかけてすぐ近くにいたラウもその姿を現した。

 エルデはラウにチラリと視線を向けたが、すぐに人間離れした跳躍力で一気に舞台に上がった。被っていたフードは下りて、豊かな黒髪が露わになっていた。

 だが、それを認知している人間はその場にはほとんどいなかった。


 二度目にエルデが放ったのは、会場にいる全員が睡眠に陥るルーンだったからだ。ほぼ全ての観客は、一瞬体が金縛りになったと思った次の瞬間には、夢すら見ない深い眠りに落ちた。

 残りの一部の人間、耐性によりエルデの範囲ルーンが効かない者は、その座標軸固定と睡眠のルーンからは逃れていた。コンサーラとして上位にあるラウや、エレメンタルの力により一定以下のルーンを受け付けなくなっていたエイルがそうである。エルデに自分のルーンが及んでいない事を知ったエイルは驚いたような表情を見せたが、すぐに視線を変えると走り出した。

 エイルはそのエルデを追って舞台にあがった。ラウもそれに続く。

 エルデはもちろんエコーの治療に向かったのだ。だが、状況が悪すぎた。エイルにはナイフが顔に深々と突き刺さったのが見えていた。下から上向きに懐剣が深く刺さったのだ。脳に達しているのは間違いない。つまり、即死の可能性が高かった。

 生きていれば、息があればエルデがなんとかしてくれるに違いない。だが死んだ者は生き返らない。ハイレーンであろうと、死者には無力なのだ。

 エイルの脳裏に三ヶ月前の事件が真っ赤な色で蘇った。

 血まみれのエルネスティーネを抱いて泣きじゃくるエルデ。立ち尽くし、それを呆然と眺めている自分の姿……。

(くそっ)

 エイルはその映像を振り払うと、祈るような気持ちでエルデの側に駆けよった。

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