第四十四話 亡霊 3/3

「招待席って感じだな」

 エイルの言葉にエルデはうなずいた。

 特等席の最前列と二列目は、一目でそれとわかるめかし込んだ観客で埋まっていた。他の客と比べてしまうとニーム達三人はどう見ても普段着で華やかさにかけると言えたが、エイルはそれでも三人のもつ存在感は招待客の誰にも負けていないと感じていた。

 特に一番小柄なニームの座っている姿は作法のお手本のように美しかった。

「間違いない?」

「ええ」

 エルデの問いかけに、アプリリアージェがそう答えた。

 エイルはついニームに気をとられていたが、アプリリアージェはその隣にいるあのアルヴィンの女剣士を観察していたのだ。

「私が彼女のことを見間違うわけがありません」

「そやろな。で、どうするん?」

「どうもしませんよ」

 アプリリアージェはにっこりと笑うとそう言った。

「無事を確認できてよかったです。さあ、あとは出し物を楽しむとしましょう」

 アプリリアージェはそう言ったが、視線はシーレンから動かなかった。


 カフェの給仕だけでなく、あの三人もが勧めるだけあって、サライエ一座の出し物はどれも見ている者を一時も退屈させない上質なもの揃いだった。

 簡単な手品から始まったこともあり、こぢんまりした見世物かと思いきや、いきなり炎を口から吐く大技を披露する者、大玉に乗ったままの状態で宙返りをはじめ常人にはおよそ不可能と思われる曲芸を披露する者、髭が剃れるほど鋭く研いだ短剣を十本もお手玉代わりにくるくると空中に放り上げる者、美しい薄衣と絢爛な髪飾りを身に纏い、大胆かつ優雅な踊りと歌を披露する長身の美女など、次々に繰り広げられる演目に、観客は退屈を覚える暇はなかった。

 ただ演目が興味深いだけではない。幕間(まくあい)には最初に挨拶をした座長が例の派手な格好で現れては巧みな話術とおどけた仕草で観客を笑いへと誘い、あれっと思う簡単な手品を一つ二つ披露しては去って行く。それは観客の緊張と集中力に緩急の波を与え、また次の演目へと期待を抱かせる周到な演出であった。

 つまり、サライエ一座の演目は、一つ一つが独立した出し物ではなく、計算された実に上質な一続きの絵巻物のようであった。

「ちょっとしたサーカスみたいだな」

 数人がおどけなが棺桶のような木製の箱を舞台の袖から持ち出してきたのを見ながら、エイルが独り言のようにつぶやいた。

 いや、もちろん独り言ではない。エルデにむけたものだった。

「サーカス?」

 ファランドールにない言葉を敢えて口にしたのも、エルデにそう問いかけて欲しかったからであろう。一つの事柄に対して同じ感動を共有しているという何とも言いようのない満ち足りたような感覚を確認したい、あるいはより深く共感したいという欲求からであろう。

「フォウでもこういう出し物があるっちゅう事か。それがサーカス?」

「うん。フォウのはやり過ぎだろってくらい限度知らずの事をやってるけど、これはこれでものすごく面白い」

「そやな。もっとショボいのは見たことあるけど、こんなに面白いのはウチもはじめて見たわ」

 舞台では仕掛けの準備が出来たようで、運び出した大きな箱の蓋が開かれ、中味が空なのを観客に示していた。

 それを見てエイルはエルデに顔を寄せてささやいた。

「フォウだとあの空の箱に蓋をして、布をかけて隠してもう一度蓋を開けると、美女が入ってたりするんだ」

「へえ」

 エイルの説明を聞いたエルデは、瞳を輝かせて食い入るように舞台を見つめた。

 そんなエルデの横顔を見つめながら、エイルはそんな表情を以前も見た事を思い出していた。

 ヴェリーユのあの豪華な部屋だ。ベックが調達した材料でフォウの「ぜんざい」を際限して見せた時の、あの期待に満ちた顔。

 エルデは三眼を自分の意思で閉じることが出来ず、額に包帯を巻いたままだった。あの赤い瞳も、目の前の黒い眼と同じように、期待に満ちて輝いているのだろうか?

 エイルはそんな事を考えているうちに、額の包帯を取りたい衝動に駆られて、思わずエルデの頭に手を当てた。

 エルデはエイルのその手を違う意味に捉えたようで、頭をエイルの肩に載せてきた。

 エイルは心の中で苦笑すると、エルデの頭をそっと横に抱いた。

「なあ?」

「うん?」

「その……ここの赤い目だけどさ」

 エイルはそう言いながら、そっとエルデの額を指でなぞった。

「ある時とない時では視界、いや見え方がどう違うんだ?」

「唐突やな」

「悪い。ふと興味が湧いた」

「謝ることない。そんな遠慮はなしで行こうって言うたやん?」

「そうだな」

「ふふ。でも、そう言うとこが好きなんやろな」

「え?」

「うーんと、なんていうか、エイルの質問に単純に答えると、これには視力はない」

 エルデはそう言うと額に載せたエイルの指の上から自分の指を重ねた。

「ないのか」

「うん。これを開くとエーテルが寄ってくるというか、密度が濃くなるっちゅうか、ついでにエーテルの流れや濃さがより明瞭に見えるようになる、かな」

「ふーん」

「あと、全体に感覚が鋭敏になるな」

「なるほど。感知能力が上がるってことか」

「うん……せやからそんな優しい触られ方すると……」

 エルデはそう言うと小さな吐息と共に額に置かれたエイルの指を握り込むようにして離した。

「敏感になってて……腰が抜けるから……かんにん」

「ええ?」

 甘えるような声でエルデにささやかれたエイルがそう声を上げるのに合わせて、周りの観客が一斉に歓声を上げた。

 それにつられるようにエイルとエルデは互いに見つめ合っていた視線を舞台に戻した。

 そこには開かれた木製の箱があり、その前に二人の美女がきらびやかな衣装を纏って立ち、観客の喝采に両手を挙げて答えていた。

 エイルの予想通り、空だったはずの箱から人間が飛び出したのだ。それも一人ではなく二人。

 長身の娘はアルヴの血が混じっているのであろう。整った人形のような顔立ちで、耳の先が少し尖っている。ただ瞳の色は緑ではないのでデュアルだとわかる。

 別の演目で、別衣装で歌を歌いながら優雅で大胆な踊りを披露していた娘と同一人物であろうと思われた。

 青い瞳と長い金髪を三つ編みに編んでいるもう一人の娘は、その日初めての出演のようで、エイル達の記憶にはなかった。普通のデュナンに見えたが、遠目にもその笑顔がまぶしいほど美しいのがわかった。

「おい」

「うん」

 エイルとエルデはデュナンの娘を見て、息を呑んだ。

 そのはち切れんばかりの笑顔に見ほれたのではない。

 短い二人の言葉のやりとりでわかるように、デュナンの娘の顔に見覚えがあったのだ。

「これは……まさか」

 隣で樽の上に乗っているアプリリアージェもそう言うと、珍しく目を見開いて舞台を注視していた。

 そう。

 皆、同じ事を思っていたのだ。

「カレンっ!」

 それは無意識だった。エイルはそこに居るはずのない人の名を小さく叫んだ。

 そしてその鋭い声は観客の歓声に消されることなく、舞台の上のデュナンの娘に届いた。

 明るい金髪の三つ編みの少女。空と溶け合うような青い瞳を持つ舞台の上の美しい娘は、声の主を正確に特定すると視線をエイルに向けた。

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