第四十四話 亡霊 2/3

 小屋の中はなかなかの盛況ぶりだった。

 想像以上に中は広かった。

 外からは小屋の一部しか見えていなかったせいもあるが、中に入ると小屋の全貌が初めてわかった。おおざっぱに説明するならば、劇場は巨大な八角柱に傾斜のある屋根を取り付けた作りになっていた。

「これだけ広ければ野球ができるな」

「野球?」

 思わず漏らした感想だったが、エルデに単語の意味を尋ねられてエイルは頭を掻いた。

「棒と握り拳大の微妙に硬い玉を使った団体競技だよ。フォウでは人気があって、大きな町には必ず専用の競技場がある」

「ふーん。アンタもやってたん?」

「いや、オレは物心ついた時から剣技専門さ。やりたかったけど、やらせてはもらえなかった」

「そうか。そうやったな」

「とにかく、ここが広くてびっくりしたって事さ」

「うん。ウチの予想よりも広い」

 劇場は恒久的な舞台のあたりを覗くと、囲いなどは仮設の建物で、小屋というよりは柱と天幕で囲われた広場と表現した方が適切だと思われた。

 とはいえそれなりの堅牢性は確保されているようで、八角形の頂点部分のうち四カ所はそれぞれ立派なイチイモドキの幹に太い綱で強固に固定されており、残りは隣接している大聖堂に固定されていた。懸念される風の煽りを逃がす為の工夫も随所にある。

「なるほど。強風の時はあの綱を引けば幕が巻き上げられるのか」

 テントを見回しながらエイルが感心したようにそうつぶやくとエルデがおかしそうに笑った。

「なんだよ」

「今気付いてんけど」

「ん?」

「アンタはいつもそうやったなって」

 建物の外観より内部の観察が妙に細かいとエルデが指摘した。

 エイル自身もエルデに言われてはじめてそれを自覚したようだった。

「なるほど。そうかも」

「えへへ」

 エルデはにっこり笑うと、エイルの腕を抱いて寄り添ってきた。

「どうした?」

「ううん。ただ、アンタの事がまた一つわかった感じ。こういうの、なんか嬉しいなって思ってん」

 エルデの言葉にエイルは思わず顔が火照るのを感じた。抱かれた腕にエルデの体温が伝わる。おそらく今エルデの顔をのぞき込めば、上気した表情がそこにあるだろう。エイルはしかしそれが気恥ずかしく感じて小屋の中に視線を泳がせた。

 ただ、言葉は返した。

「こんなところでそんな事を言うなよ」

「なんで?」

 腕を抱く手にすこし力を入れてエルデがすかさず尋ねてきた。エイルはそれに対して用意していた言葉をささやいた。

「抱きしめたくなるだろ」

 普段ならそんな事を口にするエイルではなかった。だが、その時はわざとそう口にしたのだ。「あの時」からこっち、エルデの反応は面白いほど素直なものになっている。今までと違いすぎる事による違和感よりも、まっすぐな思いが込められたエルデの言葉がエイルは好きだった。もちろん気恥ずかしい気持ちも強い。普段はそう思う気持ちが勝っているのだが、それ以上に、心が解けるような感覚に溺れたいという欲求がそれを越える時があった。今はまさにそんな気持ちだったのだ。だからエルデの言葉に素直な気持ちを載せた言葉で返してみたのである。

 だが、意に反してエルデは何も言わなかった。

 思惑が外れた軽い失望感でエイルは隣にいるエルデに顔を向けた。

 そこにはなぜかうつむいているエルデがいた。エイルが自分の方に顔を向けると、それに反応して顔を背けた。

「エルデ……」

「アホ」

 小さくそう言うエルデの顔を、エイルは見逃さなかった。

「なんで泣いてるんだよ」

「な、泣いてへんっ」

 お約束のエルデの反応に、エイルはひとまずほっとした。エルデの持病……つまり体調がおかしくなったわけではないとわかったからだ。

 そして涙の理由は本人がすぐに白状した。

「最近気付いたんやけど……あんまり嬉しいと、ウチはアカンみたい……」

 エイルは何も言えず、エルデの手を握りしめた。


「いちゃいちゃするのもいいですけど、そろそろ開演ですよ」

 頭上からアプリリアージェの声がした。いや、頭上は言い過ぎかもしれない。だがいつも下から聞こえてくるはずの声が自分よりも高い位置から聞こえると違和感は拭えなかった。

