第三十八話 ミヤルデの謀反 1/6

「予想以上にシルフィード軍が善戦していますね」

 大テーブルに広げられたファランドール地図を眺めながら、リンゼルリッヒ・トゥオリラがそうつぶやいた。


 集められる情報を元に、戦線の状況が記された世界地図。

 一月前までの地図ならば、戦場を示すピンはほとんどサラマンダ候国内のみであったものが、今ではウンディーネ共和国を含むサラマンダ大陸全域に広がり、いくつかはシルフィード大陸内にも伝播していた。

「ミュゼにばらまいた金の効果は予想以上だな」

 各戦場に於けるドライアド王国とシルフィード王国との勢力分布は、戦場の印の色で見分けられるようになっていた。つまり、白いピンはシルフィード王国軍が優勢な戦場であり、黒いピンはその逆となっている。そこに広げられた戦況図では、白いピンの方が多かったのである。


「我らが『同調者』の戦場に於ける『へっぽこ』振りが予想以上なのかもしれません」

「それもあるな。さぞや優秀な『へっぽこ』振りなんだろうな。ちくしょー、現場でへっぽこ振りが見られないのが残念でならねえな」

「報告によりますと、現場では将官や爵位付き佐官による行き当たりばったりの降格や解任人事が横行しているようで、こちらも予想より順調です」

「爵位付き佐官ね……そいつあ、さぞや常軌を逸した配置転換や人事異動をやりまくってんだろうなあ。知ってるなら面白そうな話をいくつか教えてくれよ」

「そうですね。哀れを誘う話の方が多いんですが……そうそう、面白いと言えば、エボダ戦線の指揮を執ってるキョウヤ大佐ですが……」

「キョウヤ大佐ってえと、シャナンタ・キョウヤ伯爵か? あの?」

「『あの』が『どの』なのかは敢えて伺いませんが、キョウヤという名の大佐はドライアド軍には一人しかおりません」

「まさか、また幕僚の首をすげ替えたのかよ?」

「そのまさかです」

「今度は『何』だ?」

「ゾウガメだそうです。いきなり准尉に抜擢されたそうです」

「なるほど、今度は穏健派を幕僚に加えたってわけだな。この間の幕僚人事で急進派に傾きすぎたのをちったあ反省したってことじゃねえのか?」

「えっと……」

「何だよ?」

「いえ、ワニは急進派なのだろうかと」

「少なくとも穏健派ってこたあねえだろ?」

「なんと申し上げていいのかわかりませんが、要するに相手を見かけで判断すると痛い目に遭うというのは先人が残した名句です。お会いになったことはないのでしょう? あのワニに限っては穏やかで思慮深いワニなのかもしれませんよ」

「ふむ。確かに一理ある。なるほど……すると意外にゾウガメの方がイケイケドンドンって事もあり得るのか」

「いや、それはどうかと……」

「どっちにしろ、面白くなってきやがった。こりゃエボダ戦線からは眼が離せねぇな。引き続きここは重点的に……」


「オホン」

 脱線気味の二人のやりとりに業を煮やしたのか、同じ部屋にいた別の男がこれ見よがしの咳払いで会話を断ち切った。

「そ、それはともかく、だ。結局のところ、未だにアダンは動かず、かよ」

「それだけが予想外ですね」

「そろそろ動いてくれねえとな。こっちもそろそろネタが尽きはじめてるんだよな」

「尽きかけているということは、まだネタはある、ということですね?」

「ああ。今度は快気祝いで羽目を外してバルコニーから転げ落ちて腰の骨を折ったってことにしようかと考えてる。腰の骨はさすがに完治に時間がかかるし、だいいち動けねえからな。」

「なるほど……ネタは尽きているようですね」

「オッホン!」


 フラウト王国の王宮の最奥。本来ならば「御座所奥」と呼ばれる部分がエスカ陣営の作戦司令室になっていた。

 一切行動は起こしておらず、当然ながらまだ誰もその存在すら知らないのだから「陣営」も何もないものだが、間違いなく彼らはシルフィード王国でもドライアド王国でもない、ましてやマーリン正教会でも新教会でもなく、それでいてこの大戦に深く関わろうとしている別の陣営であった。

 その「エスカ陣営」の作戦本部にはエスカとリンゼルリッヒ以外にも数名の人物の姿があった。


 その日。すなわちドライアドがシルフィードに宣戦布告をして三ヶ月以上経ったある日の事。少なくとも他陣営にはまだその存在すら知られていない「エスカ陣営」の指揮官であるエスカ……ドライアド陸軍に於いてはペトルウシュカ将軍と呼ばれるドライアド国籍の男爵は、いまだにウンディーネ共和国の北東部に位置するフラウト王国を離れていなかった。

 もちろん、彼にはドライアドの元帥庁から再三の帰国要請が出されてはいた。しかし帰国命令を携えた使者が訪れたのは開戦後わずか一ヶ月の間だけで、その後は書面すら届かず、なしのつぶてであった。

 時折、近辺の部隊から様子伺のような者がやってはくるが、いずれもエスカ本人には会えぬままフラウトの城壁を後にして、跳ね橋が上がる音を背中で聞くことになっていた。

 元帥庁からの使者が来ない理由は明白だった。

 補給がままならないドライアド軍には、そもそも軍隊どころか一兵たりとも率いていない傷痍将軍、すなわち戦力にならない者にかまっていられる余裕などなかったのだ。

 一方、エスカ達にとってはフラウト王国に拠点を構えている理由はいくつもあった。

 そのうちの一つが、ウンディーネの首都島アダンにほど近いというフラウト王国の立地条件である。

 なぜなら、エスカはアダンが動いた後で、初めて動くつもりだったからである。それはつまり、エスカはアダンが動くまで動けない状態にあったと言い換えてもいい。


「ご存じの通り開戦直後にウンディーネ最高議会が一度開かれただけで、その後は招集すらかかっておりません。元老院からはいろいろと言ってきてはおりますが、まあ通り一遍なものばかりです。ベンドリンガー卿の意思が見えるものはまだ何も」

 この発言は同じ部屋にいたフラウト国王、リムル二世のものであった。

「私宛にベンドリンガー卿からの親書でも来れば、腹の内も推測できるのですが」

 エスカは戦況が記された地図を眺めながら腕を組んでいたが、リムル二世の言葉を受けてつぶやいた。

「来ねえなら、こっちから会いに行くしかねえか」

「会うとは、ベンドリンガー卿にですか?」

 エスカはうなずいた。

「ですが、エスカ様はそのままでは間違いなくアダンには上陸できません」

 エスカは「わかっている」と言って目を閉じた。

「だから今、その方法を考えてたところだ」

「私にはワニとカメの話にうつつを抜かしているようにしか見えませんでしたが」

 嫌みに対してエスカはあからさまにむっとした顔になるとボリボリと頭を掻いた。

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