第四十四話 亡霊 1/3

 エイルとエルデが足を止めたのは、教会横の特設舞台の催しが描かれた看板の前だった。

「これやない?」

「これっぽいな」

「何が『これ』なんだ?」

「え?」

 二人のやりとりに割り込んだのはファルケンハインだった。気がつけば全員が二人の周りに集まっていた。

「いや、実は各方面から強力にすすめられてて」

 エイルはかいつまんで説明をした。

「なるほどサライエ一座ですか」

 エイルの話に一番興味を持ったのは誰あろう、アプリリアージェであった。

「せっかくピクサリアのお祭りにやってきたんです。ついでと言ってはなんですが、まだ入れるようなら見ていきましょう」

 演芸や芸能の話題は今までアプリリアージェの口から聞いた事がなかったエイル達は顔を見合わせた。ファルケンハインですら初めての経験のようで、小さく首を横に振ってみせた。

 口にしない事と関心が無い事は必ずしも同じ意味ではない。頭で理屈を作るのは簡単だが、エイルとしてはやはり意外であった。

「観劇もいいのですが、まずはこの荷物を部屋に入れてからにしませんか?」

 どうやらアプリリアージェの言葉は本気らしいと判断したファルケンハインは当面の問題を提示して、出し物を楽しむ前に部屋の確保を優先するべきだと緩やかに主張してみた。

 だがそれは極めて子供っぽい理由で却下された。

「そんな事をしていたら満員になってしまいますよ。そもそも出し物が始まってしまいます」

 ファルはその言葉を聞いて小さなため息をついた。アプリリアージェが全く意思を変えるつもりがないこと悟ったのだ。そこで次善の策としていったん別行動をとる事を提案した。ファルはひとまずラウと行動を共にし、話が通じているという教会の人物に会い、部屋に樽を運ぶ。その後、小屋で合流する。満員で入場を断られてたら、出入り口の近くで演目が終わるのを待つというものだ。

 妥当で合理的な提案だと思われたが、意外なところから拒否権が発動された。

「ファルおじちゃんも一緒に見よ?」

 ファルケンハインの服を引っ張りながらそう言ったのはティアナだった。しかもただ声をかけただけではない。それはつまりファルケンハインと離れるのが嫌だと言ったようなものだからだ。

「ティアナ……」

「ね? ファーンもいるよ?」

 ティアナはそう言うとにっこりとファルケンハインに笑いかけた。

「仲良しは一緒じゃないといけないんだよ」

 その一言は、微笑みかけていたエイルの表情を固まらせた。

 ファルケンハインに心を開いているティアナにある種の安堵感を覚えていたエイルは、その一言でティアナの中に以前の二人の関係がまったく存在しない事を改めて思い知ったのだ。

 ティアナは、ファーンの「お相手」としてファルケンハインを見ていた。無理もない。一番長く自分の側に居て、色々と面倒を見てくれる二人なのだ。だからそういう視点に立てば、確かにティアナの態度は自然であると言えるだろう。幼少以降の記憶と人格を失ってからのティアナは最初はずっとファーンにべったり甘えていた。「好き」な相手はファーンなのだ。対してファルケンハインには主にその風貌から怖れの態度を隠そうともしない状態が続いた。いきおいファーンはティアナの状況の伝達役、いや調整役としてファルケンハインと会話を交わすことが多くなっていた。

 ファーンはファーンでティアナに「ファルは恐くない。ティアナの事を大事に思っている、頼りになるとてもいい人だ」と言い続けていた。

 つまり幼い心しか持たないティアナはこう思ったに違いない。

「ティアナとファルは仲良し」

「ティアナが好きな人なら、いい人かもしれない」

「ティアナはファルと一緒に居るのが好き」

「だったら私もティアナとファルと一緒にいてもいい」

 恐いという感情が一度なくなれば、ファルケンハインに対してファーンに対するものと同じ、ある種の保護者に対する好意のようなものが生まれてきたに違いない。

 人は好きな人間が増えるにつれ情緒が安定し、成長していく。ティアナにとってはファーンは母であり姉のような存在であったろう。そしてファルケンハインはティアナという人格に繋がる存在、すなわちティアナの兄か、もしくは夫のような存在だと認識していた可能性が高い。