 それもそのはず、樽の上に乗ったアプリリアージェはさすがにエイル達よりも視線が少しだけ上にあった。もっともそれでもアルヴはおろか背の高いデュナンにさえ届かない。

「これがないとエイル君に肩車をしてもらわないといけないところでした」

「え? 肩車ですか?」

「おんぶでもいいですよ」

 悪戯っぽく笑いながらそう言うアプリリアージェに、エルデが即座に反応した。

「絶対にアカン」

「おやおや」

 エルデはアプリリアージェとエルデの軽口の応酬に、懐かしい感情がこみ上げてきた。それはほんの三ヶ月前には当たり前の光景だったのだ。しかしそれはあの事件を境として消えてしまったものだった。

 エイルは目頭が熱くなるのを自覚すると、うつむいてそっと目頭を押さえた。

「あらあら、今度はエイル君が涙腺決壊状態ですか?」

「エイル?」

 心配そうにのぞき込んだエルデにエイルは首を横に振った。

「なんでもない。ただ、オレもちょっとだけ嬉しくなっただけだ」

 エイルの言葉の意味はおそらく二人には伝わったのだろう。エルデはそれ以上言葉を書けず、エイルがそうしたように握った手に少しだけ力を込めた。

 対してアプリリアージェは微笑を浮かべたままで、本当に小さな声でどちらにともなくつぶやいた。

「もう大丈夫です。私はちゃんと生きて見せます」

 だがその言葉は、むしろエイルの涙腺を刺激する事になった。


 そんな些細なやりとりは小屋を埋め尽くした観衆の熱気の中に消し込まれて誰にも気付かれることはなかった。

 開け放たれていた上部の囲い布が下ろされたのだろう。小屋の内部が急に暗くなった。必然的に照明で照らされた舞台が明るく浮かび上がり、集まった人々の注目を一斉に浴びることになった。

「本日はサライエ一座の特別公演にお運びいただき、まことに恐悦至極に存じます」

 舞台に現れたのは座長であろう。原色をふんだんに使った見たこともないような派手な服と針金の先にいくつもの飾り物をぶら下げた奇妙な形の帽子を被り、さっそく観衆の視線を釘付けにしていた。

 座長の前口上は通り一遍の慇懃なものだったが、その格好があまりに突飛で浮き世離れしてる為か、全てが冗談のように聞こえた。

 図らずもエイルは初めて見るファランドールの見世物にたちまち引き込まれていった。


 客席は緩やかなすり鉢状に作られており、三段階に分かれている。すり鉢の底にあたるところに舞台があり、その近くは背もたれ付きの一人掛けの椅子が並んでいた。いわゆる特等席であろう。

 その特等席の外側を囲むような格好で背もたれのない長椅子の席がある。普通席と呼ばれるものだ。その外側は椅子がないただの空間で、足下が階段状になっている。エイル達が立っているのはまさにそこで、いわゆる立ち見席と呼ばれる場所である。

 入場が最も遅かったエイル達は当然ながら最後部であった。そこから舞台までの距離はけっこうなものだったが、舞台の上の座長の顔はなんとか判別がついた。

「思ったとおり、特等席やな」

「そうですね」

 エイルの両側で言葉のやりとりがあった。

 座長の話に引き込まれていたエイルは我に返ると、エルデが言う特等席に視線を移した。

(なるほど)

 特等席の最前列。その一番端に見覚えのある客が三人いた。ニーム達一行である。

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