第四十五話 封じられた憎悪 3/5

 エコーの側で座り込んでいるエルデの横顔を見て、エイルはかけようとした言葉を呑み込んだ。

 そしてゆっくりとその視線の先を辿った。

 頭から床に落下していたエコーは、横向きに倒れていた。

 だが、その姿はあきらかに不自然だった。

 エルデが周りに視線を馳せた。エイルもまったく同じ目的で周りを見渡した。そして二人の捜し物は少し離れた舞台の袖のあたりで見つかった。

 懐剣だった。

 エイルが立ち上がるよりも速く、ラウがそれを拾い上げた。

 きれいな懐剣だった。

 舞台映えを考えたキラキラと光る装飾がなされている長めの柄と、デュナンの掌の長さほどのむき出しの刃。

 そしてその刃にはまったく血が付いていなかったのだ。

 それだけではない。二人が見回して確認したから間違いようがない。舞台にも一滴の値すら流れていない。

 ラウは手にした懐剣を持ってエイル達の方へ顔を向けた。そしてそのまま動きを止めた。

 その様子をいぶかしむ時間はエイルとエルデには与えられなかった。

「おまえら、何者だ?」

 それは若い男の声だった。

 反射的に振り向いた二人の目に映ったのは、半分に割れたリンゴを手にした黄色い髪の美しい踊り子、すなわちカノナールであった。

「え?」

 エイルは混乱していた。

 視線の先には、カレンそっくりなタンポポ色の髪の少女しかいなかった。

 だが耳にしたのは確かに男の声だったのだ。

「あー、びっくりした」

 今度はすぐ側から聞き慣れない声がした。再び声のする方へ顔をやる二人の眼下には、上体を起こしたエコーの姿があった。

「死ぬかと思った……ってあれ? 誰、この人達」

 そう言ったエコーは、すぐに異変に気付いたようだった。

「お客が、止まってる?」

 まるで何事もなかったかのように立ち上がるエコーを見て、エイルとエルデは狐につままれたような表情で顔を見合わせた。

 その時、さらに違う声が舞台に響いた。だがそれは舞台の誰かに呼びかける言葉ではなく、短い詠唱文であった。

「パラス・アルテ」

 たった今エルデが唱えたものとまったく同じ詠唱文。クランのグラムコールによる範囲指定の空間座標固定ルーンである。

 唱えたのはもちろんエルデではなく、かといってラウでもなかった。

 なぜなら、二人ともルーンをかけられた側であったからだ。二人だけではない。エイルも、そしてエコーもカノナールも動きを完全に封じられていた。

 そのルーナーがただのコンサーラではない事はあきらかだった。ルーンを使う者が、そのルーンをかけられる者より力が弱い場合には無効化される。つまり相対的なルーンの能力差が大きい相手には、ルーンは効かないのだ。

 先天的にずば抜けたルーンの能力を持っている亜神であるエルデの動きを止めたということは、高位のコンサーラ、それも「相当に」潜在能力が高いルーナーだという事になる。

 エイルは動かない首と格闘するのを諦めて、目を精一杯動かして声のする方に視線を向けた。完全に全ての機能が固定されているわけではないのがそれでわかった。声は出せないが、眼球は動かせたのだ。


 詠唱を唱えた声には聞き覚えがあった。

 だが、声の持ち主を特定するよりも早く、その強力なコンサーラが視界に入ってきた。

 首まで届かない焦げ茶色の髪を揺らす綺麗な少女。

 耳の横だけを長く伸ばし細長い布紐と一緒に編み込んで垂らしている特徴的な髪型。

 アルヴィンのような整った顔立ちと小柄な体つきながら、髪の色や耳の形など、その他の特徴はデュナンのものであった。アルヴィンの血が入ったデュナン。あるいはデュナンの血が入ったアルヴィンであろう。もちろん単純にアルヴィンに似た正真正銘のデュナンである可能性もあった。乳白色の石で出来た精杖を握り締めているのは、その少女がルーナーである証しである。

 そして……そして見覚えのあるその少女の額には、真っ赤な目がもう一つ開いていた。

(こいつ……賢者だったのか?)

