第三十八話 ミヤルデの謀反 2/6

 首都島アダンはサラマンダ大陸から離れた文字通りの島である。

 四方は断崖で囲まれており、いわゆる浜と呼ばれるものは皆無。しかもご丁寧な事に島の周りは無数の岩礁で囲まれ、上陸どころか小舟でさえ島に近づく事は不可能といえた。アダン水道と呼ばれる、湾に続く細い無岩礁地帯という唯一の存在を除いては。

 島への出入りはそこにあるたった一つの湾を使う事になる。

 湾は断崖の直下にあって、中型の船ならば十艇ほどが係留できるが、半分はアダン籍の専用船が係留されている。要するに湾の中に入れる船の数は限られていた。

 四つある桟橋はその全てが直接崖をくり抜いた一つの広場から放射状に伸びていて、それぞれの桟橋の広場側に通関所が設けられている。通関の手続きが終わった者は初めて広場足を踏み入れることができる仕組みである。

 だがそこはあくまでもアダン港であってアダンの町ではない。市街地に行くには昇降機を使う事になる。広場の奥に岩盤をくり抜いた大規模な昇降機乗り場が設置されており、そこにある二つの大きな昇降機が、港と町を繋ぐ垂直な道となっていた。

 

 アダンは厳しい上陸規制を敷いており、通関所では身分確認の為に相当待たされるのが常であった。

 いわゆる市民、準市民以外の者は、たとえ招待客であろうと市民の同伴者であろうと、身分証明ができない者は上陸を拒否される。

 身分証明と言っても要するにアダンに登録されている団体や機関、あるいは貴族など特定の家の紹介状を所持しているかどうかである。

 しかもアダンに登録されているものと同一の印璽(いんじ)と署名によって発行された紹介状でなければならない。つまりアダンに登録がない印璽・署名の紹介状は無効なのだ。勿論アダンに登録されていない者の紹介状や身分保証書などは何の役にも立たなかった。

 これはウンディーネ共和国連邦と各国が交わした通商条約に則ったものだ。

 かなり一方的な条件付きの条項であるにもかかわらず、各国がなぜ承諾し、調印したのかと言えば、基本的にアダンがいわゆる「通商協議の場」となる事はないからであろう。

 政治をおおざっぱに内政・外交と分けた場合、アダンは内政を司る場であり、外交についてはアダン以外の場所が舞台となる。

 ウンディーネは共和国を名乗ってはいるものの、実質的には都市国家の集合体である。外交会議や通商会議を有力な都市で行う事により、開催国としての存在感を押し出す方策をとっているのである。中立的な立場を標榜している関係で外交系の会議は多く、例えば通関の取り決めならばヴォール、軍事会議が行われるのはプーク、通貨平準会議はヴィンドンとタナラが回り持ち、という具合である。

 アダンはあくまでもウンディーネ共和国を構成する最高決定の「場」であって、そこに外国の政治家や軍人が関与する事はないのである。

 簡単に言えば、アダンは国王の王宮のうちでも、国王とその側近だけが入れる部屋のようなものなのだ。そこへ外部の者が簡単に入れるわけがないのである。


 アダンが閣議室とはまったく違う存在なのは、政治に関わりの無い人間がアダンを「住居」としている事実からもうかがい知れる。

 いわゆる「アダン市民」と呼ばれる一握りの人間がそこで「生活」しているのである。

 当時の資料では首都島アダンには総勢五千人もの住民が暮らしており、このうち行政に関わっている者は、その家族を含めてもわずか五百人あまり。そしてその大半は警察官であったとされる。

 その既述を信じるならば、アダン島民のうち、九割の人間は単なる住民であったという事になる。

 勿論アダンにも様々な商店や商業施設があり、それを切り盛りする人間もいたに違いない。だがそれは四千五百人ではないはずである。

 ではどのような人々がアダンに住んでいたのか?

 アダンの特殊性を考えれば、それはある程度の推理が可能だ。すなわち

 天然のエアに包まれた海上の浮遊都市。

 岩礁地帯により外界から隔絶された強固な要塞都市。

 上陸が制限され、警察官が過剰配備された秘密都市。

 そんな都市に住みたいと思う者は誰なのか?

 

 ここで忘れてはならないのは、くどいようだがウンディーネとはあくまでも都市国家の集合体であるというその成り立ちであろう。

 つまりアダンという名の島も一つの都市国家なのだ。

 その都市国家アダンの売り物とはなにか?

 そう。それはアダンという場所そのものなのである。

 外部と隔絶された場所を住居として提供すること。それが生産系の産業を一切持たないアダンの最大の産業である。

 要するに、アダンという場所を欲する者達が枕を高くして寝られる場所、それがアダンなのだ。

 例えば海賊、もっと簡単に言えば犯罪者。その他にも色々と考えられる。

 勿論ケチな海賊や小悪党が買える程アダンの市民権は安くはない。

 相当な財力を持ったものだけがアダンに住み処を得る事ができるのである。

 一説によれば各国の貴族の中でも有力な貴族はアダンに別荘を持ち、有事になればそこへ逃げ込む事を考えていた者も少なくないという。

 正教会や新教会でさえアダンに拠点を持っていたという話である。アダンの住居にはその住人を示すものは何も無く、隣人が誰なのかすら知らぬのが当たり前であった。

 極論を言えば、正教会の三聖が住む家の隣に新教会の僧正が居て、海賊の首領がいびきをかく家の裏手ではドライアド海軍の重鎮が庭の手入れをしていたのかもしれない。

 どちらにしろ住民一覧などは残存しておらず、アダンに住んでいたという人間ももう存在しない。

 だが、相当に特殊な都市であった事だけは確かなのだ。


 そのアダンに、エスカは上陸する権利を持っていなかった。

 ペトルウシュカ公爵家はアダンに印璽と署名を登録しているが市民権はない。

 リムル二世は会議の参加資格がある為に準市民の扱いではある。しかし準市民は自由に出入りできるわけではなく、アダンの会議が招集された時にはじめて滞在権利を得るだけなのだ。

 招集されれば付き人として「フラウトのエスカ」の証明をリムル二世から貰い、随伴する事によってアダンに上陸ができるのだ。

 ただし準市民と随伴者には様々な制限がある。

 まず、随伴者は三名まで。帯剣は準市民も含め不可で、上陸時の通関ですべて留保、すなわち預けることになる。

 徹底しているのは着衣もすべてアダン側で用意されたものに着替えなければならないことである。

 ご丁寧な事に上陸資格により服装が定められていて、一目でそれがどのような人物かがわかるような仕組みになっていたのだ。もちろん服は上陸後、人目を忍んで取り替えることは可能だが、服装と同時に上陸時にはめられるトルクと呼ばれるらせん状にねじれた装飾の首輪でも判別できてしまう。

 トルクはリリス製の美しい装飾品で、これも上陸資格により色分けがされている。そしてそのトルクは装着時に鍵かかけられ、島を出るまで外すことができなくなっている。

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