第四十二話 告げ口 1/4
エルミナから徒歩で内陸部に向かって半日ほど歩くとピクサリアがある。
そこはダーマ丘陵地帯の入り口にあたる標高三百メートル程の高さに広がる平地に作られた酪農の町である。ピクサリアはほぼ平坦であるが、町を囲むように三方に丘陵が存在していた。
ラウとファーンが使っていたイオスの屋敷からピクサリアに続く移動陣は、最も東に位置する丘の森の中にあった。
その丘からは町を挟んで対面の丘、即ち西側の丘陵が一望できる。町の象徴とも言えるピクサリア大聖堂を有するマーリン正教会の建物がある丘である。
地形的な説明をもう少し付加するとすれば、ピクサリア大聖堂のある丘は規模も大きく、開梱された頂上には教会を中心に広い平地が広がっている。丘から平地へ続く傾斜もなだらかで、足腰に多少衰えが出た老人でもさほどおっくうがらずに礼拝に参加できるだろうと思われた。
対して移動陣のある丘はほとんど人の手が入っておらず、下草もアプリリアージェの胸ほどの高さがあり、獣道がなければ移動は困難を極めるだろう。
対してすぐ隣にあるもう一つの丘は規模は小さいながらも三つの中では唯一の岩山で、頂上へは急峻な岩の道を張り付いて登る必要があった。その頂上にある猫の額ほどの平地にピクサリア小聖堂と呼ばれるもう一つのマーリン正教会の建物があった。そこは女性の出家信者同士で共同生活を営む第二種教会と呼ばれる建物で、一般の出入りはあまりない。
ラウの説明を聞きながら一行は丘を下っていた。移動陣のある丘の森は、間伐が為されぬため木々の間に差し込む光が弱い。
ラウの調査では、その丘はマーリン正教会の管理地だそうだ。冬場の強い風を防ぐために必要な森なので下手に手は入れず、敢えて手つかずのままにしているのだろうという説明であった。
一行はまず落ち着く場所を決める必要があった。
正教会の建物の一隅が使えそうだというラウの提案で、とりあえずは大聖堂を目指す事になった一行だが、エイルがラウに質問をした。
小聖堂の方が目立たなくていいのではないのかという、正論と思える問いかけであったが、ラウはそれを即座に否定した。
「男子禁制だ」
勿論エイルは女性出家信者専用の建物である事を知った上で問いかけたのだ。
「それに、我々はいいが、ティアナが心配だ」
二つ目の答えでエイルは合点がいった。
急峻な岩だらけの傾斜に囲まれた小聖堂では、子供のように行動が突発的で予測できないティアナが危険にさらされる事はエイルにも容易に想像ができた。
「やっぱりすごいな」
だからエイルは素直な感想を口にした。
「オレなんか、目立たない場所という目的だけで選ぶから、そこまで考えが回らない」
エイルとしてはラウに対してそんな開けっぴろげな褒め言葉をかけるのは初めての事だった。意識してそうなっているわけでは勿論無い。だが素直な感情を自然に投げかけられる様になったという事実に、エイルは自分で口にしたあとで驚いていた。
そんなエイルの心情を知ってか知らずか、ラウは何も言わなかった。
代わりにエルデがエイルを擁護する言葉をかけた。
「いや、エイルの考え方は基本的に正解や。ただ、ラウが目を付けている場所はエイルが考えている秘匿性を満たしてるっちゅう事やと思う」
そうなのか? という視線をエイルがラウに送ると、ラウは少しバツが悪そうな表情でうなずいた。
「色々と動きやすいように、最初に我々が教会組織上部の人間である事は知らせてある。それに」
「それに?」
「ピクサリア大聖堂には珍しい男がいて、その男に対しては我々は正体を隠す必要が無い」
ラウのその説明にエルデが反応した。
「賢者が入り込んでいるのか?」
だがラウは首を横に振った。
「いいえ。でもその男は『告げ口』です」
「なるほど」
ラウの返答に対してエルデは納得する様にうなずくと、その会話はそこで途切れた。
「いやいやいやいやいや」
約一分の沈黙の後、堪えきれずにエイルが声を上げた。
エルデがすかさずそれに返す。
「いつもより多い!」
「いや、それはどうでもいいというか、それくらいツッコみたいというか」
エイルの言葉にエルデは肩をすくめた。
「『告げ口』とはなんだ?」
エイルの代弁、というわけではないのだろうが、ファルケンハインが質問を投じた。
おそらくはマーリン正教会、いや賢者会用語とも言うべき呼称なのであろう。エイルだけではなくファルケンハインやアプリリアージェにとっても未知の言葉に違いなかった。
エイルはアプリリアージェに視線を馳せたが、イオスの館からずっと黙ったままで、その話題についても興味を示している様子は、少なくともその微笑からは読み取れなかった。
ファルケンハインに問いかけられたエルデはラウと視線を交わしてうなずいて見せた。
「一応他言無用という事で説明すると『告げ口』とは特別な情報収集役のことだ」
答えたのはラウだった。
「なるほど。特別な、という点が重要なのだな」
ラウはうなずいた。
「賢者ではなく、通常の組織に組み込まれながら賢者会と通じている存在だ。その説明で想像がつくと思うが?」
ラウの答えに、エイルは心の中でうなずいていた。
賢者会が「表」つまり通常組織を監視しているという事は容易に想像がつく。それよりも内部にそのような人間を配する必要があるほど、賢者会と通常組織との間には溝があるという事が気になった。
エイルはエルデと長く過ごしているにもかかわらず、賢者会や協会の組織についてはほとんど知らされていない。勿論エルデはマーリン正教会の一員として行動していたわけではないから、必要もないのに内部事情を漏洩するようなまねはしないという考え方も成り立つが、意図的に触れなかったとも言える。ファランドールでの事象についてエイルが質問すれば、エイルは実にわかりやすく、かつ詳細な説明をするだろう。しかしマーリン正教会に関係する質問に対しては、いつも適当なところで話題を切り上げようとしていた。勿論、自分の正体をエイルに知られたくなかった時代であればそれも理解できる。
だが、エイルがエルデを
それはつまり、エイルには知って欲しくないと思える部分が正教会には一つといわず存在するという証明ではないか?
エイルはそう考えていた。だから敢えて話題を掘り下げようとはしなかったのだが、今回の「告げ口」もおそらく正教会としては暗部に属するものなのだろうと判断した。
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