 能力の強さはそれで合点がいった。ハイレーンとはいえ亜神のエルデにルーンをかけることができるのだ。賢者と言えども上位なのはまちがいない。三席、あるいは次席以上にあると見てよかった。


 おそらくエイルとエルデは同時にニーム・タ=タンの顔を視界に捉えたのであろう。二人はニームの姿を見ると、互いに視線を絡ませた。

「何者だ?」

 そう問いかけるニームは、真っ赤な三つの目でエルデを睨んでいた。

「聞いた事もないくグラムコール、それも相当に高位の治癒ルーンを事も無げに使うかと思えば、今度はクランの強化ルーンだと?」

 ニームはそう言いながら観客席を見渡した。そこにまったく動きがないのを見て取ると、再び視線をエルデ達に戻す。

「パラス・アルテのルーンは単純なだけに、ルーナーの能力差が如実に表れる。これだけの範囲をきれいに覆うとは、相当に強力。いや、それより詠唱時間が短すぎる。つまりお前は私並みの精霊陣が使えるという事になるな。それでいてお前は私にとって未知なルーナーだ。私のこの驚きがどれほどのものか、お前にわかるか?」

 ニームは精杖セ=レステの先をエルデの顔に突きつけた。

「しかもよりにもよって瞳髪黒色だ。ピクシィという種族を私は生まれて初めて見たが、いやはや、美しさも度を過ぎると禍々しいとしか思えんな」

 それだけ言うとニームは視線を隣のエイルに移した。

「若い護衛の剣士よ。悪いが、しばらくそのままでいてもらうぞ」

 言われたエイルは、しかし焦っていた。見た目の年齢や背格好に似合わぬ、尊大でありながら落ち着いた物言いのニームだが、エイルはそこに明らかな憎悪と殺意を感じていたからだ。

 押し殺した殺意は、しかしまだ分散していて揺らいでいる。それはつまりニームの中で感情を確定させる事が出来ずにいるのだ。憎悪の相手はもちろんエルデである。だが、おそらくはまだエルデを敵と見なすかどうかを決めかねている。それは言い換えるならば、エルデを敵と見なした瞬間、ニームはその殺意をむき出しにするに違いない。

 手も足も出せない状況で、詠唱時間もエルデ並みで終える事ができる高位のコンサーラに、どう立ち向かえばいいのか?

 エイルは生まれてこの方これ以上考えた事は無いという程、必至でその打開策を模索していた。

「答えろ、ピクシィの女。《深紅の綺羅》とお前はどういう関係だ?」

 その一言は感情の制御が出来ていなかった。目を吊り上げ、エルデをにらみ据えると、半ば叫ぶようにして問いかけていた。

「ニームさま。その状態で答えろというのはさすがに無理がありますよ」

 いつの間にか人影が二つ、ニームの側に控えていた。ニームに声をかけたのはジナイーダ・イルフランである。

「わかっている。だがジーナも見ただろう? コイツは認証文のみでルーンを発動させたのだ。つまり私と同じように精霊陣を介して詠唱短縮をする術を心得ているということだ。口を自由にさせる事はできん」

 視線の合図に、ジナイーダはうなずくと、エルデの体を探り出した。

「結布のようなものはありませんね」

 エルデを一通り吟味したジナイーダだが、額の黒い包帯に気付くとニームを振り返った。

「その包帯が怪しいな。あのカフェの時も気になっていた」

 ニームはうなずくと、片手で髪に編み込んだ結布を触り精杖をジナイーダに向けて小さな声で詠唱文を唱えた。

「エファム・クーフェ」

 エイルはそのルーンも知っていた。同じくクランのグラムコールによる強化ルーンで、物理攻撃やルーンの攻撃を周りにある精霊波に一定回数肩代わりさせるルーンである。

 ある意味、エルデが最も多く唱えているルーンでもあった。蒸気亭で委嘱軍相手に立ち回りをした際に使ったのも、このルーンだ。

 つまり、エルデの包帯に触れて、たとえ何らかの仕込んだルーンが発動しても大丈夫なようにジナイーダを強化ルーンで保護したのだ。

 赤子をひねるようにエルデの動きを封じて見せた高位のコンサーラであるニームがかける強化ルーンである。おそらくそれを一瞬で引きはがすようなルーンなどありそうもなかった。

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