 どちらにしろティアナの中に芽生えたファルケンハインに対する好意は、男女が抱くそれとは、まったく違う感情であろう。

 エイルはそれに気付いて、胸が詰まったのだ。

 無意識に手をさまよわせ、エルデの手を探り当てるとぎゅっと握った。

「エイル?」

「ごめん。オレ今、泣きそうなんだ」

 エルデは名にも答えず、エイルの手を握りかえした。


「さ、これで退路は断たれましたね。観念して楽しみましょう。それにその樽は必要です」

「まさか、出し物を見ながら飲むんですか?」

 観念したファルケンハインがそうたずねると、アプリリアージェは黙ってある人物を指さした。

 雑踏の中で紛れていたその人物の声がファルケンハインの耳に明瞭に届いた。それは入場券売り場の横で人を裁いている男で、既に立ち見席しかない事を客に触れていたのだ。

「なるほど」

 ファルケンハインは苦笑すると、ティアナとファーンを従えて入場券売り場の列に並んだ。それを見送ったアプリリアージェは、ゆっくりとエイル達のところへやってくると、ささやくような声で告げた。

 それは喧噪で消え入りそうな音量の、ようやく二人だけに聞こえる程度の声であった。

「さっき、中に入るのが見えました」

 エルデがそれに反応した。

「ウチも見た。少し遅れて後の二人も入ってた」

「なるほど、ひょっとしてあの焦げ茶色の房髪の子供が例のルーナーですか?」

「うん。でも子供やのうて、本人曰くあれでも成人らしいんやけど」

 そう言ってエルデはうなずいた。

「ふーん。デュアルにしては珍しいですね。アルヴィンの血が相当濃いのでしょうね」

 二人の会話で、エイルはようやく気付いた。アプリリアージェが観劇に固執したわけを。

「二人ともさすがだな。オレはまったく気付かなかった」

 エイルが頭を掻くと、エルデは優しい声でため息をついた。

「アンタはファルの方ばっかり見てたやろ? アンタはそれでええんよ。そやからウチは周りの警戒が役目。それだけのことや」

「こちらに気付いている様子はありませんでしたから、純粋にこの一座の出し物を楽しむために来たようですね」

「一座の人と顔見知りだって言ってましたよ」

「あらあら。だとしたら前の方の良い席に座ってくれる可能性が高いですね」

 後から観察ができるのは願ってもない事だろう。アプリリアージェはニヤリと笑うとエルデの顔をじっと見つめた。エルデは何も尋ねられないままうなずいて見せた。

「大丈夫や。この芝居小屋の周りに精霊陣はない」

「さすがです」

 そう言うとアプリリアージェは唇の端を持ち上げるような笑い顔からいつもの微笑に戻った。

「あなたと組めば、今行われているこの戦争をいかようにも動かせそうな気がします」

「亜神……いや、四聖は立場上、人間同士の争い毎には不介入や」

「ふふ。そうでしたね」

 アプリリアージェは残念そうに眉を下げて見せた。もちろんそんな事はとっくに知った上での軽口であろう。

「それにしても、お熱いことで」

 アプリリアージェは視線を少し下ろし、エイルとエルデの手がしっかりと握り合っているのを見て、そう言った。

「え?」

「あ、これは」

 反射的に手を離したエイルとエルデの様子を見ておかしそうに小さく声を出して笑った後で、アプリリアージェはゆっくりと踵を返した。

「四聖としては不介入かもしれませんが、どちらかの陣営がエイル君を利用しようとしてきた場合、エルデ・ヴァイスとしても、不介入を通すつもりですか?」

「え?」

「なんでもありません。ただの独り言です。さあさあ、ファルが入場券を買ってくれたみたいです。入りましょう」

 そう言ってゆっくりと歩き出したアプリリアージェの後ろ姿に、エイルは思わず手を伸ばしかけた。

 無意識の自分の行動に驚いたエイルは、上げかけた手を下ろして握りしめた。

「エイル?」

「いや」

 バツが悪そうにエイルは頭を掻いて見せた。

「なんだか、ものすごく悲しそうな顔だったんだ」

 エイルはそうささやくと、訝しがるエルデの手をとった。

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