第四十一話 悲しみの向こう側 6/6
そして……。
そして、フリストの懸念は結果として現実のものとなった。
アプリリアージェは本来の目的であるテンリーゼンを失ったのだから。
今回は誰かをかばう事で自らの目的を放棄したわけではない。相手の攻撃が防御を上回った。それだけのことだ。
だがアプリリアージェが完全な備えをしていたわけではないこともまた事実である。扉を開けた先に平和な空間が広がっているなどと考えていたわけではないにしろ、そこに脅威が存在する可能性を念頭に置かなかったのは確かなのだ。
フリストの事件と同様に、今回もアプリリアージェは重篤な外傷を負い、そしてフリストとの時と同じように命を長らえることが出来た。
フリストを救った際に負った傷は、消えずにいまだにアプリリアージェの背中一面にその痕跡を残している事をファルケンハインは知っていた。だが今回の怪我は普通の人間の考えが及ばない程規格が外れたハイレーンがシミ一つ残さずに治して見せた。
フリストとの一件と違うのは、アプリリアージェが負った傷は外傷よりもむしろ心の方が重篤であったという事であろう。
「シーレンに会いましょう」
ファルケンハインは短い沈黙が支配する部屋に、良く通る太い声でそう呼びかけた。
「合わなければ、きっと後悔します」
呼びかけられたアプリリアージェはしかし、今まで見せたこともないような辛そうな表情を浮かべた。
かつてのル=キリアの副司令は言葉を重ねた。
「行きましょう。司令……いやリリアさんは今までリーゼだけを見ていたのでしょう? でもこれからは自分を見つめるべきだ。その為にもシーレンが今何をしているのか、彼女自身の口からそれを聞きましょう。一緒に」
シーレンに会うことは本人の言うようにアプリリアージェにとっては辛い事であろう。だが、目的を失ったのならまた探せばいいのではないのか? 勿論、軍に戻り、その類い希な明晰さと戦闘力を手段にして祖国を守る王道をゆくのも良いだろう。
だが、ファルケンハインはそれはもはやアプリリアージェが採るべき道とは違うと感じていた。
たった今、確信したのだ。アプリリアージェ・ユグセルは、もともと戦いに向いている性格ではないのだと。
戦いの申し子のような戦闘力を持っているだけであって、本体はその為に作られていたわけではないのだ。
先天的に持っていた能力に加え、教育と努力によって研ぎ澄まされ戦闘力によって軍事要員になったことは間違いない。
だが、ル=キリアでアプリリアージェがしてきた事と、彼女がその一流の戦略で「でっち上げた」評判が乖離している事はル=キリアの面々は皆知っている。
後顧の憂いを払う為、あるいは目的の為の単なる手段として、非戦闘員は言うに及ばず、女子供、赤子さえ容赦せずに村一つ、町一つを血の海に変え、あるいは焼き払い、皆殺しにしてきた血塗られた殺人集団ル=キリア。
しかし事実は違う。その実態は……最高機密としてファルケンハインは知っている。
「シーレンだけじゃない」
ファルケンハインは続けた。
「あなたはフリストにも、もう一度会うべきです」
ヴェリーユで出会ったフリスト・ベルクラッセは、ファルケンハインの知る「双黒の左」とは雰囲気が随分変わっていた。
顔の傷がきれいに消えていたことにも驚いたが、それ以上に何かが変わっているのを感じたのだ。そしてその答えもまた、ファルケンハインは見つけた気がした。
「この間会ったフリストは、あなたに少し似ていました」
心に浮かんだ言葉をそのままアプリリアージェに投げかけたファルケンハインは、自分で自分の発言に驚いていた。
アプリリアージェとてその言葉は意外だったのだろう。
「フリストが私に?」
そう、言葉の真意を探るように問いかけた。
「ええ。よく研いだ剣の切っ先のような雰囲気を漂わせていた以前のフリストとは違いました。うまく言葉では言い表せなかったのですが、今ならわかります。フリストは甘くなった」
さらに言葉の真意を測りかねる……そんな表情を浮かべたアプリリアージェだが、すぐにその表情に変化が現れた。
微笑が浮かんだのだ。
「あの子はもともと甘いではないですか」
「そうかもしれません」
ファルケンハインは相槌を打ちながらもゆっくりと首を横に振って見せた。
「ですが、少なくとも表情や態度にそれを表すことはなかった。それに、我々を助けてくれた時にも感じたのですが、あの時のフリストからは、以前のようにあなたに剣先を突きつけるような気が感じられませんでした。むしろ純粋にあなたを競うべき相手として見ているような厳しさではなかったかと」
アプリリアージェはその話を聞くと口をつぐんだ。
「行こう、ピクサリアへ」
二人のやりとりを黙って聞いていたエイルが、強い調子でそう言った。
その視線はエルデに向かっている。
エイルとエルデにはセッカ・リ=ルッカとの待ち合わせの日までエルミナにとどまる選択肢もあった。だが、セッカが得体の知れぬ、つまり危険をはらむ相手であることは確かであり、そもそも本来の目的はセッカではなくティアナの解呪なのだ。黒猫の事を知っているという焦げ茶色の髪と茶色い目を持つ小柄なルーナーがピクサリアにはいる。そしてそのルーナーの一行にはアプリリアージェのかつての部下がいる。
エイルとしてはつまり、ピクサリアに行く理由の方が多いと考えたのだ。
そして、そもそもそれはアプリリアージェの提案であった。
エルデは何も言わずにエイルにうなずいた。
「そやな。ごちゃごちゃした話は向こうでしよか。行くで、姉さん。ピクサリアや」
エルデは明るい調子でそう言うと、アプリリアージェの手を取った。
「力尽くでも連れて行くで」
「亜神の腕力にものを言わせる気ですか?」
「命令に従わへんかったら、それもありや」
「あなたはどこまで私をいじめるつもりですか?」
「ウチらが飽きるまで、や」
エルデがそう言うとアプリリアージェは微笑したまま小さくうなずいた。
「ラウっち?」
エルデ達のやりとりを見ていたファーンがラウにささやいた。
「ん?」
「気になっている事があるのですが」
「うん?」
「白さまはさっき、エイルの事を『ウチの人』って呼んでいました」
「そう言えば……そうね」
「やはりそこは突っ込むべきだと思うのですが、今突っ込むのは少しどうかと思って少々悩んでいる私がいます。ラウっちならばどうしますか?」
「いや……」
ラウはファーンとエルデを見比べると苦笑しながらため息を一つついた。
「きっとこの後、いちいち突っ込んでいられないほど普通に耳にする事になると思うぞ」
「それはつまり?」
「突っ込む機会を逸した、という事」
「はあ」
ファーンは目を伏せると、長いため息をついた。
「残念です」
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